雑渡さんと一緒! 100


さて、行こうか。どうせ、すぐに片は付く。社長室に行って退職届を出し、最後に営業部でデスク周りを片付けるだけなのだ、すぐに済むだろう。これで、この社章ともお別れだ。
意気込んで久々に入ったタソガレドキ社は今日も忙しそうだった。入社したばかりの頃はここで頂点を取ってやると意気込んだものだ。いつの間にか肩の力が抜け、自然に働けるようになった頃には私の周りは敵だらけになっていた。それはそうだろう、上司にも平気で生意気なことを言っていたのだから。今思い返しても恥ずかしくなる。
社長に会いたいことを秘書に伝えたが、不在とのことだったので、仕方なく営業部に顔を出した。自分が座っていたデスクに既に誰かが座っているものだと思っていたけど、そんなことはなく、課長の席は不在のままとなっていた。ほんの数ヶ月前までここで自分が働いていたなんて信じられない。そのくらい、ここからの眺めは良かった。必死に働く部下の顔がよく見えたから。要領のいい奴も悪い奴もみんな私の掲げた目標に向かって頑張ってくれていた。よく私などに着いてきてくれたものだ。心底、気が知れない、奇特な奴らだ。
私が営業部に入った途端、全員が驚いたような顔をした。部外者が何をしに来たんだとでも思ったのかもしれない。


「課長」

「あぁ、陣内。お前、何でまだ係長の席にいるの?」

「何故と言われましても…」

「お前はこれから私に代わって、こいつらを取り纏めることになるのだから、しっかりやりなさい。あぁ、そうだ、引き継ぎか…いや、お前には引き継ぎなんて要らないだろう?」

「お待ち下さい。何の話をしておられるのです?」

「私は今日を持って退職する」


ザワザワと急に騒がしくなった。そして、一気に私に詰め寄ってきた。あぁ、こんなにもお前たちは私を慕ってくれていたんだね。こんな使えない上司だったというのに、ありがとう。そして、悪かった。だけど、これからお前たちがこの会社を大きくするんだ。お前たちは花形の営業部なのだから。
懐から退職届を出し、陣内に渡す。直接社長に渡すことは出来なかったけど、不在というのなら致し方がないだろう。


「これはお前に預ける」

「い、頂けません!」

「私はもうここには必要のない男だ」

「何を仰るのです。あなたがいなくては我々はどう動けばいいのか分かりません。現に、売り上げは落ちる一方です」

「情けないことを言うんじゃない。これからはお前が営業部を支えるんだ。あの微塵も使えない部長に代わって、ね」


目線を部長の席へ送る。今日も今日とて不在だった。どうせ女の所にでも行っているのだろう。そして、たまに出てきたかと思えば私の売り上げを奪い上げ、自分がさも仕事をしていたかのように社長の前で振る舞う。よくあることだ。だから、一人ずつ重役の席から引き摺り下ろしてやった。そして、そのポストに自分が収まった。別に出世したいと思っていたわけではない。だけど、部下のために私が重役に収まる他はなかった。少しでも働きやすい環境を作ってやりたかった。ただ、それだけのために課長に昇進した。だけど、それでも楽しかった。ここで部下と働くのは本当に楽しかった。


「悪いね。これで私は終わりだ」

「…目が覚めた、と聞いています」

「おや。情報が早いね」

「なのに何故、退職しようとなさるのです!?」

「仕方がない。社長の意向だ」

「社長の?しかし、社長には…」

「と、いうわけで世話になったね。そして、精進なさい」


これ以上ここに居たら思い出が溢れて泣きそうだった。だから私は部下が止めるのを振り払って会社から逃げるように出た。車に乗ると、我慢しきれなくなって少しだけ泣いた。
これでいい。売り上げを下げることしか出来ないような上司などいらない。それは常々思っていたことだ。自分の手で何人も使えない上司を辞めさせてきたのだ。せめて自分の引導は自分で行うべきだろう。だから、これでいいんだ。
病院へ行き、鏡で自分がちゃんと笑えているか確認してから病室へ入った。なまえは私の気持ちや表情に敏感な子だ。他の誰も気付かないようなちょっとした変化でさえも気付いてしまう。だけど、これ以上なまえを泣かせたくはない。大丈夫、別に仕事なんていくらでもある。私はまだどれだけでもやり直せる。私の側になまえがいてさえくれれば平気だ。
病室に入ると、面会者がいた。それは私が過去から見知った者だった。そして、なまえは手で顔を覆って泣いていた。


「社長!なまえに…なまえに何を…っ!?」

「おや、遅かったな。なに、ちょっと昔話をしただけよ」

「昔、話…?」

「お前が死んだ後のタソガレドキ城の行く末と、お前のここ最近の仕事の状況について小娘に教えてやっただけだ。それ以外は儂はこの娘に何も言ってはおらん。ふっ…安心せよ」


当然、手など出してはおらん、と言う社長に殴り掛かりたくなった。なまえは余計なことを知ってしまった。こんなことを知ってしまってはなまえはますます自分を責めるだろう。昨日、あんなにも自分を責めていたのだ。そんなこと気にする必要などないのに。私が弱く、そして、情けないから会社をクビになっただけだというのに。
そもそも、何故社長がここにいるのだろう。何故、なまえが目を覚ましたことを陣内は知っていたのだろう。私はまだ誰にも話していない。押都だって知り得ない情報のはずだ。


「今朝、この娘から社に連絡が来た」

「…なまえから?」

「娘は言った。雑渡さんをクビにしないで下さい、と」

「なまえ、お前…っ」

「ごめんなさい。だけど、私、あなたに辞めて欲しくなかったの!だって、雑渡さんは本当は辞めたくないって思っていると分かっているから…だから、私は社長さんに…っ」

「余計なことを…」

「痴話喧嘩は今は置いておけ。儂は雑渡に話をしに来た」

「私に…ですか?」

「儂はお前のクビなど切った覚えはないし、切る気もない。落ち着いたら必ず出勤しろ。そして、己が出した損失は己で穴を埋めろ。いいか、これは絶対に、だ。異論は認めん」

「しかし、私は…」

「お前は我が社にとってなくてはならん存在だ。だが、ああも取り乱されては迷惑としか言えん。だから、落ち着くまで出勤はしなくて構わん。それは山本にも既に伝えてある」

「陣内に、ですか?」

「後は山本と話し合って決めよ。今は介護休暇という名目でお前は休みになっておる。だが、年内には必ず復帰せよ」


年末処理があるのだからな、と社長は嫌な顔をして笑ってから病室から出て行った。取り残された私となまえはしばらく何も言えなかった。なまえは泣いていたし、退職する気だった私としてはどう出たらいいのか分からなかった。
だけど、しばらくしたら自分が安堵していることに気付いた。あの会社にまだいられる。まだ私は必要とされている。


「…なまえ、ありがとう。どうやら職は失わずに済みそうだ」

「いいえ。私こそ、ごめんなさい…」

「なまえが気に病むことではないよ。私が弱いだけだ」

「いいえ!私のせいです。私の…っ」

「そんな悲しいことを言わないで。私はこんなにも愛せる女に出会えたことが何よりも幸せだと思っているのだから」


なまえを抱き締めると、なまえは涙で濡れた顔を私に擦り付けてきた。だから、私はなまえに謝った。ごめんね、私は弱くて。そして、こんなにも依存してしまってごめんね、と。
なまえは特に何も言わなかった。だけど、しばらくするとなまえは泣きながら話し始めた。とてもつらそうな声で。


「私が流行病に罹らなければ、そうすれば雑渡さんは…っ」

「待ちなさい。まさか、お前…」

「私があんな村に寄らなければ雑渡さんは死なずに済んだのに…なのに、私のせいでごめんなさい!私のせいで雑渡さんの未来を奪ってしまってごめんなさい!雑渡さんは忍軍を支える立場にあったのに、私なんかが全て奪ってしまって…っ」

「まさか、全て思い出したの!?何もかも、思い出して…」

「はい。私が全て悪いんです…」


あなたを遺して死んでしまってごめんなさい、と言ってなまえはまた泣いた。あぁ、全て知られてしまった。私が醜かったことも、冷たい男だったことも、何もかも思い出してしまった。私のせいでなまえは死んだことの詳細を全て知られてしまった。どうしよう。もう私は許されないかもしれない。
だけど、だとすればどうしてなまえは自分を責めているのだろうか。悪いのは私だ。全て私の過ちのせいだ。なまえは何も悪くない。なのに、最期まで私の側にいてくれた。


「…私は、愚かだった。本当は愛していたのに、素直にもならず、最後まで突き放すようなことを言っては泣かせていた」

「そんなこと、ありません!私は、私は…っ」

「なまえは私に待っていてくれと言った。必ず会いに行くからと言った。そして、私の元へと会いにきてくれたね。嬉しかった。あんな戯れ事を現実にしてくれて、本当に嬉しかったんだ。過去の過ちは決して消えないけど、今を生きているのは私の目の前にいるなまえだ。だから、だからさ…私と結婚して欲しい。私と一緒に幸せな家庭を築いて欲しい。これから先、ずっと私と一緒に生きて欲しい。あの頃のように…」


こんな情けないプロポーズなんてするつもりなかったのに。もっと雰囲気のいい所でするつもりだったのに。指輪もまだ用意していない。花束だって初めて贈ろうと思っていた。なのに、結果として私はこうして感情に身を任せて言うことになってしまった。情けないにも程がある。
言ってしばらくしてから、なまえは何と返答するのか不安になった。こんな状況だ、断られてもおかしくない。ましてや私は今、仕事もしていない。何の頼りにもならない男だ。どう考えても、断られるような状況だろう。だけど、なまえは私の背に腕を回してきてくれて、抱き締めてくれた。


「私なんかでよければ、よろしくお願いします…」

「えっ。ほ、本当に…?」

「ねぇ、雑渡さん。私、雑渡さんが本当に本当に好きなんです。だから今度こそ、ずっと私を側に置いてくれますか?」

「…離れろと言われたって離れるものか。なまえは私の女だ」


ふ、と涙を流しながら笑うなまえにキスをする。ようやくあの時の悲しみと後悔が報われる。やっと、これで過去からの因縁は断ち切ることが出来る。そう思った。
退院したら一緒に指輪を買いに行こう。それで、雰囲気のいいレストランで食事をしてからプロポーズをやり直させて欲しい。私がそう言うと、なまえは今のままでも十分幸せだから、これ以上幸せを感じるのは勿体無いと言った。今が幸せだというのなら、欲のない子だ。これからなまえは私の手によってもっと幸せとなり、生涯私の隣で笑って過ごすことになるというのに。そして、それは私も。なまえの隣で時に迷い、時に悩み、時に苦しみながらでも必ず最後に行き着く先には幸せが待っている。なまえがいてくれるから。それだけで私は誰よりも幸福になることが出来るのだから。


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