雑渡さんと一緒! 118


「やった。蓮根の挟み焼きだ。いただきます」

「はい、どうぞ」

「美味しい。あぁ、今日も頑張ってよかった」

「大袈裟ですね」

「なまえのご飯より美味しい物はないもの」


私が美味しい夕飯を食べていると、気まずそうに咳払いされた。もうこうして月に一度一緒に夕飯を摂るようになって随分と経つというのに、まだ慣れないのだろうか。別に私は普通に食べているだけのつもりなんだけど。
3月も半ば過ぎ。いよいよなまえと結婚する日が近付いてきた。指折り数え続けた日が遂に訪れようとしている。今日は婚姻届の保証人の欄にサインをもらうことも兼ねて来ているわけだ。婚姻に保証人なんて何のために必要なのかさっぱり分からないけど、まぁ用意しろというのなら仕方がない。既に私の方は陣内に頼んで書いてもらってある。恐縮していた上に、感涙までされてしまったけど。あいつは私の父親か。


「…お前たちは仲が良過ぎる」

「いいことじゃない」

「目のやり場に困ると言っているんだ」

「普通に食事を摂っているだけなのに?」

「お前、自覚がないのか?」

「なにが」

「お前、今にも溶けそうな程に頬が緩んでいる」


あれ、そう?となまえを見ると、なまえは困ったように笑ったから、本当にそうなのだろう。照星といい、佐茂といい、陣内といい。私の表情が豊かになったと口を揃えて言う。そんなつもりはないんだけど。むしろ、流石になまえの父親の前なのだから、これでも引き締めた顔をしているつもりなんだけど。おかしいな、と思いながら頬に触れる。
私の表情が豊かになったのだとすれば、それは間違いなくなまえの影響だろう。だけど、そんなにも顔に出ているのなら問題だ。大の大人が人前でにやけていては気味が悪い。


「…それに関しては今後、気を付ける」

「別にいいと私は思いますけど」

「そ?」

「昆奈門さん、人間らしくなりましたから」

「それは褒めてはいないね?」

「いや、褒めてますよ?出会った頃よりもずっと素敵です」

「おや。それはどうも」

「いや、だから!親の前でいちゃつくな!」


賑やかなこの男も、もうすぐ私の義父となる。親というものがよく分からないが、きっと賑やかになるだろう。
なまえは私に多くのものを与えてくれた。なまえはそれを分かっているのだろうか。生きる喜び、家で過ごす安らぎ、人を愛する尊さを教えてくれた。そして、友人や同期、家族を与えてくれた。自分はずっと一人だと思っていた。だけど、多くの人に支えられていたのだと気付かされた。そして、自分は多くの人に気に掛けてもらえていた。こんなにも自分が恵まれているなんて、思ってもいなかった。こんなにも自分が人並みに幸せに生きることが出来るなんて思ってもいなかった。生きていてよかったと、そう思える程の人生をなまえは私に与えたくれた。感謝してもしきれないし、これから私の人生の全てを捧げ、私の手でなまえを幸せにしたい。
なまえが夕飯の後片付けをしている間に私は婚姻届を義父に差し出した。まだ私もなまえも記入はしていない物だ。


「これ、書いて欲しいんだけど」

「あぁ…」

「不安?」

「何がだ」

「なまえの夫が私で」

「不安…そうだな、不安だ」

「だよね。だけどさ、ちゃんと幸せにしてみせるから」

「そういう不安ではない」

「うん?」

「お前たちは…というより、お前は幼過ぎる」

「今年、32になったのに?」

「病院でなまえの後を追ってお前まで死ぬと言い出した時はどうしようかと思った。その考えは早急に直すよう努めろ」

「あぁ」


あったね、そんなことも。もう随分と前のことのように感じるけど、思い返すとまだ四ヶ月くらいしか経っていない。あまりにも辛かったというのに、なまえがこうしてまた当たり前のように私の隣にいてくれるから、あれは悪い夢だったのではないかと思うほど。そのくらい、なまえは何の後遺症も残さず、普通に生活することが出来ている。
で。なまえがもしもまた死に直面する機会があったとするのならば、私はやはり自ら死を選ぶことだろう。それだけのものを私はなまえに与えられている。それを全て失った上で生きていけるほど、残念ながら私は強くない。何のために生きているのかも分からず、寿命を迎えるなんてもう、私には無理だ。早かれ遅かれ死ぬことを間違いなく選ぶことだろう。


「…ま、努力はするよ」

「そもそも、お前の親は何と言っているんだ」

「そんなものはいない」

「亡くなっているのか」

「さぁ?私は親に捨てられたから分からない」


煙草が吸いたくなって立ちあがろうとすると、義父にスーツを引っ張られて止められた。大層驚いた顔をしている。


「なに」

「お前、捨て子だったのか!?」

「うん」

「どうして今まで言わなかった!?」

「言った方がよかった?」

「当たり前だろう!」

「そ。それは悪かったね」


世の中には親がいないことを嫌がる奴がいるから。得体が知れないからなのか、それとも身の上を保証する者がいないからなのかは分からないが、倦厭する奴は一定数いる。親がいないからといって私自身の価値が変わるというわけではないのに。結局のところ、人の価値というのは本人だけのものでは決まらないということなのだろう。目に見える、分かりやすいところでしか人は人を評価することが出来ない。だとすれば、私の人としての評価など底辺もいいところだ。肩書きでどうにか底上げしている程度なのだから。


「なに。今更、反対するとでも言うの?」

「そうじゃない。そうじゃなくて…」

「じゃあ、なに」

「お前のことをもっと早く認めてやればよかった」

「は?」

「今のお前は自分自身の努力があって成り立っているものだろう。後ろ盾もない状況でよくやったものだ。お前は偉い」


義父は溜め息を吐いた。やめてよ、そんなことを言うのは。親子だからだろうか、まるで、なまえみたいなことを言う。
私のことなど生涯認めてくれなくていいんだ。天塩に掛けて育てたなまえを私が貰うのだから。そんな優しさなんて私には要らない。甘えたくなってしまうから。私を息子として受け入れて欲しいと願いたくなってしまうから。


「…気持ち悪い」

「お前は素直じゃない」

「うるさいよ」

「いいんだ、昆奈門。人に甘えることは悪いことではない」

「だから、気持ち悪いって!」

「何を騒いでいるんですか?」


洗い物が終わったなまえが何食わぬ顔で戻ってきた。
勘弁してくれ、この親子は。私は人に甘えるのも、人に本当の自分を曝け出すのも得意ではないんだ。それを分かった上でやってのけるのだから、タチが悪い。揃いも揃ってこうも私を翻弄しようとしてくるんだから、本当に敵わない。
首を傾げるなまえに「義父さんに虐められた」と言うとなまえは驚いた顔をしていた。だけど、義父さんは笑っていた。幸せにしなければならない男が一人増えてしまった。悔しいけど、仕方がない。私がずっと欲しかった家族なのだから。


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