ただ、なんとなく


ただ、なんとなく。

何故、私など飾り気のない女に美しい飾り細工の簪を贈ったのか。ごく自然な疑問を投げかけた返答がこれである。組頭は人を惑わせることに長けている。いや、惑わせていると言うと失礼か…こう、人を小馬鹿にして喜ぶのがお好きなお方…あぁ、これも失礼な物言いか。兎も角、彼のペースに乗せ、本題とかけ離れた所に放置する。組頭はそんなお方だ。
時になまえ、と話しかけられ現実に戻る。何でしょうか、と言いながらも私は手を動かし続ける。こうすれば彼はムッとして強引に腕を掴んでくることを知っているから。


「…ねぇ、聞いてる?」

「はい」

「嘘を吐くんじゃない。こちらを見なさい」


ほら、ね。強く腕を掴まれた。いいや、強くといっても加減はしているのだろう。組頭が本気を出せば私の細腕など一瞬で破壊できるのだから。
目線を合わせると呆れた顔をされた。


「やっと私を見たね」

「何の用でしょう」

「これは本当はなまえに似合うと思って購入したものだよ」

「まぁ。光栄です」

「凄いね。稀に見る存在だよ、お前は。ここまで言葉と表情が合致しないとは」

「あら。この上ない誉れですわ」


ふふ、と小馬鹿にしたように笑いながらも、心の中ではお祭り状態だった。あの組頭が私に贈り物をしてくださり、私と話をしてくださるなんて。
ただ、私も馬鹿じゃない。これは組頭の単なる気まぐれにしか過ぎない好意だと知っている。彼のように優秀で、地位も名誉もある方が私のような凡庸な食堂の下働きに本気になるはずがない。ゆくゆくは政略結婚か、はたまた優秀なくノ一を娶り、優秀なお子を授からなければならないお方なのだから。


「寂しいものだね、こうも好意を踏みにじられるのは」

「ご安心下さい。貴方が本気で迫れば落ちない女性などいませんよ」

「へぇ。じゃあ強引に迫ればなまえも私に夢中になってくれるんだ?」


当たり前じゃありませんか。
本音を芋にぶつけた。ゴシゴシと芋の泥を落とし、夕飯の支度を進める。私の予想ではひと月だろう。ほんのひと月、私を惑わせ、そしてまた他の人へと移っていく。組頭が女好きという話は聞かない。だけど、本気で一人の女性とお付き合いをしているという話もまた聞かない。要は「うまく遊んでいる」のだろうというのが女中のなかで収まった意見だ。彼はそれが許される身分なのだから。そしてまた、遊びでもいいという女中が多いのも事実だ。
しかし私は違う。遊ばれて捨てられるのはごめんだし、万が一にも本気になられて周囲に優秀な子を孕めと期待されるのもごめんだ。凡庸な私には凡庸な人生が似合いだと自虐ではなく、自負している。要は組頭の気まぐれに振り回されて傷付くことも、周囲から馬鹿にされることも嫌だという私の一方的な、だけどごく自然なわがままだ。


「ふむ。なまえは竹取物語のように贈り物で気をひく男にはなびかないということか」

「雅な物言いですね」

「しかし、こうすれば惹かれる、と」


ぐっと身体を引き寄せられて唇を食まれた。芋がごとりと鈍い音を立てて落ちた、と頭の中は妙に現実的だった。
泥の付いた手で組頭の身体を押してみたけど、無意味だとすぐに悟った。こんな分厚い大男の身体に敵うはずかない。されるがままに組頭の接吻を受け入れるしかなかった。


「贈り物よりも男の肉体を欲するとは…見た目と違って随分と本能的なようだ」

「にく…っ!?」

「けど、嫌いじゃない」


妖しい笑顔を浮かべながら腰を抱かれる。大きな黒い塊に包み込まれ、ぐらぐらと理性が揺れた。
あぁ、だけど。こんなのあんまりだ。組頭のペースに乗せられたまま掻き乱され、いとも簡単に捨てられる予感しかしない。接吻だって初めてだったのに、単なる気まぐれで奪われてしまった。忍者ならごく普通のことなのかもしれない。だけど、私は平凡でちっぽけな下っ端の女中だ。
この人は私をどうしたいというのだ。いっておくが、私は凡庸な顔立ちにも関わらず欲張りなのだ。私を好いてくれる男の元にしか嫁ぐ気はないし、生涯私に一途でいてくれなければ許せない。重い期待を感じることもなく、平凡ながらも幸せな家庭を築くというささやかだけど贅沢は夢があるのだ。


「お待ち下さい!」

「なに」

「私は貴方の気まぐれに付き合うほどの器量はありません」

「気まぐれ?」

「どうぞ、身の丈にあった方をお選び下さいませ」


ぐっと身体を押すと予想に反し、腕の力が緩んだ。慌てて芋を拾い、再び作業に没頭する。日常に一刻も早く戻らなければ。組頭という強力な毒素が身体を侵す前に拒まなければ、きっと私は凡庸な子を孕むことを望んでしまう。火照った身体を冷ますように冷水に芋を漬け込んだ。


「お前は…いや、恐らくは城内のほぼ全ての人間が私を特別だと思っているのだろう」

「でしょうね」

「生憎、私も平凡な男に過ぎない。なのに皆、私をまるで雲の上の存在のように扱うものだから、この年になっても家庭を持てずにいる。好いた女には勝手に遊びだと認識され、拒まれ、私はいつも一人だ」


恐らくは、これからもずっと。低い声で笑いながら組頭は言った。
弱々しい声での自虐的な発言に驚いて思わず見上げると、乱れた頭にそっと簪を刺された。こんな薄汚れた姿の私には勿体ないほどの上等な簪を見つめて組頭はふ、と笑った。


「なまえは平凡な私の人生を非凡なものへと変えてくれる」

「まさか」

「いいや、本当に。なまえの気を引こうと頑張ったつもりなんだけどね、これでも」


組頭は溜め息を一つ吐き、冷えた私の手を握りしめた。
この後の展開は容易に想像がつく。口では拒みながらも情に流されるように組頭に身体を許し、強欲な私は恐れ多くも組頭の子を望むことになるのだろう。意志薄弱な私はそうして流されるのだ。結局のところ、どんなに理由をつけて拒絶してみても私の心はずっと前から組頭に奪われていたのだ。
私の人生を非凡なものへと変えてしまったせめてもの償いとして、どうか私を組頭の妾にしては頂けませんか。恐れ多くもそう申し出ると、組頭は至極不服そうな顔をした後、短く「考えておこう」と言ってくださった。
こうして私は平凡な人生へと別れを告げ、非凡な人生を歩み出すのである。

そして。

結論から言えば、私は組頭の妾にはして頂けなかった。結局は互いが望む形へ自然と収まったのだ。
仕事でひと月以上家を空けることも珍しくない夫との暮らしは平凡だとは到底言えないが、それでも幸せな日々を送っている。しかし、不満がないわけではない。


「あの時は傷付いたよ」

「左様で」

「普通、言う?あの流れで」

「私は言います」

「信じられない。本気だと伝えた直後に妾にして欲しいってなに。普通、嫁にして欲しいでしょう」

「恐れ多くて申せません」

「可哀想、あの当時の私」


連日、枕を濡らして夜を過ごした、と定期的に恨みがましく夫に言われる。そう言う時は大概、甘やかして欲しい時だと私は知っている。いや、長い歳月をかけて学習した。
頭を撫でると幼子のように身体を擦り付けられる。知れば知るほど、組頭は平凡な男性だった。職業や置かれた立場こそ特殊なものの、彼が望む生活はごくありふれたものだったのだ。男児に限らず子を可愛がり、家事こそしないが散財をすることもなく、女遊びをしている素振りも見せない。初めは上手く遊んでいるのだろうと思っていたが、微塵も女の影を見せない。異常に早く帰宅する日も多く、長期不在時に至っては信じられないくらい甘えてくる。まるで幼子のように。
やがて私は組頭が平凡な男か否かなど気にならなくなっていた。それよりも何故、組頭は私のような凡庸な女を伴侶に選んだのか。その疑問を何度ぶつけてみても、返ってくる答えはいつも同じであった。




ただ、なんとなく
うそだよ、
「好きだから」以外に何があるの




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