恋という怪物


お前なんかでも恋などするのかと聞くと、雑渡は面倒くさそうに頭を掻きながら短く「知らん」とだけ言った。そのあまりにも淡白すぎる回答に不服を覚えた私は、奴が持っていた本を奪い取って遠くに投げ飛ばしてやった。


「何をする」

「つまんない」

「なら帰れよ」

「やだ。構え」

「ふざけるな」


別にふざけちゃいない。私は至極冷静に雑渡に告げた。それなのに雑渡は、冷静に本を拾いに行ってまた読み始めるのだから、やってられない。ぐいぐいと衣を引いても、無視を決め込んだらしい雑渡は何ごともないかのように本の頁をめくっては難しい顔をしていた。


「それ、楽しい?」

「いいや」

「じゃあ構ってよ」

「何が望みなんだ」

「接吻」

「一度死んでこい」

「わぁ、辛辣」


何だってそんなことを言うのかね。年頃の娘さんが接吻を願ってくるなんてそうそうあることじゃないのに。
私が息も吸わずに一気に雑渡に文句を言うと、雑渡は溜め息を吐いて本を床に置き、私の顔をじっと見てきた。その目がまるで馬鹿を見るような目なのが気にくわないけど、まぁようやく目が合ったのだからよしとしよう。


「接吻してくれんの?」

「そういうのは好いた男としろ」

「うん。だから、雑渡」

「子供は母の乳でも吸って寝ろ」

「む。もう私は大人だ」

「私から見ればまだまだ餓鬼だ」


右目を擦りながら雑渡は退屈そうに欠伸した。乾いた顔にしわが寄る。雑渡の頬に触れると、奴は特に拒絶もしなかったが、受け入れるわけでもなくじっと私を見据えた。
雑渡の見た目は恐ろしい。でも中身はそんなに怖くない。


「私は雑渡が好きだ」

「そうか」

「恋をしている」

「ふーん」

「だから接吻しよう」

「私の気持ちはまるで無視か」

「雑渡は私が嫌い?」

「それなりに嫌いだ」


何だ、それなりって。私のことが雑渡は嫌いなのか。じゃあ何で頬擦りをしてくるんだ。頭がおかしいのか。顔に巻かれた包帯から微かに見える唇を私が指でそっとなぞると、雑渡は私の腕を掴んで怪訝そうな顔をした。


「馬鹿か、お前は」

「何で」

「私をそう煽るな」

「何で」

「中身のない脳で考えろ」

「分からない」

「馬鹿が。もう家に帰れ」

「嫌だ。私もここに住む」

「じゃあ私はここを出る」

「…そんなに私が嫌いか」

「ああ。鈍いなまえなんか嫌いだ」


ぺいっと私の腕を放り投げて雑渡は静かに立ち上がった。私がどこに行くのだと聞いても奴は何も答えない。
嫌い。好いた男に言われると堪える。ぐしっと鼻をすすって雑渡にしがみつくと、雑渡はピタリと動きを止めた。


「こら。離れなさい」

「やだ」

「なまえ」

「ねぇ、雑渡」

「何だ」

「私を好きになってよ…」


ポツリと私が呟くと、雑渡の腰に回していた腕が払いのけられた。ベタッと床に突っ伏して私はただ泣いた。腕を掴まれ、強引に顔を上げさせられて涙でぐちゃぐちゃになった私を見た雑渡は、ごしごしと乱暴に拭った。
こいつ、女心も、女の扱いも心得ていないのかと呆れていると、信じられないぐらいカサカサの唇が当たった。あまりにも驚いて雑渡の顔を見ると、いつもの余裕たっぷりの意地悪な雑渡の顔を既にしていなかった。男の顔。その顔のまま、雑渡は口角を上げて至極楽しそうに笑いながら私に告げた。


「男の恋が何たるかを教えてやる」

「なに…」

「悪いのは私を煽ったなまえだからな」


ニタリと笑った顔を呆然と眺めていると、雑渡が私に覆い被さってきた。初めて見た雑渡の身体は私が思っていたよりもずっと酷い火傷があった。
雑渡は酷い男だ。好きという言葉を私に紡ぐことをせず、こうして私の髪を優しい手付きですくのだから。雑渡に私のことが嫌いかと再び尋ねてみると、私の気持ちをまだ知れないような女は大嫌いだと言われた。そうして、優しく笑って、接吻をしてくる雑渡は本当に酷い男だと思う。仕方ない。雑渡なりの不器用な愛を私は全力で受け入れることにしよう。




恋という怪物

全く、どうして私を煽ってくるのだろうか。まだ幼な子の分際でこの私を翻弄してこようとするとは。幼い身体で私を必死に受け入れようとするなまえは大人びていた。
男の恋心などなまえには分からないのだろう。大切だから離れようとしてやったというのに、どうしても私が欲しいと言う。馬鹿だと思ってはいたが、本当に馬鹿な女だ。私のような怪物と生を共にすることを選んでしまったのだから。
私の心には怪物が潜んでいる。好いた女を自分だけのものにしたいという身勝手な欲求は増すばかりだ。あぁ、それでも、私のような怪物と一緒にいてくれるというのなら、私は目一杯なまえを大切にしてやるしかない。あどけない顔をして眠っているなまえの頬を撫でてやると、眠っているくせに私に擦り寄ってきた。本当に馬鹿な女だ。致し方ない、私がどれ程恐ろしい男なのかはこれから身を持って知ってもらうとしようか。もうどうせ逃しはしないのだから。永遠に。


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