雑渡さんと一緒! 104


我が社には社員食堂がある。だけど、私は滅多に利用しない。外回りのついでに昼は外で済ませることが多いし、社員食堂はいつも混んでいるからだ。そして、なまえが倒れてから私は三食全て病院で摂ると決めている。だけど、なまえは今日は造影剤を使用した検査があるから昼食がない。羨ましくなるから絶対に来ないで、と言われてしまい、仕方がなくこうして社員食堂を利用している。
社員食堂の雰囲気は悪い。私が行くなり、そこかしこから何かひそひそと話をしている声が聞こえてくる。実に不快だ。喧嘩なら買ってやるから直接言ってこいと思う。苛々しながら割り箸を割ると、隣に同期である佐茂が座ってきた。


「よぉ」

「…あぁ」

「何だよ、機嫌悪いな」

「別に」

「隣いいか?」

「どうぞ」


苛々としながら白米を口にしていると、隣に座った佐茂が無言で小鉢を差し出してきた。意味が分からなくてつい佐茂を怪訝な顔で睨んでしまう。だけど、佐茂は特に臆しない。それが佐茂のいい所であり、そして私が救われる所でもある。


「なに」

「お前、痩せ過ぎだろ。やるよ」

「いいよ、別に」

「彼女、全快したんだって?祝いだよ、祝い」

「あぁ。佐茂は茄子が嫌いなんだっけ」

「お。バレたか」


ま、そういうことなら、と小鉢を貰う。かくいう私も茄子はあまり好きではなかった。理由らしい理由はない。ただ、火が通った茄子の見た目が好きではなかっただけ。
なまえが初めて茄子の煮浸しを作った時はまだ付き合ったばかりで、あまり好きではないとは言えず、勇気を出して口にすると予想よりも遥かに美味しかったから好きになってしまった。何なら茄子の味噌汁は私の好きな具材の一つだ。
なまえが私のために用意してくれる食事はどれも美味しいと感じた。食わず嫌いだった物も食べられるようになったし、好きになった物もたくさんある。ポトフとかロールキャベツがいい例だ。早くなまえの作ったご飯が食べたい。家でなまえと一緒にご飯が食べたい。そんな願いはもうすぐ叶う。全ては今日の検査次第だ。だから、早く結果が聞きたいのに、残念ながら結果を聞けるのは明日になるそうだ。なのに明日は忙しい。予定が朝からぎっしりと詰まっていて、昼に病院に行く時間を確保できるかさえ疑わしかった。だったら、今日できることは今日のうちに片付けてしまいたい。昼食なんて適当に済ませて早く仕事に戻りたい。そんな思いから私は外に食べに出ずに嫌々ながらでも社食へと赴いたわけだ。


「なまえちゃん、いつ退院なんだ?」

「人の婚約者を気安く呼ばないでくれる?」

「…婚約者?」

「プロポーズしたから。先日」

「マジかよ!?お前、なまえちゃんと結婚すんの!?」


ざわっ、と一際うるさくなった。ひそひそどころか、はっきりと私の話をしていることが耳に入ってくる。あぁ、鬱陶しい。私にだって結婚したいほど好きな女くらいいる。いて悪いか。お前たちは私をどう思っているんだ。
苛々としながら唐揚げを口にする。もう、私のことは放っておいて欲しい。関係のない奴がとやかく言うな。それも、陰で好き勝手に。どこに行っても私を勝手に噂の標的にされることは不快なんて言葉では言い表せなかった。これは生涯付き纏うのだろうか。昔から噂の対象にされてはいたけど、ここまで酷くはなかった。それは死の間際に人から羨まれる程の見た目に生まれたいと願ったからなのだろうか。だとすれば、これは失敗だ。あまりにも弊害が多過ぎる。そもそも、なまえは別に私の容姿など気にも留めていないのだから、無意味な願いだった。何故、私は前世でそれに気付かなかったのだろうか。なまえが見た目で人を判断するような子だったなら、そもそも私から早々に離れていっただろうに。過去のこととはいえ、己のあまりの愚かさに嫌気がさした。


「感慨深いな。雑渡が遂に身を固めるのか」

「入籍はまだ先だけどね」

「卒業まで待つ的なことか?」

「いいや。流石にそんなには待たない。3月」

「へぇ。それでも随分と先だな」

「まぁね。決算期を乗り越えてからだから」

「あぁ…」


自分で言っておきながら、溜め息が出た。年末処理さえ終わっていないというのに、決算期のことなど考えたくもない。間違いなく地獄を見ることになる。それは経理部の佐茂も同じで、どの部署も死ぬ気で締め切りまで走り抜くこととなるのだろう。それでも、憂鬱ながらもこなすことが今年度は出来そうだ。仕事の有り難みを再確認することが出来たのだから。それに、なまえとの入籍を控えていると思えば、死闘ながらも頑張れるだろう。まぁ、多分だけど。
そして、露骨にジロジロと見られていることに限界を感じた私は周囲を睨みつけた。慌てたように席を立つ奴、目線を逸らしてわざとらしく咳払いをする奴、反応は様々だったが、とりあえず周囲は静かにはなった。思わず溜め息を吐く。


「お前さ、もうそういうのやめろよ」

「は?何が」

「みんな雑渡のこと、気にかけてるんだよ」

「私にとっては迷惑極まりない」

「お前は今も昔も人気者なんだから仕方ねぇだろ」

「はぁ?どこが」

「本当、雑渡は人の気持ちに疎いよな。まぁ、人間らしくて俺はいいと思うけどな。俺は好きだぜ、今の雑渡のこと」

「…さては、馬鹿にしてるな」

「してねぇよ。邪推すんな」


佐茂は手を合わせて立ち上がったかと思えば、手を振って離れていった。私も残っていたお茶を飲んで立ち上がる。まだ外野から見られていたけど、もう睨む気にもなれなかった。
午後の仕事を片付けて病院に向かう。流石になまえの夕飯には到底間に合いそうもなくて、先に食べているようメールで伝えておいた。こればかりは仕方がない。復帰したばかりとはいえ、私が定時で上がれることなど奇跡に近いのだから。コンビニで弁当を買って病室に向かうとなまえは私を労ってくれた。そして、紙皿に乗った料理を差し出してきた。


「なにこれ」

「今日、作ったご飯です」

「えっ。どこで?」

「リハビリのプログラムであったんです。作業療法の一環で調理が。ほら、雑渡さんずっとコンビニのご飯だったから」


特に野菜が不足しているから、と差し出してきた料理をまじまじと眺める。葉物が入った玉子焼き、心なしか人参の多いハンバーグ、どう見ても美味しそうな付け合わせの野菜。ラップを開けるとなまえの作ってくれたご飯の香りがした。
一口食べると、あまりにも感慨深くなった。なまえが作ってくれた料理の味がする。ずっと口にしたいと望んでいた、今となっては懐かしく、優しい味がする。物凄く美味しい。


「本当は今日のプログラムはハンバーグだけだったんですけど、私が我が儘を言って玉子焼きも作らせてもらったんですよ。雑渡さん、私の作った玉子焼き、好きでしたよね?」

「…うん」

「美味しいですか?」

「…うん。美味しい」

「やったぁ。実は週に三回あるんです、料理のプログラム。野菜をいっぱい使ったご飯を作るので、食べて下さいね?」

「…うん。ありがとう」

「あれ、雑渡さん…?」


こんなことをされたら、泣いてしまう。もう二度と口にすることは出来ないとまで覚悟していたなまえのご飯。私のために作ってくれた、とても懐かしい味がする。色んな想いが溢れ出てきて、泣くなという方が無理がある。
なまえは私の心臓を止める気なのだろうか。愛しさと切なさのあまり、おかしくなりそうだ。どうしてなまえはこうして何でもないような顔をしながら私の心を射止めてくるのだろうか。愛しくて堪らない。折角、婚姻日が決まったというのに、今すぐにでも結婚したくなってしまう。愛し過ぎる。
私が涙を流したことでなまえは料理が不味かったのかと心配していたけど、そんな見当違いの発想さえも愛しい。
やり直そうと思った。なまえが退院したらプロポーズをやり直そう。給料の三ヶ月分の指輪を贈って、もう一度プロポーズし直そう。私がどれだけなまえを愛しているのかなど言葉にはしきれない。だけど、拙いながらも言葉にして伝えよう。過去に私が出来なかった、想いを伝えることは決して恥ずかしくないわけではない。だけど、どうしても伝えたい。言いようもない程に私がなまえを心から愛していることを。


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