雑渡さんと一緒! 126
空を掴もうとするなまえは悔しそうな顔をしていた。紅葉のような葉っぱすら掴めないような子が、桜なんて小さな花びらを掴めるはずもない。そもそも全く見当違いの方向に手を伸ばしている。相変わらず鈍臭い子だ。
一つ手本でも見せてやろうかと私も手を伸ばしてみた。だけど、小さな花びらは手をすり抜け、風に舞っていった。
「うわ、悔しい…」
「ね?私の気持ちが分かりました?」
「私、紅葉なら取れるよ」
「今年は私も出来そうな気がします」
「ほーお?」
「絶対に昆奈門さんに取ってみせますからね」
にっこりと笑うなまえは地面から風で落ちたと思われる桜の花を手に取った。こうしてまじまじと桜の花を見るのは初めてだけど、なかなか可愛らしい花なのだと知る。
花を愛でるなんて習慣が私にはない。私が花見に行こうと言ったのだって、何となく春だからという程度の理由だ。
「なまえは花が好きだね」
「はい。可愛いので」
「ふーん…そんなに好きなら、植物園にでも行く?」
「えっ。行きたいです!」
「どこにあるんだろう…」
携帯で調べると、隣の隣の市にあるようだった。それほど遠くはない。行きたい行きたいと笑うなまえと車に乗り込み、下道を走る。途中、遠くに桜並木が見えて、春だなぁと思った。それと同時に懐かしい思い出で少し胸が痛んだ。
植物園なんて生まれて初めて来た。大して混んでもいないだろうと考えていたけど、思いの外、人がいた。小さな子供から高齢者までいて、みんな案外、花が好きなんだと知る。
「わぁー、枝垂れ桜も綺麗ですね」
「あれも桜なの?」
「はい。あれは山桜、あれは豆桜」
「さっき見た桜と違うじゃない」
「公園にあったのは染井吉野です」
「???」
よく分からず、入り口で貰ったパンフレットを開く。桜って「ソメイヨシノ」ってやつだけじゃないのか、と。
この植物園には20種の桜があるそうだ。私の知っている桜は一つしかない。それも、知っているというほど知らない。さっき初めて花を見たという程度の知識しかないのだから。
「なんか、600種類くらいあるみたいですよ」
「桜が!?」
「桜が。まぁ、時期とか地域とか色々あるみたいですけど」
「へぇ…」
世の中には知っているつもりになっていたけど、実は知らないことがまだまだたくさんあるようだ。面白いものだ。
「この植物園ってさくらんぼ狩りやってますかね?」
「やってないでしょ」
「こんなに桜があるのにですか?」
「…ん?」
「あっ、そうか。売っているのかな」
「待って。もしかして桜の実がさくらんぼだと思ってる?」
「はい。そうでしょ?」
「ソメイヨシノとかに実るの?」
「はい」
「ち、違う…と思…っ」
「あ!何で笑うんですか!?何で笑うんですか!?」
流石の私でも違うことくらい分かる。ソメイヨシノからさくらんぼが実るというのなら、桜並木の下には毎年おびただしい数の果実が落ちているだろうけど、そんな物は見たことが一度もないから。
なまえは絶対に自分が合っていると主張したから、近くにいた職員に聞いてみたら?と言ってみた。すると、本当になまえは聞きに行った。そして、すぐに残念そうな顔をして戻ってきたから、私は遂に我慢出来ずに笑ってしまった。
「笑わないで下さい!桜は桜だそうですよ!?」
「へ、へぇ…っ」
「一般的には見かけない…もう!笑い過ぎ!」
「いやいや。馬鹿にしているわけでは…っ、くくく…」
「何でそんな分かりやすい嘘をつくんですか!?」
「してないって。可笑しいとは思っているけど」
「それを馬鹿にしているって言うんですけど!?」
なまえは怒ったけど、私は本当に馬鹿にしているつもりなどないんだけどなぁ。私が人を馬鹿にする時は笑わないもの。というか、笑えないもの。冷笑しか出来ない。
桜の知識は私よりも格段になまえの方がある。なのに、こんな子供のようなことを言うものだから、そのギャップが可笑しいし、妙な自信がまた愛らしいと思っているだけだ。私にはこんな可愛らしい発想は出来ない。これはなまえが純粋であり、そして好奇心が旺盛だからこそ得られるものだろう。
なまえは美しい心を持つ子だった。純粋で、誰に対しても優しく、人の内面を評価し、悪い所よりも良い所を探そうとする。だけど、自分なりの信念を持っていて、決してそれはブレることはなく、折れない。そして、なまえは優しさだけではなく、芯の強い子だった。だからこそ、私と言い合いになることも多いのだが、ちゃんと問題解決をした上で仲直りをしようと提案してくるから、二人なりの解決法を見付けられる。なまえは控え目に笑う、一見すると大人しそうな子ではあるけど、決して弱くはない。私よりもずっと強い。そんななまえの強さに惹かれてしまった。恐ろしいほどに。
「もう。昆奈門さんはいつも私を馬鹿にして…」
「違うと言っているのに…ま、そんなに食べたいのなら、今年はさくらんぼ狩りにでも連れて行ってあげるよ」
「えっ。本当ですか!?」
「うん」
「わぁい。その時にさくらんぼの花を見ましょうね」
「…実が既に実っているのに?」
「あれ、そういえば花が散ってから実がなるんでしたね…」
「なまえは頭が悪いねぇ」
「あ!また馬鹿にした!」
「うん。今のは本当に馬鹿にした」
怒るなまえの頭を撫でながら、こうして一つずつ嫌な過去を楽しい思い出に塗り替えていきたいと思った。
なまえは前世で、桜並木の綺麗な村で流行病に感染した。桜が散っていて綺麗だったと床で笑うなまえの命はあっと言う間に散ってしまった。花びらのように私の手をすり抜けて。
本当は桜なんて好きじゃない。花なんて好きじゃない。どれもこれも、前世を思い出すから。嫌なことばかり思い出しては後悔して、泣きそうになるから。それでも、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。だから、二人でたくさん新しい思い出を作り、どの事象も懐かしいと笑えるくらい今を幸せに生きたい。生きなければいけない。
私が過去を思い出していると、なまえが大声を出した。
「あーーーっ!」
「えっ、なに!?」
「やったぁ。取れた、取れました!」
ほら、と見せられた小さななまえの手の中には一枚の小さな花びらが入っていた。子供のようにはしゃぎながら喜ぶなまえは自慢げに私に笑い掛けた。私に勝った、と。
勝ち負けでいえば、私はなまえに勝ったことなどは一度もない。何をやっても敵わない。そんなことも分からないのか。
こうしてあの時に掴み損ねた幸せを一つずつ確実に掴んでいこう。大丈夫、なまえが側にいてくれたら出来るから。なまえだけが私の世界を救うことが出来る唯一の存在だから。
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