生かすも殺すも貴方次第


私にとって「己の生」とは大した意味を持っていなかった。ただ何となく今日を生き、ただ何となく明日を待つ。そんなことを繰り返しているうちに気付けば歳をとり、地位が上がり、部下が増えていった。昔愛した女は皆、家庭を持ち、私のことなど視界の隅にも入れようとしない。だけど、それが不幸だとか悲しいだとかは思わない。誰もが必死に今を生きていると知っているからだ。
思い返せば、私の人生は失うことばかりだった。何処ぞの保健委員風に言うならば、私は不運続きだった。母は幼い頃に病死し、父は後を追うように戦死した。
私は忍者として生きるしか道はなく、必死に毎日を生きた。忍者として周りに認められればられる程、友と呼んでいた仲の者は遠ざかっていった。いつも手を血に染めていた姿が恐ろしかったのか、はたまた出世したことへのやっかみか、それは未だに分からない。だけど私は立ち止まるわけにはいかなかった。必死に必死に前だけを見て生きるうちに、私は顔を失った。と同時に私は恋人も失った。
寝たきりになった私は未だかつてなく暇で、嫌でも色々と考えさせられた。考えれば考える程、嫌な思考は巡るもので、私は生きることに疲れたと感じるようになってしまった。
そんな時だった。
勢いよく襖が開いたかと思えば、何の迷いもなく子供が私を踏みつけて走っていった。もうね、あの時は本当に殺意が湧いたよ。声にならない悲鳴をあげていると、件の子供は廊下から恐る恐る私を見ていた。


「おじさん、大丈夫?」

「…そう見えるかい?」

「ううん」

「おじさんに何か言うことがあるんじゃないかな?」

「うん。おじさん…」

「うん」

「元気だしてっ」

「ぎぃ…っ」


いやー、本当に殺意が湧いたよ。寝たきりになる程の大怪我をしている人間の上に普通、飛び乗る?大絶叫した後で分かったことだが、このクソガキは孤児で、城で下働きをしているらしい。字の読み書きどころか世の常識さえ知らずに生きているらしい子供の名はなまえといった。
私がそこそこ元気になった頃、なまえは再び私の前に顔を見せた。今考えても、やっぱりお前はおかしいよ。


「あら、どうして?」

「ほぼ初対面の男にあんなことを言う女はお前くらいだよ。少なくとも私が知る限り、お前しかいない」

「そんなに誉めないでよ」

「割と貶してるんだけど」


気にもとめずに西瓜の種を庭に吐くなまえは今年で18になる。もう、それ程長い月日が経ったのかと感慨深くなるのは歳のせいなのか。
何にしても、このガキが私に結婚してくれと宣ってから7年も経過した。今思い出しても非常に馬鹿馬鹿しい話の流れで、こうして共に生活するようになったのだが、まぁ、もう慣れた。なまえ曰く、あの当時の私は今にも死にそうな顔をしていたらしい。というか、どういう認識だか知らんが、屍そのものだったらしい。
確かに、あの時の私の心は死んでいた。生きる希望も見出せないまま、ただ何となく生きていた。それは認めよう。だけど、何故私に求婚することになったのかと問いただしてみれば、もう城の雑巾がけに疲れたからだとか、綺麗な着物を着てみたいからだとか訳のわからないことばかり言っていた。その後付け程度に、死にそうな顔をしていて放っておけないからだと言ったが、果たして頭の悪いなまえが私の心を読めたのかどうかは甚だ疑問だ。
ただ、なまえが日常的に折檻されている、ということは何となく分かっていた。腕に無数の痣があったから。この子は私が死にそうだと言った。そして、この子の心も今にも死に絶えそうなのかもしれない。そう思ったら何となくなまえと共に生活するようになっていた。互いに同情から始まった生活は思いの外、苦労した。そもそも他人と生活を共になどしたことがなかったのだから、それは必然だったのかもしれない。
もう雑巾がけをしたくないと言っていたくせになまえは狭い家を毎日丁寧に磨いていた。綺麗な着物を着たいと言っていたのに上等の着物なんて着る機会はない。だけど、恐怖の組頭が懇意にしていると噂されたことによってなまえは折檻されるどころか恐れられるようになっていった。何となく申し訳ない気持ちになったけど、なまえはかえって助かったと私に頭を下げた。もう、なまえは小汚い子供の顔をしていなかった。
そうして月日は流れていった。こうして縁側で空なんて眺めながら茶を啜る日が来るなんて、あの頃は考えもしなかったことだ。


「芽が出るかな」

「さぁねぇ」

「西瓜食べ放題だ」

「腹を下すよ」

「そしたら看病してね」

「嫌だよ。汚らしい」

「あ、酷い」


冷たい男だと言いながら新しい西瓜に手を伸ばすなまえと私は同じ家に住む男と女でありながら、そういった仲ではなかった。初めは養育者と子供のようなものだったから、と言い訳を周囲にはしているけど、実際のところは怖かったからだ。私にとって「己の生」とは大した意味を持っていなかった。だけど、なまえと共に生活するようになってからそれは変わった。
私は死ねない。この子を遺して死んではならない。今日の夕飯は何だろう、なんてつまらないことを考えながら家に帰る悦びを知ってしまった。その対価として私はこれからもなまえを護らなければならない。
いつか、なまえは私の元から去ってしまうだろうか。闇夜を照らす月がなくなったら私のちっぽけな世界は今度こそ崩壊するだろう。


「珍しいですね」

「…そ?」

「夏は西瓜ですよね」

「芽が出るといいね」

「下したら看病、してあげますよ。安心して下さい」

「それは心強いねぇ」


なまえの手の代わりに握った西瓜は甘くて、ほんのり青くさかった。
いつか、この世界が崩壊する日が来るのだろうか。
庭に蒔いた種が雪に埋もれた頃、狭かった世界は視野を広げることになった。ちっぽけな私に手を差し伸べてくれたなまえの小さな手を握り締めて、私はかけがえのない今日を生きていく。


[*前] | [次#]
小説一覧 | 3103へもどる
ALICE+