雑渡さんと一緒! 109


お雑煮にお餅を入れて煮込み始めると、背後から雑渡さんがそわそわと覗き込んできた。起きるなり食べたがったのだから、本当に楽しみにしていたんだろう。お椀にお餅を入れると雑渡さんはまるで子供のように笑った。
二人で手を合わせてお雑煮を食べ始める。お節料理の入ったお重を冷蔵庫から出すと、雑渡さんはお酒を飲みたがった。


「どうしよ。帰ってくるまで我慢すべきか…」

「飲めばいいじゃないですか」

「だって、これから結婚の挨拶をしに行くんだよ?流石に酔っていくのは人として駄目でしょ。だから、我慢するよ」

「実家に行くのをやめればいいだけじゃないですか」

「まだ言ってる。どうせ行く必要があるんだから、早いうちに行った方がいいでしょ。絶対に反対されるんだから、入籍予定日ギリギリに行って間に合わなかったら困るんだし」

「はぁ…」


行きたくないなぁと思いながら食器を洗う。どうして反対されると分かっているのに行かないといけないのだろうか。
雑渡さんはタクシーを呼んで、実家へと向かった。うちの実家周りには駐車場がない。だから、いつもタクシーで行くわけだけど、それでもお酒を飲もうとしなかった雑渡さんは偉いと思う。案外、そういうところはキッチリとしているというか、男気があるというか。酔った勢いで挨拶なんて出来ないという発想は勇気があると思う。そのくらい、あの人は雑渡さんのことを罵倒しそうだなと思った。
チャイムは鳴らさず、あえて鍵を使って家に入る。ちなみに、事前に連絡もしていない。雑渡さんが、事前に伝えていたら逃げるかもしれないから、と言っていたけど、その通りだと思う。だから、完全に向こうは油断しているだろう。


「お、お前ら…正月から何をしに来た!?」

「新年のご挨拶?」

「普通、何かしらの連絡をするだろう!」

「したら理由をつけて逃げるだろうなぁと思って」

「何だ、雑渡…正月からスーツなんか着て…俺は三が日は仕事の話をしないと決めているんだ!分かったら、もう帰れ!」

「いや、だから新年の挨拶に来たんだって」


落ち着きなよ、と雑渡さんは言ったけど、緊張しているのが伝わってきた。雑渡さんは静かに座ったから、私もその隣に座る。私まで緊張してきたし、何なら父も緊張している。
どう切り出すんだろうかと私がドキドキしていると、雑渡さんはふと仏間の方を見た。多分、さっきまで父がいたんだろう、いつもは閉ざされている仏間が開かれていた。あの仏間には小さな仏壇とお母さんが大切にしていた服やアクセサリー、それに、写真が置いてある。父と当時、泣きながら整理した部屋だ。あの部屋に入ると未だにお母さんのにおいがして、ほんの少し泣きそうになってしまう。だから、いつも閉ざされている。あの部屋に誰かと入ったことはないし、それは多分父も同じだろう。お母さんのことを思い出して、きっと泣いてしまうから。だけど、お母さんは笑っていた。だからきっと、待ってくれている。私たちが乗り越えることを。


「あの部屋には母の仏壇があるんです」

「…それ、私も参っていいやつ?」

「はい。母も喜ぶと思いますけど…」

「けど?」

「私、泣いてしまうかもしれませんけど、いいですか?」


私がそう言うと、雑渡さんは微笑んでくれた。だけど、父は複雑な顔をしていた。まだ私も父もお母さんの死を乗り越えることは出来ていない。だけど、雑渡さんなら急いで乗り越える必要なんてないと言ってくれるだろう。泣いていいんだよ、と言いながら私を抱き留めてくれるような人だから。
久しぶりに入った仏間は線香の香りがした。お母さんが好きだった百合の花が飾られている。父が用意した物だろう。写真立てに写っているお母さんの写真は笑い掛けてくれているけど、その写真は切り取られたもので、本当は中学生の私も隣に写っていた。その写真を撮ったのは父。その事実だけで泣きそうになった。お母さんだけが日常から切り取られた。
雑渡さんは写真を手に取り、まじまじと眺めてふと笑った。


「優しそうな人だね」

「…はい」

「これ、どうして一人なの?」

「えっ」

「お前な、普通は故人の写真を飾るものだ」

「そうなの?」


雑渡さんは腑に落ちないような顔をした。そして、写真立てを仏壇に戻してから畳の上に座って、静かに手を合わせた。その真剣な表情から、お母さんと話をしてくれていることが伝わってきた。それが私は嬉しくて、思わず涙が出た。
ねぇ、お母さん。あの時は助けてくれてありがとう。私、もうすぐ雑渡さんと結婚するんだ。お母さんが反対していた学生結婚になっちゃったけど、許してくれるかな。本当はまたお母さんに会いに行きたいけど、当分の間は会いに行けそうもないんだ。雑渡さんは一人にしたら何をするか分からない人だから。酷いんだよ、テーブルを煙草で焦がしたり、ご飯を食べなくて倒れたり、仕事をクビになりかけていたの。信じられる?大人なのにね。だから、私は雑渡さんの側で彼を支えることにするね。私がいないと駄目みたいだから。あ、だけどね?雑渡さんにもいいところがたくさんあるんだよ?それは本当だからね?私の大好きな人なんだ。だから、雑渡さんと幸せになるところを見守っていてね、お母さん。私も雑渡さんのために出来ることを頑張るから。そうだ、私ね、春から新しい挑戦をするって決めたんだ。きっと忙しくなるけど、また今度報告に必ず来るから待っていて。
私がお母さんに結婚の報告と抱負を伝え終わると、雑渡さんは優しく頬を撫でた。涙を拭ってくれたけど止まらなくて、私は雑渡さんに抱き付いてまた泣いてしまった。雑渡さんは優しく頭を撫でてくれた。泣いたっていい。受け入れられなくたっていい。雑渡さんが私の悲しみも受け入れてくれるから。そう思える人に出会えたことは本当に幸せなことだ。


「…ねぇ、お父さん。私、雑渡さんと結婚する」

「は…はぁ!?なまえが雑渡と結婚!?」

「あ、なまえに先に言われちゃった」

「私ね、雑渡さんが好きなの。私には雑渡さんしかいない。雑渡さんと一緒にこれからもずっと生きていきたいんだ」


きっと、こんなにも素敵な人は他にはいないから。私のためなら何だってしようとしてくれる人。私の全てを受け入れようとしてくれる人。だから、私も雑渡さんの全てを受け入れたい。この人を支えていきたい。これからもずっと。
私がそう言うと、雑渡さんは父に静かに頭を深く下げた。


「なまえと3月に結婚させて下さい」

「3月!?3月って今年のか!?」

「そう。お願いします、なまえを私にください。私が二人に代わってなまえを必ず大切に、幸せにすると約束するから」

「まだなまえは20歳だぞ?」

「知ってる」

「おまけに学生だ」

「知ってる」

「早過ぎはしないか?まさか、妊娠でもしたのか?」

「いいや?」

「じゃあ、卒業してからでも遅くはないだろう」

「私さ、なまえが倒れた時に思い知ったんだよね。なまえのことをどんなに想っていても私は所詮他人でしかないから何も知らされないと。何の決定権も与えられず、ただ見ていることしか出来ない。そんな思いはもうしたくないんだよ」

「あれ?そうだったんですか?」

「そうだよ。あぁ、もちろんなまえと一緒にいたいというのは本当だよ?だけど、早く家族になりたいと私が強く思っている一番の理由はそれ。だから、卒業まではもう待てない。私はね、なまえの一番になりたいんだ。なまえのことは全て一番に知っていたい。もう他人だからと弾かれたくない」


雑渡さんは寂しそうに笑った。病院で何があったのかは分からない。だけど、きっと私の知らないところで傷付くようなことがあったのだろう。
父は雑渡さんが話終わると神妙な顔をしたから、父も何となく雑渡さんの言いたかったことが分かるのかもしれない。


「…まぁ、反対したところで無駄なんだろう?」

「そうだね。でも、私はなまえを親と縁を切らせるような真似はしたくない。だから、認めてもらえるまでは頑張るよ」

「えっ。どうするんですか、何年もかかったら」

「何年も入籍は出来ないということになるだろうね」

「いいじゃないですか、別に反対されたって」

「よくないよ」

「どうしてですか?」

「なまえがこれまで両親から愛されて育ったからだと分かっているからだよ。こんな風になまえが優しくていい子に育ったのはなまえが両親に大切に愛情を掛けて育ててもらったからだ。それは誰でも出来ることではない。私がなまえに惹かれたのは紛れもなくなまえの両親のお陰だ。だから、私はなまえの両親に感謝している。こんなにも愛しいと思えるなまえを育んでくれたお陰で私は今、とても幸せなのだから」


だから、反対を押し切ってまで結婚は出来ない。大した人間ではないけど、ちゃんと一人の男として認めてもらえるまでは頑張るよ。雑渡さんはそう言って笑った。
そんなことを言われて泣かない人なんていないのではないだろうか。少なくとも、私も父も泣いてしまった。雑渡さんがどれだけ私を大切に想ってくれているのか伝わったから。それに、今ここにいる父だけではなく、お母さんのことも認めてくれているから。会ったこともないはずなのに、お母さんが私をどんな風に育てていたのか分かってくれていたから。


「…ちゃんと幸せにしてくれるんだろうな?」

「勿論。私に出来る限りは」

「お前の愛情は実直だし、重過ぎる」

「あー」

「だから、丁度いいのかもしれないな。母さんがいないとなまえに愛情を真っ直ぐに向けられるのはお前だけのだから。はぁー…いいか、本当はお前のことなんて認めたくない」

「だろうねぇ」

「だけど、お前がなまえを想っているのは知っている」

「だろうね。逆に知らないと怖いよ」

「いいか!絶対に浮気なんてするなよ!刺すからな!?」

「しないって」

「だったら…っ、なまえのこと、よろしくお願いします」


父は泣きながら雑渡さんに頭を下げた。父がこんな風に誰かに頭を下げている所なんて初めて見た。いつも威張っていて、弱いところなんて一切見せない人だったはずなのに。
雑渡さんは「ありがとう」と短く返事をして、微笑んでいた。二人のやり取りは私に関してのことのばずなのに、どこか他人事のような、まるでドラマを見ているかのような現実味のないことのように感じた。だけど、これは現実で、二人は私のことを大切に思ってくれていることが伝わってきた。だから、私はまた泣くしかなかった。
お母さん、私、もう、お父さんのことを許してもいいのかな。お父さんはお母さんのことを忘れたわけでも、私のことを蔑ろにしたわけでもなかったんだよね。ちゃんと私のことを大切に思ってくれていたんだよね。あの写真を撮ってくれた時みたく、幸せそうに私に愛情を向けてくれていたんだよね。そう信じてもいいんだよね。また、あの頃のように、お母さんがいた時のように戻っても、もう大丈夫なんだよね。
私はお父さんをぎゅうっと抱き締めた。初めは動揺していたけど、お父さんは泣きながら抱き返してきてくれた。それを雑渡さんは静かに笑いながら見守ってくれていた。
ありがとう、雑渡さん。私だけではなくて、私たち家族のことまで愛してくれて。あなたに会えてよかった。あなたに愛されてよかった。私を選んでくれて、本当にありがとう。


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