雑渡さんと一緒! 108
今年も無事に終えることが出来そうだ。前もってやっていたから年末処理も比較的に楽に終えられたし、ハウスキーパーに大掃除を頼んでいたから今年はなしということになった。
そして、私は無事に年越し蕎麦にありつける。去年はなまえが怒っていたから静かに食べたが、今年は話しながら頂けそうでホッとする。相変わらず豪華な蕎麦だ。海老の天ぷらと油揚げの両方が乗っている。よく出汁を吸って美味しそう。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
ふくふくの油揚げを割ると中から出汁が出てきて、それだけで食欲がそそる。油揚げで蕎麦を巻いて口にする。噛むとじゅわっと口いっぱいに出汁の香りが広がった。次に海老の天ぷらを口にする。出汁を吸っているはずなのに、まだサクサクの所もあって美味しい。あぁ、生きていてよかった。
なまえはそういえば初詣は、と蕎麦を冷ましながら言った。
「今年は年明けに行きませんか?」
「いいけど、何で?」
「2日にお菓子を撒くので」
「何それ」
「豆まき的な?」
「ふーん…でも、初詣なのに2日でいいの?」
「初詣は3日までですよ」
「へぇ…」
まぁ、何だっていいけど。どうせ初詣なんて興味ないし。
じゃあ、年末年始は何をしようかとなまえに聞くと、首を捻った。元旦はどこもやっていないし、私が思いつくのは初姫くらいなものだ。まぁ、正月に限らずヤるにはヤるけど。
都会はどうだか知らないが、この田舎町の元旦は静かなものだ。積雪していることもあるし、あえて何処にも行かないというのが私に限らず普通の思考だ。スーパーすらやっていないのだ。どうしても元旦に出掛けたいのなら、県外まで出向くしかない。去年は家でのんびりとお節料理を食べて過ごしたが、今年はどうしようか。せっかく、なまえは退院することが出来たのだ。なまえの望む所に連れて行ってやりたい。
「今年も家で過ごすと思っていました」
「それでいいの?」
「はい。雑渡さんとのんびり過ごしたいです」
「ふーん…あぁ、それなら、あいつに挨拶にでも行こうか」
「あいつ?」
「なまえの実家に行こうよ」
結婚の挨拶もしたいし、と私が言うと、なまえは露骨に嫌そうな顔をした。あれ、まだそんな感じなのだろうか。あんなにも毎日病院に出向いていたというのに。だけど、なまえが目を覚ました途端に来なくなったのだから素直ではない。
奴の職場で顔を合わせることはあっても、なまえのことが話題にあがることはなかった。本当は気になっているのであろうことは見て取れたけど、それでも何も言ってこないところあたりが本当になまえに似て素直ではない。いや、あの頑固さはなまえ以上だろう。懐柔するのには骨の折れそうな相手だ。それでも、月に何度か顔を合わせる機会があるから、随分と分かるようになってきた。まぁ、情けない話ではあるけど、あの男の前で何度も泣いたし、何度も弱音を吐いた。だから、もう私が普段虚勢を張って仕事をしていることにも気付いていることだろう。つまり、もうお互い腹を割って話をする段階まで来ている。例え結婚に反対されても、本音で話をすることの出来る人間なのだと思えば、会うことがそこまで私は嫌ではなかった。まぁ、手こずりはするだろうけど。
「あの人、絶対に反対しますよ?」
「だろうねぇ」
「時間の無駄です」
「それでも、しないわけにはいかないでしょ」
「どうしてですか?」
「だって、結婚したら私の義父になるし」
「わぁ、嫌な響きですね」
「そう?私は嬉しいけど」
「あんな人でもですか!?」
「あんな男でも、なまえの父親だもの」
「…雑渡さんってやっぱり変わってますね」
「ほぉ?」
「あ!嘘…いひゃい!」
ぎう、と左手で頬を摘む。右手に持っていた箸を置いて、私は手を合わせた。蕎麦って美味しいけど、すぐ食べ終わってしまうから後が寂しいんだよなぁ。物足りない。
時計を見るとまだ19時前だった。年越しまでまだ5時間以上もある。別に私は年越しは特別だという思考があるわけでもなせれば、特別起きていたいとは思わないけど、いつものように風呂に入って寝るというのも物足りない話だ。一人ならまだしも、なまえといるのに。といっても、どこに行っても混んでいるだろうし、年末だから閉まるのも早いだろう。さて、どうしたものかと思っていると、温浴施設のCMが流れた。去年の春、うちが買収した施設だ。それなりに売り上げているようだけど、年末年始の客入りはどうなんだろう。
「温かいお風呂、いいですね」
「そうだねぇ」
ここ最近、二人で入っていて思うけど、家の風呂は長時間入るには向いていない。浴室が寒いから。近いうちに改装した方がいいだろう。ついでに洗面台も古いから新しい物に変えようか。そのついでに洗濯機も変えよう。年が明けたら何日かかるか業者に聞かないといけないな、と思っているとなまえがわくわくとした顔をして私を見ていることに気付いた。
「…行きたいの?」
「はい!」
「今日って何時までやってるんだろうね」
「24時までって言っていましたよ」
「流石、よく見てるね。じゃあ、行こうか」
行ったことないけど、銭湯なんて。どうせ行っても別々に入ることになるんだし、温泉でもないから大して温まらないだろうと思っていた。だけど、予想よりもずっと温まった。それに、人入りが悪い。予想よりも空いていた。思わず経営は大丈夫なのかと思っていると、支配人が奥から出てきた。
「随分と空いてるけど、大丈夫なんだろうね?」
「今日は年末ですので」
「本当だろうね?しっかりやってよ」
「はい。それより、お一人ですか?」
「いいや。彼女と来てる」
「あぁ、それじゃあ待ち時間が長くなると思うので、よければ食堂でお待ち下さい。今日はそちらも空いていますよ」
「…本当に大丈夫なんだろうね?」
「売り上げはご存知の通りですから」
確かにここの売り上げは悪くない。どちらかといえば、年々よくなっていた。男湯を見る限りでは改装されていて綺麗だし、露天風呂も悪くなかった。強いて言えば木の手入れをもう少しした方がいいと思ったくらいで。まぁ、それに関しては担当者に引き継いでおこうか。ここは確か…あぁ、駄目だ。尊奈門にはまだ荷が重すぎる。仕方ない、私も手伝うか。
食堂にはそれなりに人がいた。見事に男ばかりで、少しギョッとする。女が長風呂というのは知ってはいたけど、ここまで露骨に男ばかりいると不安になる。私は今日中に家に帰ることが出来るのだろうか、と。それはここで待っている男たちも同じことを考えているようで、ぼんやりと酒を飲んでいる奴が多かった。これ、介入したら儲けに繋がるのではないだろうか。待ち時間が長いということは、逆にいえば金を落とさせるいい機会だ。私は今までこういう施設には来たことがなかったけど、他はどうなっているのだろうか。一度、偵察も兼ねてなまえと巡ってみるのも悪くないかもしれない。そうだな、そうしよう。あぁ、でも温泉に行きたいなぁ。内風呂がある所。二人で入った方がやっぱり風呂は楽しいし。
私がビールを飲みながら来年のことを考えていると、なまえが顔を覗き込んできた。そして、ふわっと笑った。
「お仕事のことを考えていましたね?」
「まぁ、そんなところ。それより、早いね」
「うちは父を待たせると煩かったので」
「あぁ、成る程…私は別に怒らないから、次からはもっとゆっくり入ってきなさい。こうして酒でも飲みながら待つから」
「あっ!どうやって帰るんですか!?」
「代行を使うよ。それより、アイスでも食べたら?」
「えっ!いいんですか?」
「どうぞ?」
なまえは嬉しそうにタブレットでメニューを見ていた。ついでに私もつまみとビールを頼む。リストバンドを読み込んで事後精算出来るシステムを導入しているところは高評価しておこう。いちいち財布を出さなくていいから楽でいい。
今年は長かったなぁと一年を振り返ってみて思う。なまえの意識がなかった期間なんて気が狂いそうなほど長かった。つらかったし、たくさん反省もしたし、凄く寂しかった。それでも、今こうしてまた一緒に過ごせていて、なまえは私に笑い掛けてきてくれている。結果論で言えば、いい年だった。
「なまえの来年の目標はさ、」
「はい?」
「私に遠慮しないこと」
「してませんよ?」
「してるよ。例えば長風呂をする、とか」
「だって、雑渡さんのこと待たせちゃう」
「ほら。遠慮している」
「…これ、遠慮なんでしょうか?」
「そうだよ。あと、食べたい物をねだる、とか」
「だって、雑渡さんのお金だし」
「もう結婚するんだよ?そんなつまらない遠慮は要らない」
「うーん…」
「いいね?なまえの来年の目標だから、これ」
「じゃあ、雑渡さんの来年の目標は何ですか?」
「特にない」
「あっ!狡いですよ、それは!」
なまえは私に抗議してきたけど、スプーンでアイスを掬って口に入れてやると黙った。不満げではあったけど。
来年の3月に私たちは結婚する。夫婦になるのだ。だから、私にはもう何の遠慮もしなくていい。まぁ、別に結婚していない今でも遠慮なんてしなくていいけど、結婚したら余計に遠慮などいらない。好きな物を買っていいし、別に私のことを振り回してもらって一向に構わない。むしろ嬉しく思う。
家に帰り、除夜の鐘の音を聞く。こうして過ごす年越しというのも案外わくわくするものなのだと知り、本当になまえと一緒にいると色んなことを知ることが出来るなぁと思っていると、なまえがそっと体重を預けてきてくれた。そのまま肩を抱く。こんな穏やかな日常をまた送ることが出来るようになるなんて、ほんの数ヶ月前には思ってもみなかった。
来年はどんな一年になるのだろうか。何にしても、なまえと一緒なら楽しく過ごせることに間違いはないだろう。
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