雑渡さんと一緒! 135
「あぁ、いい色だね。着てごらん?」
「また私の服…」
「いいから着てみなさい。好きでしょ?」
「…好き」
「素直でよろしい」
試着室にいそいそと入っていくなまえの後ろ姿を見て、微笑む。好きな女を自分の手で可愛くするのは何でこんなにも嬉しく思うのだろう。それが自分の好みの服装だとより一層嬉しくなる。いつから私はこんなにも清楚な女を好きになったのだろうか。抱いてきた女にそういう類の女は一人もいなかったと記憶している。まぁ、それはそうか。清楚な女なのであれば私になど近寄っても来ないだろうから。
もっと早くに…特に、私が生きることが辛いと思っていた大学生の時になまえに出会いたかったなぁと思ったけど、私が大学生の時はなまえはまだ小学生。いくらなんでもまずいか、と思い直す。おまけに、私が大学生だった頃は貧し過ぎて今のようには金は使えない。私は金に興味は今までなく、社の担当税理士の言う通りに資産管理をしていたが、これからは少し自分でも考えてみようか。金など多くても困ることはないのだから。金がなければなまえに愛らしい物を贈ることどころか、どこかに出掛けることも出来ないし。佐茂や照星に言わせれば私はやり過ぎだそうだ。だけど、それ以外に自分をアピールする手立てが分からない。結局のところ、自分が言われて嫌だった方法でしか自分を良く見せることが私には出来なかった。ただ、それはそれで間違ったことでもないだろう。なまえは逐一予想よりも喜んでくれているのだから。
「…き、着てみました」
「わぁ、可愛らしいね。よく似合っている」
「で、でも…っ」
「ふむ。それに合う上着が欲しいところだ」
「こちらはいかがです?先週入ったばかりの新作です」
「ふーん…着てみなさい。……あ、可愛い。買います」
「ありがとうございます。在庫の確認をしますね」
「ちょっと!昆奈門さん!」
「次は靴かな。はい、行くよー」
シャッとカーテンを閉め、会計を済ませる。結婚して使える金が減るものかと思ったけど、案外と自由に使わせてもらえている。私に遠慮があるのだろう。だけど、私の好きに使わせたら絶対に老後の資金が尽きる。だから、ちゃんと管理して欲しいんだけどなぁ…
ふと、向かいの店のマネキンが気になった。本当はあぁいう服を本当は着てみたかった。だけど、もう年だし、似合わないだろう。無難な服装が一番楽だ。何も考えなくていい。
「あ、ありがとうございます…」
「うん。よし、次」
「ねぇ、私、昆奈門さんの服を見に来たんですけど」
「いいよ、別に私の服は」
「えぇー…あっ」
「うん?」
「あれ、昆奈門さんに似合いそう」
なまえは私が先ほど見ていたマネキンを指差した。生成色のパーカーなんて着たことは一度もない。そもそも、パーカーなんて私には似合わない。子供じみて見えるのも嫌だし、あんな明るい色が似合うほどもう若くはない。
私が首を振って歩き出すと、なまえは私の袖を引いた。
「着てみて下さい」
「似合わないよ」
「そんなの、着てみないと分からないじゃないですか」
「でも…」
「いいから、行きましょう」
なまえの手を引いたけど、なまえは私を見つめていた。本当は着てみたいんでしょ、と言わんばかりに。
どうしてバレるのかなぁ。うーん…だけど、似合わないことは目に見えている。あんな明るい色など私には似合わない。そんなこと、着てみなくても分かる。そして、なまえの服の色とも被るから、やっぱり要らない。そう思った。なのに、なまえのいいから着てみろという目力に負けて結果は試着している。鏡に映る自分を見て溜め息が出た。ほらね、やっぱり似合わない。こういう服はもっと若い奴が着るものだ。
私が元着ていた黒いシャツに着替え直そうとすると、カーテンの向こうからなまえに明るい声で話し掛けられた。
「はい。出てきて下さい?」
「嫌だよ。似合わなかったし」
「いいから。開けますよ」
カーテンを開けられて気恥ずかしくなり、思わず俯く。
なまえは私を見て首を傾げた。ほら、やっぱり似合わないとなまえも思っているんじゃない。いや、似合わないけど。完全にパーカーだけが浮いている。改めて鏡を見ると、何とも不恰好な男が映っていた。若くもないくせに無理をしている感じがして、嫌気がさす。やはり私の容姿を好む女の気が知れない。これのどこに惹かれるのか分からない。うんざりとして溜め息を吐くと、なまえは床に置いていた黒いジャケットを手に取った。そして、私にそっと掛けてきた。
「あ、似合うじゃないですか」
「は?」
「見てみて。ほら」
鏡を見るよう促され、嫌々見てみると確かに先程よりも見栄えはよくなった。パーカーが全然浮いていない。
「ねぇ。これ私、好き。似合いますよ」
「…本当?」
「似合いますよ。自分ではどう思うんですか?」
「よく分からない…」
「あら。似合っているのに」
ふふ、となまえは笑った。黒いジャケットと黒いパンツが生成色とよく馴染んでいる。だけど、やや若過ぎはしないだろうか。私がこんな服を着てもいいのだろうか。
不安に駆られていると、なまえはカーテンを閉めた。元の服に着替えてから出ると、紙袋を渡される。明日着てね、と。
「買ってしまったの?」
「はい。欲しかったんでしょ?」
「…分かった?」
「分かりますよ、あなたの考えていることくらい」
「どうして?」
「何年一緒にいると思っているんです?昆奈門さんて案外、分かりやすいんですよ?昔から素直じゃないし、決して口にはしてくれないけど、私にはちゃんと分かっていますから」
くすりとなまえは笑った。そして、私の手を引いて靴を見に連れて行かれる。かっこいいワークブーツ、これからの季節に合いそうな色のスエードの靴、若者向きには見えるけど、決して派手ではないハイカットのスニーカー。どれも履いてみたいと思っていたけど、履いたことのない物ばかり。どれもこれも欲しいと思った。似合うかは別にして。
「…これ、どうなの?」
「似合いますよ」
「本当に?」
「昆奈門さん、鏡見たことあります?」
「あるよ。失礼な」
「じゃあ、もう分かるでしょ?昆奈門さんはかっこいいんだから、どんな物でも着こなしますよ。それに、お洒落なんて自己満足なんだから、好きな物を着てもいいんですよ?」
だから、これを私に買って下さい、と差し出してきたパンプスは高いヒールの物だった。こんな靴を履いて歩けるのだろうか。それに、なまえには似合わないのではないだろうか。
私がそんなことを考えていると、なまえは微笑んできた。
「私、昆奈門さんと似合う女性になりたいんです」
「似合う、とは?」
「これが似合うくらい大人になりたい」
「それはまだ先のことでしょ」
「はい。だから、これが似合うようになるまで私のことを見ていて下さいね?私、とびきりいい女に成長しますから」
にっとなまえはいたずらっぽく笑った。それは初めて見せてくれる表情で、まるで子供のようにも見え、そして、自分と然程変わらないようにも見えた。
なまえともっと早くに出会いたかったとずっと思っていた。そうすれば、もっとたくさんの表情を側で見ることができ、そして、二人で大人になっていけただろうから。だけど、今からでも遅くはないのだろうか。残念ながら私には青春らしい思い出など一つもない。それを悔いてはいないが、なまえと一緒なら今からでもやり直せるだろうか。取りこぼしてきた数々の欲求を一つずつ満たしていけるだろうか。なまえはそれにこれから先、ずっと付き合ってくれるだろうか。
「…ふむ。この私の愛情を甘く見ないでもらいたい」
「昆奈門さんこそ」
「じゃあ、一つお願いがあるんだけど、いい?」
「はい。何です?」
「プリクラなるものを撮ってみたい」
「へぇっ!?」
なまえは驚いたような声を出した。私だって、普段ならこんなこと絶対に言わなかったことだろう。だけど、本当は一度撮ってみたかった。愛しいと思えるほど好きな子と一緒に。
銀座にはゲームセンターはなく、渋谷まで移動した。ギョッとする程の人口と、若者に思わず気が引ける。だけど、恐れはしない。なまえが一緒にいてくれるから。なまえといれば私は何だって出来る。とうの昔に憧れていたことだって、気恥ずかしいけど、出来ないことはない。この子は私の人生を彩ってくれる特別な子だから。私に生きる意味と希望を与えてくれた、本当に大切な、世界で一番愛している子だから。
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