雑渡さんと一緒! 106
「美味しい」
「よかった」
「なまえの作ってくれるご飯よりも美味しいものはないよ」
「それは大袈裟です」
「本当なのに」
退院したら何が食べたいかなまえに聞かれたから、当然の如く答えた。唐揚げだ。冷蔵庫に眠っていた前もって指定されていた食材を帰るなりなまえは調理し始めてくれた。
サクサクで、噛むとじゅわっと溢れ出る肉汁。後味は生姜でさっぱりとしている。醤油が効いた衣がご飯によく合う。
「ご飯、おかわり」
「えっ」
「うん?」
「雑渡さん、いつもお弁当残していたのに…」
「だって、美味しいもの」
もう弁当は食べ飽きた。全てのコンビニの弁当を制覇したといっても過言ではない。固く詰められたご飯も、似たような味付けのおかずにも飽き飽きしている。なまえが作ってくれるご飯以上に美味しいものなどこの世にはない。
二杯目の白米を口にしながら、なめこの味噌汁を手に取る。あぁ、なまえの作ってくれた味噌汁の味がする。どこか懐かしくて、どこか安心する味。これからも続く、うちの味。
「そういえばさ、今年のクリスマスどうしようか?」
「年末処理真っ只中でしょ?」
「今年は前もって手を付けていたから、休めそう」
「えっ。本当ですか?」
「うん。どこか行きたい所ある?」
「あります!私、スケートに行きたいんです!」
「…スケート?」
これはまた意外なところを、となまえを見ると、入院中にイルミネーションで彩られたリンクがあると知ったらしい。
「雑渡さん、スケート出来ます?」
「やったことないから分からない」
「私はね…」
「知ってる。滑れないんでしょ?」
「ど、どうしてそれを…」
「分かるよ。なまえだもの」
なまえが運動全般不得意なことくらい聞かなくても分かる。ただ、滑れもしないのに行って何が楽しいのだろうか。そして、私も初体験だ。つまり、二人とも滑れない可能性がある。そんな所、本当に何で行きたいのか私には分からない。
だけど、まぁ行ってみたら案外楽しかったということもあるだろう。なまえと出会ってからそういう場が多いのだから、行ってみても損はないかもしれないということで、クリスマスの予定が何となく決まった。まぁ、多分私は滑れるような気がするし。自分でも恐ろしいほどに運動神経がいいから。
「ごちそうさま。食器は私が洗うよ」
「えっ。いいですよ、別に」
「いいじゃない。やらせてよ」
家事くらい私だって出来る。掃除以外なら、の話だけど。あと、洗濯も苦手だけど。干すのが無理。だから、なまえがいない時はコインランドリーの世話になりっぱなしだった。そろそろ乾燥機がついた洗濯機を買うべきだろうか。いや、買うべきだな。その方がなまえは絶対に楽だろう。
水で皿を洗っていて、ふと気がつく。脂が落ちない。いつまでもベタベタとする。私が首を傾げると、なまえは笑った。
「雑渡さんって生活IQが低いんですね」
「どういうこと?」
「脂はお湯を使って洗った方がいいです」
「何で?」
「落ちないから。珈琲を淹れたので、代わります」
「いいよ、やるから」
「いいから。ね?」
ほら代わって、となまえにスポンジを取り上げられてしまう。仕方なく、ソファで温かい珈琲を口にする。冷えた手がカップで温まって、少し痺れた。
しばらくすると、なまえが自分の珈琲を持って隣に座った。
「…なんか、ごめん」
「はい?」
「家事をちゃんとやろうと思ったんだけどなぁ…」
「あぁ。別にいいです、そんなことしなくて」
「だけど、私はいつもなまえに任せっきりだから」
「いいんです。私、雑渡さんのために家事をすることは嫌いではないので。というよりも、むしろ家事が好きなので」
「えー。嘘だ」
「本当ですよ?雑渡さんの生活を支えているんだって思うと誇らしいので。まぁ、ただの自己満足なんですけどね」
えへ、と照れたように笑うなまえが愛しくて、思わずキスをする。相変わらずいい子というか、甲斐甲斐しいというか…本当に私はいい女をお嫁さんに貰えることになったものだ。
キスを重ねていると、このまま押し倒したくなった。もう随分となまえを抱いていない。病院でした一度限りだ。我ながらよく我慢したものだ。なまえの意識がない時は流石に性欲など微塵もなかったが、意識が戻ってからはそれはそれはつらかった。ちょっと、おかしくなりそうな程に。
このまま抱こうかと思ったけど、いいことを思い付いた。
「そうだ、風呂だ」
「はい?」
「一緒に入ろう」
「えっ…い、嫌です!」
「何で?」
「普通に恥ずかしいです!」
「もう私はなまえの身体は隅から隅まで見ているのに?」
「ぎゃあっ!な、何てこと言うんですか!?」
「だって事実だし」
そもそも、既に一度、一緒に風呂に入っているし。だけど、あの時はなまえの身体のことが心配で仕方がなくて、せっかくの風呂を楽しむどころではなかった。実に勿体無いことをした。いや、あの時はあれが正解といえば正解だったのだろうけど。何にしても、風呂でヤるのも悪くないだろう。
そんなわけで、嫌がるなまえの服を脱がせて抱きかかえ、浴槽に入る。風呂なんて私自身、久しぶりだ。一人だと風呂を沸かすのも面倒でシャワーで済ませてしまっていたから。
「あぁ、温泉とか行きたいね」
「…そうですね」
「まだ照れてるの?」
「というか…」
「うん?」
「傷をあまり見られたくなくて…」
なまえは嫌そうに胸元を手で覆って隠していた。
開胸手術をしたなまえの胸元には傷跡が残っている。決して小さいとは言えない傷だ。まだ若く、そして、女であるなまえにとってこの傷は忌むべき物なのだろう。きっと、もう一生消えない。なまえは私には計り知れない衝撃を受けたことだろう。ましてや、知らないうちに作られた傷なのだから。
私はなまえの腕を掴み、胸元を湯から出して曝け出させた。形の良い胸から滴る水滴が何とも扇情的だ。醜くなどない。
「や、やだ…っ」
「綺麗だよ」
「そ、そんな嘘は要りません」
「いいや、本当に綺麗だ。それに、私はこの傷が愛しい」
「…愛しい?」
「だって、なまえが私と生きるために頑張ったくれた証だから。この傷の下には今も鼓動している心臓がある。私と同じ時を刻むために懸命に動いてくれていて、私は愛しく思う」
そっと傷跡に唇を落とす。こんな綺麗な身体、何も恥じることなどない。こんなにも美しいというのに。
なまえは静かに涙を流していた。目元に唇を寄せると、なまえは目を伏せた。長いまつ毛が涙で濡れていて、美しい。そっと頬を伝う涙を指で拭ってから触れるだけのキスをした。
「…雑渡さんは、私のことが好き過ぎます」
「何を今さら」
「もう、二度とこんな傷は作りませんから…」
「そうあって欲しいところではあるね。もう二度とあんな思いはしたくない。なまえが倒れてから私がどれ程、絶望したか分かる?なまえの死に怯え、期待と絶望を繰り返す日々はもう二度とごめんだ。本当に生きた心地がしなかった。だから、もう二度と私に隠し事はしないと約束して欲しい」
「しませんよ、多分…」
「多分てなに。まだ何か隠しているの?」
「隠してませんよ。多分」
「だから、多分てなに。不安になるじゃない」
「そういう雑渡さんは何もないんですか?」
「ないよ。多分」
「ほら、雑渡さんだって多分て言うじゃないですか」
ようやくなまえが笑ってくれてホッとする。なまえを抱き締めてから、首筋に痕を残した。こうしてまた私の所有印を残すことが出来る。そのまま胸元にも痕を残した。
隠し事なんて私にはもうない。全て曝け出しているから。私の弱さも、醜さも、愚かさも、本当は誰にも明かすつもりなんてなかった。全て隠したかったはずなのに、今となってはそれをなまえに知ってもらえて嬉しい。私のことをここまで知っているのはなまえだけだから。私のことを受け入れてくれる、特別な存在だから。こんな風に思えるなんて、出会った頃は思わなかったし、望んでいなかったはずなのに。なまえが私を変えてくれた。人として生きる道を与えてくれた。
結局、この日は風呂では出来なかった。湯当たりしてしまいそうだったから。だけど、たくさん話をして、そして、たくさんキスをした。その後、ベッドに移動してから何度も身体を重ね、たくさん鳴かせた。
こうして、幸せながらも当たり前の日常が戻った。だけど、当たり前は当たり前ではないと身に染みて分かった。だから、こうしてまたなまえと過ごせることに感謝しながら眠った。久し振りによく眠れたし、私は凄く満たされていた。
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