雑渡さんと一緒! 130
「うーん…」
きぃちゃんに貰った下着を角度を変えて眺めてみる。私には似合わないだろうなぁ。誕生日に絶対身に着けろと言われたけど、どうしようかなぁ…例え似合っていなくても昆奈門さんは笑わないだろうし、何なら下着なんてさっさと脱がせて来るような人だから、気にも留めないかもしれない。だったら、別に身に着けてもいいかも。せっかく貰ったし。
鏡の前で自分を見て、昆奈門さんは私の貧相な身体のどこに興奮しているんだろうと思った。雰囲気なのだろうか。雰囲気…とは何なのだろう。今度、きぃちゃんに聞いてみよう。
今日は外で食べよう、と言われていたから指定された場所へ向かう。ただ、指定された時間は17時半だった。昆奈門さんは月末処理の真っ只中にいるというのに、こんな早い時間に待ち合わせて大丈夫なんだろうか。それよりも、泊まる用意をして来るよう念を押されたけど、明日も平日なのにまさか泊まりで行くつもりなんだろうか。
色んなことを考えながら待ち合わせ場所へと歩く。あぁ、春だなぁと思わせる暖かい風が吹いていた。これで連休が明けたくらいに急に暑くなって、そしてまた寒くなるというのが例年の気候だった。風邪をひくなという方が無理がある。昆奈門さんが風邪をひかないように何か考えないとなぁ。
「おや。早いね」
「えっ。昆奈門さんこそ!まだ17時過ぎですよ!?」
「我ながら恐ろしい仕事効率の良さだ」
「早退したんですか?」
「いいや。取り引き先から直帰した」
「直帰!?」
「いいから行こうか」
ほら、と荷物を自然に持ってくれ、昆奈門さんは駐車場に向かった。「昆奈門さんの荷物は?」と聞くと「下着くらいどこででも調達出来る」と言ってコンビニに寄り、本当に下着を買っていたから、男の人って楽でいいなぁと思う。
今まで走ったことのない道を走り続け、だんだん人気がなくなり、灯りがなくなり、着いたと言われて降りた駐車場を見て呆然とした。何もない。本当に山の中に連れて来られた。
「…誰か殺しちゃいました?」
「あぁ。確かに人を埋めるにはいい山だね」
「えっ!う、嘘ですよね!?」
「あのね。なまえは私を何だと思っているの。私が殺すのはなまえに手を出した奴くらいで、今のところいないでしょ」
「私に何があっても誰も殺さないで下さい!」
「さて。多分無理だろうけど、覚えておこう」
そんな恐ろしいことを言った後、昆奈門さんは笑いながら行くよ、私の手を取った。更に山へと足を進めて行く。
もしかして殺されるのは私なのではないだろうかと思うほど暗い所へ暗い所へと歩いて行く。ちょっとビクビクしながら歩いていくと、こじんまりとしたロッジが見えてきた。
「わぁ、可愛いロッジですね」
「ここが今日の宿だよ」
「本当に泊まる気なんですか?明日は平日ですよ?」
「明日は有給」
「えっ、月末処理中ですよね!?」
「私は部長様ですから?」
「…嘘つき。無理したくせに」
「なんだ、バレたか」
くすくすと笑う昆奈門さんと一緒にロッジに入る。これからキャンプでもするんだろうか、と思ったけど、案内されたのは可愛い小さな木製のテーブルだった。小さな蝋燭が灯されていて、中は薄暗くなっていた。昆奈門さんは私が怖くないようにずっと手を握っていてくれたけど、別に私はもう暗闇は怖くない。昔は怖かったけど、今はもう平気なのに。
料理が続々と運ばれてきた。美味しそうな前菜から始まり、美味しそうなお肉が出てきて、満面の笑みでパンを頬張っていると、昆奈門さんは笑った。まるでリスみたいだね、と。
「だ、だって美味しいから…」
「そう。それはよかった」
「…てっきり、今日は夜景の見えるレストランに連れて行かれるのかと思っていました。ちょっと、意外でした」
「あぁ。そういう定番な感じの方がよかった?」
「いいえ。こういう雰囲気も私は好きです」
「ふむ。今からそんなことを言っていては困る」
どういう意味ですか、と聞いたけど、昆奈門さんは教えてはくれなかった。何なのだろうかとメインディッシュを食べ終わり、デザートと珈琲が運ばれてきたタイミングで急に店の灯りがパッと消えた。小さな蝋燭だけが光っている。
思わずギョッとして私が動揺していると、昆奈門さんは窓を眺めて感嘆の声を出した。成る程、これは見事だね、と。
「わぁ…わぁー!凄い、綺麗…」
「外に出られるらしいよ?」
「出たい!出てみたいです!」
私が慌てて立ち上がると昆奈門さんは笑った。二人で外に出ると上には満点の星空、下には夜景が広がっていた。前に海で見た景色よりもずっと綺麗で、遠くまで見える。
私が凄い凄いと言うと昆奈門さんはくすりと笑ってからトン、と手すりに手を置いた。抱き締められるよりは遠くて、ただ隣にいるよりは近い距離。心を許しているから得られる距離。そっと私は昆奈門さんの身体に寄り掛かった。
「この街は美しいと私は思っている」
「はい、私もです」
「本当に?東京よりも?」
「この街にしかない良さがありますから」
「そうだね。この街に生まれてよかった」
「そうですね、あなたと出会えましたから」
「おや。嬉しいことを言ってくれるね」
「あなたと会えてよかった。私、昆奈門さんとこうして過ごせて本当に幸せなんです。同じ時代に生まれてよかった」
「ふ、私もそう思うよ」
左手を掴まれ、チャリっと音を立てながら時計を通された。暗闇でも光る程の輝きのある時計は音を立てて時を刻んでいる。よく見えないけど、とても高価な物だと分かった。
「…また、こんな高い物を」
「さて。幾らだったか」
「見え透いた嘘は要りませんから」
「ねぇ、なまえ」
「はい?」
「いつか私はこの街の全てを手にする」
「はい。あなたなら出来ます」
「まるで部下のようなことを言うね」
「昆奈門さんなら出来ますよ、本当に」
「まぁ、何年も掛かるだろうけどね」
「今日明日で出来る方が怖いですから」
「ふふ。そうだね」
昆奈門さんは穏やかな表情で遠くに光る街あかりを見た。
薄暗い中でもはっきりと昆奈門さんの覚悟が見て取れた。この人は本当にこの街を手にする気なのだ、と。実に昆奈門さんらしい。だけど、この人なら何年掛かっても決して諦めることはなく、実現しようとするのだろう。とても努力家な人だから。私が好きな、とても直向きな人だから。
「これから先、私は茨の道を歩むことになる」
「そうなんですか?」
「それはそうだ。街中を敵に回すのだから」
「あぁ、そっか。そうですよね…」
「それでも、私の側にいてくれる?この時計がいずれ時を刻めなくなっても、最後まで私の側で支えていてくれる?」
「はい。私は昆奈門さんの妻ですから」
「ねぇ、なまえ」
「はい」
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、私を愛してくれてありがとう。愛しているよ、これから先もずっと」
頬に優しく口付けられ、昆奈門さんは空を見上げた。星がとても綺麗に見える。とても穏やかで、とても美しい夜だ。
また泣かせてしまったね、と昆奈門さんは私の頬を撫でた。そのまま指は唇へと移動していき、指先からキスしたいと伝えてくる。だけど、決してキスはしてこなかった。私が人前でくっ付いてくるのは嫌だと言ったからだろう。
この人は私の約束を守ろうとしてくれる。例え、どんなに小さな約束であろうとも、決して忘れずに守ってくれる。だけど、今はその約束を特別に破りたい。私もキスしたいから。
背の高い昆奈門さんのジャケットを掴んで、バランスを崩した昆奈門さんに私はキスをした。30cmも差がある私からキスをするには背伸びなんて意味は全くなく、これが精一杯だ。私がキスをすると、昆奈門さんは人前だというのに深いキスをしてきた。いつもなら絶対に怒る。だけど、今日は、今日だけは特別だ。だって、私もしたいから。
昆奈門さんに抱き着きながら私たちは長いキスをした。今、確かにこの幸せな時を刻んでいることを確認し合うように。
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