雑渡さんと一緒! 134


背景、昆奈門さん…いや、固いか。私たちは夫婦なんだし。書き出し方さえ思い浮かばなくてホテルのソファにもたれかかる。もう、聞きもしなくても分かる程の高そうなお部屋、当たり前のように最上階。いや、今まで泊まったこともないような高級なホテルであろうことはフロントから分かった。ゴージャスさも接客も全然違う。だけど、大きな窓ガラスから見える景色は今まで見たこともないような絶景で、何だかもう、場違い過ぎて申し訳なくなる程のラグジュアリーさを感じる。こんな小娘が泊まって申し訳なくなる程だ。
きぃちゃんが言うには昆奈門さんは投資もやっているのではないか、と。昆奈門さんにそれとなく聞いたけど、株はやっていない、不動産を持っているだけだとの返答を貰った。あのマンションは1/3は既に昆奈門さんの持ち物だそうで、住宅ローンを借りながら上手く節税しているそうだ。聞けば聞くほど、私とは不釣り合いな人だし、やっぱり私がお金を管理するのは無謀な気がする。知能とスケールが違い過ぎる。
昆奈門さん、どうして私なんかを選んだんだろう。過去からの縁だけで一緒にいるわけではないと昆奈門さんは言ってくれたけど、それは本当なのだろうか。前世のことを何も覚えていなくても私に惹かれただろうと言ってくれたけど、無理なんじゃないだろうか。私のような頭も悪ければ見た目も至って普通の大学生なんて、きっと目にも留まらなかったのではないだろうか。そう思うと居た堪れなくなる。
とてもいいとは言えない精神状態で手紙なんて書けず、ベッドに横たわる。私って何なのだろう。どうしてこうネガティブな思考に辿り着いてしまうのだろう。自己嫌悪で頭の中がいっぱいだ。左手の薬指をそっとなぞる。あの人は私なんかで本当によかったんだろうか。本当はもっと素敵な女性の方がよかったのではないだろうか。そう思うと涙が出てきた。怖い、昆奈門さんに嫌われるのが怖くて堪らない。どうして今、こんなにも幸せなのに私はネガティブなことばかり考えてしまうのだろうかと丸まっていると、電話が鳴った。思わずビクッとした。昆奈門さんがまさかもう仕事を終えたのだろうか、と。だけど、電話の主はきぃちゃんだった。


「あ、なまえ?どう、東京は」

「き、きぃちゃーん…」

「えっ。何で泣いてるの?雑渡さんと喧嘩でもしたの?」


私がしくしくと泣いていると、きぃちゃんは馬鹿だと罵ってきた。その愛のある叱咤が今はとても救われる。


「つまり、雑渡さんにはもっと素敵な人が似合う、と」

「う、うん…っ」

「馬鹿だと思っていたけど、本当に馬鹿ね。今まで雑渡さんの何を見ていたのよ。あのね、雑渡さんが好きなのは誰?」

「う…」

「もう雑渡さんのことが要らないのなら私が貰うから」


きぃちゃんがそう言うなり、近くで「あぁ!?」と聞こえてきた。佐茂さんの声だ。え、まさか佐茂さんといるの?
私がそう言うと、きぃちゃんはケラケラと笑い飛ばした。


「なまえに倣って私も自主休講」

「えっ、佐茂さんは?」

「有給をくっ付けて七連休」

「七…!?」

「いいでしょー…あっ、何するのよ!?」

「もしもし、なまえちゃん?」


電話から佐茂さんの声が聞こえてきた。声は明るいけど、心なしか不機嫌そう。多分、きぃちゃんのさっきの発言を怒っているんだろうなぁと思った。きぃちゃん、冗談ですぐにああいうことを言うから。本当は思ってもないのに。
佐茂さんは電話口で私に言った。「雑渡には君しかいないんだから、もっと自分に自信を持たないと駄目だよ」と。


「うぅ…っ」

「あのね、なまえちゃん。この前も言ったけど、雑渡は本当に変わったんだ。それはなまえちゃんのお陰なんだよ?」

「そ、そうなんでしょうか…?」

「そうだよ。なまえちゃんがいなかったら雑渡は今も誰とも関わろうともしない、誰のことも信じない、つまらない男だった。同期である俺が断言するよ。あいつにはなまえちゃんが必要だ。だから、これ以上、自分を卑下しちゃ駄目だ」

「…はい」

「あぁ、それとね?」


佐茂さんは私に「雑渡もいつも自分を卑下してはなまえちゃんが他の男のところに行ってしまうのを恐れているよ」と言った。昆奈門さんは前にそんなようなことを言っていたけど、今でもそうなのだろうか。だとすれば、それは杞憂だ。私はこんなにも昆奈門さんが好きなのに。
それを佐茂さんに言うと、佐茂さんは「そういうことを手紙に書けばいいんだよ」と笑った。電話だから顔は見えない。だけど、優しい顔をして笑ってくれていると分かった。
電話を切って、手紙を書く。書いても書いてもまとまらず、凄い枚数になっては書き直し、ようやく便箋一枚にまとめた手紙を封筒にしまう。後はこれを照れずに渡すだけだ。だけど、それが実は何よりも難しい。既に恥ずかしいのだから。
私は手紙を鞄にしまい、外を眺めていると、ドアが開いた。驚いてドアの方を見ると、息を切らせた昆奈門さんがいた。


「は、早いですね…」

「ん…」

「お、お疲れ様で…わぁっ!」

「なまえ…」


昆奈門さんはぎゅうっと私を抱き締めてきた。震えている。
取り引きが上手くいかなかったのかと聞けば、違うと言う。そして、私を絶対に守ると、そう言った。とても不安そうな顔をして。何かがあったのだと思ったけど、何もないと昆奈門さんは言った。そして、よく分からないけど、不安で堪らないと言って私の存在を確かめるようなキスをしてきた。
私が大丈夫、と頭を撫でると、昆奈門さんはようやく私を離し、着替え始めた。仕事が終わったら代官山でランチをし、それから銀座をブラブラと散歩する予定になっている。


「行きましょう?私が昆奈門さんに似合う服を選びます」

「お手柔らかに頼むよ」

「さぁ。モデルがいいので」

「それはどうも。…ねぇ、なまえ」

「はい」

「私から離れないでね」

「はい。勿論」


ぎゅっと手を絡めて電車に乗り、代官山のびっくりするほどお洒落なカフェで食事を摂ってから私たちは銀座へと向かった。噂に聞いていたデパートを眺めて、呆然とする。
私が呆けた顔で上を見上げていると、昆奈門さんはくすくすと笑った。その笑顔はいつも通りで、私も笑い返した。
今日は私たちが付き合って二年目の記念日だ。去年は私は意識がなかったから、言わば初めて一緒に過ごす記念日。だから、たくさん素敵な思い出を作るんだ。たくさん好きだと昆奈門さんに言おう。私たちの連休はまだ始まったばかりだ。


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