雑渡さんと一緒! 102


「方向性について伺いたいです!」

「方向性?」

「雑渡さんは私をどうしたいんですか?」


手すりを掴みながら肩で息をしているなまえは私を睨んできた。別に怖くもない。何なら可愛らしい顔をしている。
なまえが言いたいことは分かっている。要は中出ししたから怒っているのだろう。そんな、たかだか一回中にしたくらいで子供が出来るのなら、過去に妊娠していただろうに。なのに、あの頃は出来なかった。だから中でしたとしても子供なんてそう簡単には出来ないだろうというのが私が至った考えだった。それは私に抱かれていたなまえも分かっているはずなのに、何故こんなにも心配しているのかよく分からない。


「私はなまえの子供が欲しいと思っている」

「順序というものがありませんか!?」

「籍を入れるまでは待てってこと?」

「いいえ。卒業するまでは、です!」

「卒業?まだそんなことを言っているの?」

「当たり前です!だって、雑渡さん尼大卒なんでしょ!?」

「そうだね」

「尼大卒の方と結婚するのが落大中退なんて私は嫌です!」


遂になまえはしゃがみ込んだ。体力もないくせに歩きながら喋るから。それでも、随分と歩けるようになってきた。車椅子を要さずに生活出来るのはまだ先のようだけど。
看護師が持ってきた車椅子に乗せて、病室へと戻る。遂に今年も紅葉の季節が終わった。まだ外に出られないなまえに紅葉を貰うという約束は果たせなかった。それでも、今年取りこぼした約束事は来年実現すればいい。なまえの命は失われずにこうして今も私の側で生きていてくれているのだから。
なまえがベッドに腰掛けたのを確認してから小さな冷蔵庫からお茶を取り出して手渡し、私もなまえの隣に座る。


「私の学歴なんて結婚に何も関係ないでしょ」

「あります!馬鹿な嫁を貰ったと雑渡さんが笑われます!」

「何だ、そんなこと。大丈夫だよ」

「何が大丈夫なんですか!?」

「なまえを傷付ける奴は一人残らず私が始末するから」


あの看護師のように、と私が言うとなまえは身体を震わせた。可哀想に、怖い思いをさせてしまった。結局、相手は示談を希望したが私が許さなかったから裁判となる。まぁ、裁判に関しては照星に全て委託して私は証人にもなる気はないのだけど。腹が立つから極力関わりたくない。聞けば、私が目撃したあの一回だけではなく、何度も行為に及んでいたらしい。何なら、時には酸素を切って苦しんでいるところを見ては悦に浸っていたとか。理由は実にくだらないもので、なまえが私に献身的に世話をされていたことが羨ましかったそうだ。意味が分からないし、絶対に許さない。照星から話を聞いて、意地でも有罪判決にしてやることを私は誓った。
なまえは師長に謝罪された時は別に気にしなくてもいいと言っていたけど、流石に命が脅かされていたことを知って震えていた。当然私は激怒したし、病院ごと訴えてやるつもりだった。なまえに止められたから実行はしていないけど、この病院で私は怒らせるわけにはいかない存在となったことだろう。よって、多少なりとも融通が効くようになっている。


「まぁ、避妊に関してはこれからも努力する。極力」

「極力って何ですか!?」

「極力は極力さ。それより、籍を入れる日なんだけど、私が決めてもいい?出来れば3月がいいと思っているんだ」

「…2年後の3月ですか?」

「まさか。来年の3月」

「…やっぱり卒業までは待ってはくれないんですね?」

「逆に聞くけど、何で待たないといけないの?」

「いや、卒業は一つのけじめと言いましょうか…」

「まぁ、式はそうすればいいんじゃない?ただ、私は籍はどうしても先に入れておきたい。なまえが私と結婚してくれる意思があると分かった以上、こればかりは譲る気はない」

「何故ですか?」

「もうなまえと他人ではいたくないから」


今の私はなまえにとってはただの他人なのであると嫌というほど思い知らされた。なまえが倒れてから何度も何度も悔しい思いをした。もう二度とあんな思いはしたくない。
人との繋がりが希薄な私にとって家族とは未知の関係性だった。別に欲しいとも思っていなかったし、得られるとも思っていなかった。だけど、なまえに出会い、漠然と結婚したいと考えるようになった。ただし、その時の私はあくまでもなまえとずっと一緒にいられるための契り程度としか捉えていなかった。死にそうななまえの側にいればいる程、それは間違いであったと気付かされた。今の日本において家族を持たない人間の地位は低いようだ。家庭を築いて一人前、なんて古い思想もまだ残っている。婚姻関係になければ結局はただの他人にしか過ぎず、どんなに想いが強かろうともそれを認めてはもらえない。おかしな話だ。だけど、そういう価値観の国で生活している以上は致し方がない。私の想いを結婚していないからという理由で否定されるのは本意ではないし、そこまで結婚が強い拘束力を持つというのならば私としても好都合だ。結婚しようがしなかろうが私はなまえと離れる気など元よりなかったのだから。よって、籍は早く入れたい。


「だいたい、どうして3月なんですか?」

「入籍日はなまえと初めて出会った日がいいから」

「初めて…いつでしたっけ?」

「やっぱり覚えていなかったんだ。そう、それは寂しいね」

「…26でしたっけ?」

「違う。3月27日だよ」


なまえが私に会いに来てくれた日。私が過去を全て思い出し、人を愛することの喜びと世界の美しさを知った日。かけがえのない日常が始まった、忘れられない日に私はなまえと籍を入れたかった。まだ先のことだ。だけど、これは一生涯覆すことの出来ない記念日となるのだ、適当に決めたりはしたくなかった。絶対に後々後悔するだろうから。
私がそう言い終わると、なまえはくすくすと笑い出した。


「雑渡さんて案外、ロマンチストなんですね」

「そう?初めて言われた」

「私も初めて知りました。意外ですね、雑渡さんが記念日とか覚えているタイプの人だなんて思ってもいませんでした」

「付き合った日も覚えているよ」

「えっ」

「なに。それも覚えてないの?」

「4月…」

「あぁ、もういいよ。そもそも4月じゃないし」


どうして忘れられるんだろう。どの日も凄く嬉しかったから私は忘れられない。別に手帳に日を記しているわけでもないけど、はっきりと覚えている。何なら、初めて身体を重ねた日も、同棲し始めた日も、なまえが倒れた日も覚えている。なまえが倒れた日に関しては忘れたいと思っているけど、残念ながら私の誕生日の翌日だったから忘れられもしない。
何だか、私ばかりが好きなようで寂しくなってきた。こんな女々しさもなまえと出会ってから知ったことだけど、これは別に知りたくなかったし、こうなりたかったわけでもない。


「もう。拗ねないで下さいよ」

「拗ねてない。どうせ私との思い出なんて何も覚えていないんでしょ?いいよ、別に。なまえはそういう子なんだから」

「それを拗ねていると言うんですよ。もう…」

「悪かったね、幼稚で」

「私、ちゃんと覚えてますよ?日付以外は」

「どうだか」

「本当ですって。ね、機嫌直して下さい?」


そっと頬に手を当てられ、困ったように笑うなまえはきっともう私がどうすれば喜ぶのかなど分かっているのだろう。現に私の小さな怒りなど今現在はないに等しいものとなっているのだから、つくづくなまえは狡い子だと思う。
兎にも角にも、入籍日に異論はないようだから、無事に3月27日に決定した。ただし、どうしても大学はストレートで卒業したいと言う。結婚しても大学を辞めさせる気などなかったし、留年することなく卒業出来るのなら、それに越したことはない。ただ、私はなまえが何故そんなにも卒業に拘るのか、この時にはよく分からなかった。だけど、両親からの教えなのだろう程度にしか思っていなかったから、この時には特に深く追求したりしなかった。
なまえが卒業に拘る理由については後々知ることとなり、そして、それが原因で未だかつてない程の大喧嘩に発展することになるのだが、それはまだ大分先の話だ。


[*前] | [次#]
雑渡さんと一緒!一覧 | 3103へもどる
ALICE+