雑渡さんと一緒! 107


ふるふると私が震えていると、雑渡さんもふるふると震えていた。雑渡さんの所に走って行って叩いてやりたい気持ちになったけど、今は無理なので口で文句を言うことにした。


「ちょっと!笑い過ぎですよ!?」

「笑ってない、笑ってない」

「どうして雑渡さんは平然としていられるんですか!?」

「悪いね、運動神経がよくて」

「もう!コツとか教えて下さい!」

「コツねぇ…そんなものないんじゃないの?」

「嘘だぁ。だって、私、まともに立てないんですよ!?」

「ふっ、くくくく…っ」

「だから、何がおかしいんですか!?」

「だ、だって、生まれたばかりの動物みたい…っ」


雑渡さんは目に涙を浮かべて笑っている。酷い。いくら私が生まれたての子鹿のように震えているからって、そんなに笑わなくてもいいじゃない。世の中には得意不得意というものがあるだろう。雑渡さんは運動全般が得意なのかもしれないけど、私は苦手。ただそれだけのことなのに、こんなにも毎回毎回笑わなくてもいいじゃない。
手すりを伝いながら雑渡さんの所に行こうとすると、つるっと滑って倒れそうになった。手すりが近くにあってよかった。転ばずに済んだから。だけど、雑渡さんは耐えきれなくなったようで、声を出して笑い出した。酷い。酷過ぎる。


「もう!そんなに笑うことないじゃない!」

「は、はは…ごめん。ちょっと待って。落ち着くから…っ」

「もういいです!もう、知らない!」


私は怒りながら雑渡さんに背を向けた。カツカツと氷を削りながら歩くと、背後から雑渡さんの笑い声が聞こえた。そして、スッと滑らかに近付いてきて、背後から腰を抱かれた。


「はは、ごめんって。ね、一緒に滑ろ?」

「もういいです。どうせ私は運動音痴ですよ」

「そうだね。知ってた」

「うぅー…コツ!コツは何ですか!?」

「だから、そんなものはないって。というか、知らない。私だってスケートなんて生まれて初めてやったんだから」

「嫌味ですか!?」

「いいや、ただの事実だよ。とりあえず、氷を削るのはやめなさい。他の人にご迷惑だから。こうやるんじゃないの?」


雑渡さんは手すりから離れて、スッと滑っていった。あまりにも滑らかで、初めてやったなんて嘘なんじゃないかと思ったくらいだ。
テレビで【スケートデートは彼に惚れ直させるチャンス】とか言っていたから来てみたら…可愛いと思ってもらうどころか馬鹿にされている。何なら、雑渡さんをかっこいいと思い直す機会となっている。あと、意地悪だと再確認もした。悔しい。あんなにも楽しそうに滑っていて羨ましい。


「そうだ、手を引いて下さい」

「いいけど、私、本当に初めてなんだからね?」

「はいはい。そんな謙遜は要りません」

「本当なのに。ほら、おいで」


雑渡さんが差し伸べてくれた手を握り、恐る恐る手すりから手を離すと、どこに重心を置けばいいのか分からずに私はやっぱりあわあわとしてしまった。だけど雑渡さんはバランスを崩しそうになった私を支えてくれて、そのまま氷の上を滑る。ようやく滑れるようになった…気がした。だけど、滑っているのは私ではない。雑渡さんだ。まるで介護されているかのように両手を引かれる。悔しいけど、この手は離せない。


「いいですか、離さないで下さいよ!?」

「はいはい」

「ひっ、ひぇ…っ」

「あ」


ドスッと雑渡さんと一緒に倒れた。雑渡さんも私を支えきれると思ったのだろう。転んだことに驚いている様子だった。
雑渡さんは悔しそうな顔をして、私より先に起き上がった。


「ごめん。ん、立てる?」

「う、わぁっ」

「よしよし。ちょっと、ごめん。練習させて」


雑渡さんは本当に悔しかったのだろう。私を手すりに誘導してから一人で滑り始めた。滑らかに滑り始めた雑渡さんは少し滑っては止まり、少し滑っては止まるのをひたすら繰り返していた。あまりにも真剣な表情をしていて、こういう努力家なところが雑渡さんらしい。
雑渡さんは顎に手を当てながら私の所にスッと戻ってきた。


「何となく分かった。よし、行こう」

「もういいです。私には無理です」

「大丈夫。何なくコツが分かったから」

「本当ですか?どうやるんです?」

「こう、地面を蹴る感じ…で、重心は前足に意識する感じ」

「こ、こう…?」

「あぁ、そうそう。なんだ、滑れているじゃない」


雑渡さんに教えられた通りに手すりに掴まりながらでも私は滑り始めた。もう足は震えていない。あれ、これは出来ているんじゃないだろうか。私、滑れているんじゃない?
嬉しくなって手すりから手を離すと、私はやっぱり転んだ。


「うぅ、悔しい…っ」

「なまえは初めてなんだから、仕方ないよ」

「雑渡さんもでしょ!?」

「私は運動神経がいいからねぇ」

「だから、嫌味ですか?」

「だから、事実なんだって」


くすくすと笑う雑渡さんに手を引かれて、私はどうにか氷の上に立つことが出来るようになった。首に巻いているマフラーが揺れる。私が去年雑渡さんに贈ったマフラーと同じブランドの物だ。色違いの、雑渡さんとおそろいのマフラーは雑渡さんからのクリスマスプレゼントだった。
私は今年はアルバイトが出来なかった。だから、雑渡さんにプレゼントなんて用意出来なかった。それを分かっていたのであろう雑渡さんは「もう結婚するんだから、何も物は要らない」と言った。そして、「その代わり私の好きな物を作ってよ」と言ってくれた。なのに、雑渡さんからはプレゼントを貰ってしまった。私が入院している間にもたくさん高価な物を買い与えてくれていたのに、申し訳なくなってしまう。


「…なんか、雑渡さんに頼ってばかりで悔しいです」

「そう?私はなまえを頼りにしているけど?」

「どこがですか」

「私の生活を支えてくれるんでしょ?これからも」


ふ、と雑渡さんは嬉しそうに笑った。あぁ、もう。本当に今日は雑渡さんに惚れ直す日になってしまった。子供っぽいところもある人だけど、雑渡さんはやっぱり大人なんだ。


「なんか、雑渡さんがかっこいいことを再確認しました」

「おや。それは嬉しいことを言ってくれるね」

「はぁ…本当に雑渡さんは努力家ですよね。尊敬します」

「努力家?」

「だって、滑れなくて悔しかったんでしょ?それで諦めずに練習して、滑れるようになるなんて凄いことです。私なんてすぐに諦めてしまうのに…頑張って得た結果を運動神経がいいなんて一言で片付けるところが雑渡さんらしいですけどね」


私なら声を大にして言ってしまう。いや、まぁ、そもそも雑渡さんほど練習を重ねようなんて思えない。向いていないんだと諦めてしまう。それをしない雑渡さんには尊敬しかないし、そういうところが雑渡さんのかっこいいところだ。
雑渡さんに可愛いと思ってもらうどころか、ますます雑渡さんのことを好きになってしまった。悔しいなぁと思っていると、雑渡さんは私の手を離して口元を覆った。途端に私はまた生まれたての子鹿のようにふるふると震えてしまう。


「離さないでって言ったじゃないですか!」

「いや、だって…」

「だって、何ですか!?」

「…あぁ、もう。悔しいなぁ」

「はい?」

「私は到底なまえには敵わないよ」


はぁ、と溜め息を吐いた雑渡さんの頬は赤くなっていた。きっと、私の頬も赤いのだろう。スケートリンクは寒いから。
雑渡さんは私に再び手を差し伸べてきた。雑渡さんの手を握ると、そのまま抱き締められた。そして「好きだよ」と言われて、私は頭が「?」で占領される。どうして今のタイミングでそんなことを言われたのか、さっぱり分からなかった。雑渡さんは悔しいとか、狡いとか言っていたけど、それは私の台詞だ。雑渡さんがかっこよくて悔しいし、狡い。私のことを惚れ直させたかったのに、逆になってしまった。この時はそう思っていた。
だけど、家に帰って一緒にお風呂に入りながら雑渡さんに「迂闊にもときめいてしまったよ」と嬉しそうに言われた。やっぱり私は雑渡さんのキュンとするポイントがよく分からない。何にしても、こうして雑渡さんに結果として好きだと思って貰えたのだとしたら一応は私の作戦が成功したということだ。ただし、完全勝利とはとても言えそうもない。


「私も不覚ながら、ときめいてしまいました」

「へぇ、いつ?」

「跪いて私のスケート靴の靴紐を縛り直してくれた時とか、自販機で温かいミルクティーを買ってくれた時とか?」

「普通のことじゃない」

「私だって普通のことしか言ってませんけど?」

「あれは狙って言ってるんじゃないんだ?」

「私がそんなに要領がいいとお思いですか?」

「…狙ってもいないんだとしたら、恐ろしい子だね」

「雑渡さんこそ」


くすくすと二人で笑い合いながら、どちらともなくキスをして、ぬるめに沸かしたお風呂の中でたくさん話をした。お互いのどういうところが好きなのかを。雑渡さんは嬉しそうに顔を赤く染めて笑っていたけど、絶対に私の顔も赤かったことだろう。
そして、お風呂から出ていつものように身体を重ねた。お互いの熱で汗ばみ、紡ぐ言葉にも熱が籠る。溶けそうなほど柔らかく、色気のある笑顔で愛を囁かれ、何度も何度もキスをして、たくさん笑い合った。
明日から雑渡さんはまた年末処理の続きをしなければいけない。今日は雑渡さんが無理矢理作ってくれた休日だということくらい私には分かっていた。それでも、雑渡さんが仕事を休んでいた時から手をつけ始めていたから今年の年末処理はずっと楽らしい。だから、こうしてクリスマスに二人でゆっくりと過ごすことはきっと今年が最初で最後となるだろう。それでも、今日は忘れられない一日となった。雑渡さんがどれほど素敵な人なのか、そして、雑渡さんがとれほど私を想ってくれているのかを再確認することができたから。


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