雑渡さんと一緒! 99


私は随分と長い間意識がなかったらしい。だけど、雑渡さんは毎日病院に通い、私を献身的にお世話してくれていたそうだ。あまりにも痛々しくて見ていられなかったと昨日連絡したきぃちゃんから聞き、私は思わず泣いてしまった。
私の肌も、髪も、爪も入院する前よりもずっと綺麗になっていた。毎日たくさん話し掛けてくれ、笑い掛けてくれていたそうだ。あまりに申し訳なくて、謝っても謝りきれない。
雑渡さんは随分と痩せていた。顔色も物凄く悪かった。私にばかり気を使って、自分のことは何も気に掛けていなかったということがよく分かった。だけど、それを怒るに怒れず、本当に申し訳なくなって、切なくなって、どうお礼を言ったらいいのかが分からなかった。それに、過去のことを全て思い出したことも。伝えた方がいいのだろうか。だけど、雑渡さんは過去にしたことをとても悔いていた。そんな悔いるようなことではないと私はやっぱり思った。私が死んだのは私のせいだ。私がもっと早くに文次郎よりも雑渡さんのことが好きだと言っていれば何かが変わっていたのだろうか。あの村に立ち寄らなければ、幸せに生きられたのだろうか。思うことはたくさんあるけど、そんなことを考えても最早、仕方がない。だって、あれは過去のこと、終わったことだから。
ところで私の朝ご飯はいつ運ばれてくるのだろうか。そんなことを考えていると、ガラリと扉が開いた。朝ご飯が運ばれてきたわけではなく、入ってきたのは雑渡さんだった。


「あれ、どうしました!?」

「何が?」

「えっ、面会時間って午後からですよね?」

「らしいね」

「らしいねって…怒られますよ?」

「そんな、今更とやかく言わないでしょ」


平然とした様子の雑渡さんは椅子に座り、コンビニの袋から珈琲とおにぎりを取り出した。体調はどう、と私に聞きながらおにぎりのフィルムを剥がしていく。私はまじまじとそれを見つめた。いいな、美味しそう。というか、狡い。酷い。
私がじっと見つめていることに気付いた雑渡さんは、海苔のいいにおいを漂わせているおにぎりをじっと見つめてから何かを考え込み、にまっと意地の悪い顔で笑った。


「ふ、いいでしょ」

「羨ましいです!」

「じゃあ、食べるのやめようか?」

「駄目!痩せた分食べて下さい!」

「はいはい。じゃ、そういうことで」


パリッと海苔のいい音をたてながら雑渡さんはおにぎりを食べ始めた。美味しい美味しい、とわざとらしく言いながら。私は悔しくて、ぎゅうっと布団を握り締めながら耐えた。
私はしばらくご飯が出ないらしい。昨日聞いた時は嘘だと思った。だけど、やっぱりいつまで経っても朝ご飯が運ばれてこないところを見ると本当だったようだ。何なら水も飲むことを許されていない。ぶら下がっている点滴には1200kcalと書かれている。これを一日に二本も入れられているから、カロリーだけはバッチリだ。そう、カロリーだけは。つまり、何も美味しい思いをすることはなく、カロリーだけを摂取しているということだ。こんなにも悲しいことはない。
私が涙を流しているのを見て雑渡さんはギョッとしていた。


「なに、泣くほどつらいの?」

「うぅー…ケーキが食べたいです…」

「そこはご飯じゃないんだ」

「だってぇ…っ」

「退院したら、美味しい物をたくさん食べに連れて行ってあげるよ。今のうちに行きたい所をリスト化しておきなさい」

「はぁい…」


しゅん、としていると、パキッと音を立てて雑渡さんは缶珈琲を開けた。部屋中に広がる珈琲の香りが恨めしい。


「も、もう来ないで下さい!」

「えっ。何で」

「羨まし過ぎておかしくなりそうです!」

「あぁ、それはごめん。ただなぁ…」

「何ですか!?」

「なまえと一緒じゃないと多分、私は何も食べない」

「はい!?どうしてですか!?」

「どうしてって…この九ヶ月ずっとそうしていたんだよ?今更一人で食べるなんて発想には至らないだろうね、到底」

「…そんなことを言われたら、駄目とは言えないじゃない」

「ふふん。でしょう?」

「もう、雑渡さん!」


雑渡さんは意地悪く笑いながら珈琲を口にしていた。悔しくて、唸ることしか出来ない。だけど、雑渡さんはあまりにも痩せ過ぎている。今にも倒れそうだ。なのに食べないと言われてしまったら私はもう駄目とは言えない。それを分かった上で言うのだから、本当に意地悪だと思った。


「…雑渡さんって、そんなに意地悪でしたっけ?」

「九ヶ月も私を放っておいたからね。意地も悪くなるさ」

「そんな、私にどうしろと…!?」

「健康診断」

「えっ」

「不整脈あり、要再検査」

「…み、見つけちゃいましたか?」

「見つけてしまったね。何か言うことがあるんじゃない?」

「だ、黙っていてごめんなさい…」

「よろしい。次は許さないから、絶対に、永遠に」

「永遠に…」


コン、とテーブルに缶珈琲を置いてから雑渡さんは私にキスしてきた。雑渡さんとこんな深いキスをするのは私に取っては昨日ぶりのことのようだけど、雑渡さんにとっては久し振りのことだったからか、いつもよりも激しく感じた。ぎゅっと雑渡さんに抱き締められ、私も雑渡さんの背に縋る。初めは珈琲と煙草の味があるキスだったけど、次第にいつもの雑渡さんの甘い味がするキスへと変わっていった。気持ち良くて、雑渡さんに愛されていると実感できる、激しいのに凄く優しさを感じるキス。息が苦しくなってきて、愛しくて、そして切なくなってきて、私は雑渡さんの服をぎゅうっと握り締めた。スーツではなく、私服だから、握り締めてもシワにならないし、問題ないと縋り続けた。
ここでふと、気が付く。今日は火曜日だ。至って普通の平日なのに、どうして雑渡さんは私服を着ているんだろう。


「…あれ?」

「んー?」

「えっ、し、仕事は行かなくていいんですか?」

「あぁ、クビになったから平気」

「…はい?今、何て?」

「会社、クビになった。だから、もうずっと休み」

「えぇ!?な、何で…ごほっ、の、喉が…っ」

「ほら、そんな大きな声を久し振りに出すから」


よしよしと雑渡さんに背中を撫でられ、咳込みながら息を整えた後、どういうことかと雑渡さんを見ると、雑渡さんは困ったような顔をして笑っていた。その顔から嘘を言っているわけではなく、本当にクビになったのだと分かる。


「ど、どうして…えっ、もしかして私のせいですか?」

「違うよ。私の問題だ」

「だけど、雑渡さん、あんなに仕事が好きだったのに…」

「残念ながら、そうだね」

「どうするんですか!?」

「近いうちに退職届を出しに行こうと思う」

「えぇ!?」


平然とした様子で雑渡さんは言った。どうしよう、私が倒れてしまったから雑渡さんはクビになってしまったのかもしれない。雑渡さんのことだ、献身的に私のお世話をするあまり、仕事が疎かに…なるかな?あんなに部下に迷惑を掛けたくないと言っていたのに。いや、だけど、きっとなったのだろう。そして、事情は分からないけど、クビになってしまったんだ。どうしよう、私のせいだ。私のせいで雑渡さんは大好きだと言っていた、やり甲斐があると言っていた仕事を失ってしまった。どうしよう。どうしたらいいの。
私が自分を責めていることに雑渡さんは気付いたのだろう。首を横に振った。そして、私の手を握り締めた。


「なまえは悪くない。これは本当に私の問題なんだ」

「だけど…」

「ねぇ、なまえ。私の見た目、どう?」

「どう、とは…?」

「佐茂には見る影もないと言われた」

「あぁ、確かにそうですね…」

「それに、肩書きがないどころか、職も失った。それでもなまえはこれからも私を変わらず、好きでいてくれる?」

「…?はい」

「本当?側にいてくれる?」

「???はい」

「ふ…はは、そう。それはよかった」


雑渡さんは可笑しそうに笑った。ちょっと、雑渡さんが何を言いたいのかよく分からない。分からないけど、凄く嬉しそうにしていた。この人、仕事を失ったのにどうして笑っていられるのだろう。こんなにも痩せているのに、何が可笑しいんだろう。遂におかしくなったんじゃないのかな。
私がそんなことを考えていると、ぎうと頬を摘まれた。


「いひゃい!な、何するんですか!?」

「何か失礼なことを考えていたでしょ」

「だ、だって…一体、これからどうするんですか!?」

「さて、どうしようか。まぁ、おいおい考えるさ」

「えぇ…!?」


雑渡さんはのんびりと窓の外を眺めていた。窓からは紅葉がよく見えた。そうだ、雑渡さんに紅葉を取るって約束したんだった。手帳に挟むって言っていた。あの、びっしりと仕事のことが書き込まれた手帳に挟むって…
私がまた泣くと雑渡さんは私の涙を困ったように拭って、抱き締めてくれた。どうしよう、ごめんなさい。私のせいでごめんなさい。あなたの大切なものを奪ってごめんなさい。
よしよしと雑渡さんは優しく撫でてくれたけど、私は謝りながら、しばらく泣くことしか出来なかった。


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