雑渡さんと一緒! 121


月末が遂に来た。昆奈門さんが嫌だ嫌だとずっと言っていた年度末だ。前に忙しいなんてもんじゃない、と昆奈門さんは言っていたけど、これは本当に忙しそう。帰ってくるのも終電ギリギリだし、出て行くのもかなり早い。今日は休みなのに家でパソコンを叩いているのだから、本当に忙しいなんてもんじゃないのだろう。
社会人って大変だなぁと思っていると、昆奈門さんが断末魔を上げた。どうしよう五千円合わない、と。


「もう無理だ…もう間に合わない」

「五千円合わないんですか?」

「そう。だって、え、何で?」


何で何でとパソコンの画面を指でなぞりながら、昆奈門さんは絶望したような顔をした。たった五千円くらい、合わないのなら出せばいいのに。そう思ったけど、そういう問題ではないんだろう。来年のことも含めて、どうしても合わせないわけにはいかないということは何となく予想できた。
ぶつぶつと何かを言ったかと思えば、急に思い立ったように携帯を取り出し、誰かに電話をかけ始めた。


「尊奈門、お前これ合ってる!?」

「合ってますよー」

「本当だろうね?五千円合わない」

「えー。私じゃないですよぉ」

「言ったな?これでもしもお前が原因だったら、どうなるか分かってるだろうね」

「…確認します」

「そうしなさい」


携帯を乱暴にテーブルに叩きつけて、昆奈門さんは煙草に火をつけた。どうしてこの人は携帯を乱暴に扱うのかしら。携帯は高級品なのに。馬鹿なのかしら。馬鹿なのだろう。
見る限り相当、昆奈門さんは苛々しているようだった。そして、尊奈門という人にターゲットを絞っているように見えた。新人さんなのかしら。それとも、もしかしたら抜けている人なのかしら。何にしても、昆奈門さんの苛立ちに付き合わされて可哀想だと思った。
そんな時、携帯が鳴った。よかった、壊れてなかった。


「申し訳ありせんでした!」

「やっぱりお前か!再三、確認するよう言ったでしょ!」

「はい!大変申し訳ありません!」

「お前、明日覚えてろよ」

「ひぃっ…」

「今すぐ直して送りなさい!」

「はい!直ちに!」


ブチッと携帯を切って、昆奈門さんは床に投げつけた。だから、どうして物に当たるのかしら。携帯が可哀想。
昆奈門さんは煙草の火を消してメールを開いたかと思えば、エクセルに入力し始めた。すぐに訂正は終わったようで、うんうんと頷いたかと思えば、乾いた声で笑い声をあげた。


「合った。終わった…」

「お疲れ様でした」

「よかった、間に合って…あぁ、あとあの馬鹿のせいで電話を一本しないと。あれ?携帯どこにやったっけ?」

「あなた、投げ飛ばしましたよ」

「あぁ。あ、よかった。壊れてない」

「もう。物に当たらないで下さい」

「はいはい。ちょっと、電話するね」

「はい、どうぞ」


携帯で誰かに電話を掛けたかと思えば、相手はすぐに出たようで昆奈門さんは嬉しそうに終わったことを報告していた。社長さんなのかと思ったけど、あまりにも親しそうに話をしているから、部下の人なのかなと察する。


「お疲れ様でした」

「うん。陣内さ、尊奈門のこと明日ちゃんと見ていて」

「尊奈門ですか?」

「あの馬鹿、五千円間違ってた」

「はぁ…あの馬鹿…」

「かなり怯えてたから、それなりに慰めておいて。明日胃液が出るまでみっちりと絞るから。お前、アメの役割ね」

「分かりました。去年もではありませんでした?」

「本当、使えない。あれかな、私の指導が悪いのかな?」

「気苦労お察し致します」

「本当だよ」


休みの日に悪かったね、と言って昆奈門さんは携帯を切った。テーブルに置いて、煙草を吸い始める。ふと、私がいることを思い出したようにこいこいと手招きをした。


「ごめん。怖かった?」

「いいえ?」

「そ?なら、よかった」

「お疲れ様でした」

「はぁー…何か、なまえと久し振りに話をした気がする」

「心ここにあらず、でしたもんね」

「そんな感じだった?」

「はい。見ていて少しつらかったです」

「これ、毎年なんだよね…これでも効率化したんだけどさ。私はともかく、部下が可哀想で仕方ないよ。この時期はプラベートもあったものではないからね」

「私はともかく?」

「だって、私は上に立つ立場だもの。私が苦労することは仕方がないよ。でも、部下はねぇ…もう少し早く帰してやりたいんだけど、なかなかね。家族いる奴もいるのに申し訳ない」


昆奈門さんは溜め息を吐いた。昆奈門さんって部下思いの人だと思ってはいたけど、ここまで考えているんだ。優しい人だなぁと思ったけど、きっと私がそう言っても昆奈門さんは当たり前だと理解してはくれないだろう。この人の下で働く人達は幸せなんだろうな、とも思ったし、やっぱり昆奈門さんはかっこいいな、とも思った。優しい人。
頭を撫でると、昆奈門さんは目を細めて笑った。この目をした時にはこの後どうなるのか私は知っている。
予想通りキスされた。一緒にいたのに、まるで離れていたかのような感覚だったから、とても嬉しかった。いつか私が働く日が来るのなら、昆奈門さんの下で働きたいなぁと言うと、それは駄目と昆奈門さんは言った。その意味は「働かせたくない」だったのだけど、当時の私は理解することが出来ず、自分が無能なのだと言われたような気がしてただただ悲しかった。この言葉の意味を知るのは後ニ年も後のことだ。


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