雑渡さんと一緒! 138


「もう帰らないといけないんですね…」

「まぁねぇ。明日から仕事だし。なまえも学校だし」

「うー…」

「また来ればいいじゃない」

「はぁい」


なまえ、と昆奈門さんに言われてハッとする。敬語で話さないなんて私に出来るだろうか。それこそ前世から敬語を使っているのだ、身に染み付いている。だけど、それでも私は砕けた話し方をしていたつもりだった。なのに、もっと気安く話せと言われたら困ってしまう。ましてや、呼び方まで変えろなんて。会話の難易度が急に上がってしまった。
少しずつ慣れていくということで、まずは話し方から改めていくこととなったわけだけど、なかなか上手くはいかない。
地元に戻ってすぐ、実家に寄った。この閑散とした雰囲気がホッとする。上手く言えないけど、時間の流れ方が違うような感じ。東京は東京で楽しかったけど、私はこっちの穏やかでのんびりとした雰囲気の方がやっぱり好きだと思った。


「や。おじゃましまーす」

「昆奈門、お前…俺はゴールデンウィークは仕事をしないと決めているんだ!またスーツでなんか家に来やがって!」

「いや、出張帰りだからさぁ」

「お父さん、お土産」

「あ、あぁ。ありがとう。まぁ、あがれ」


リビングに入り、お母さんの仏壇に手を合わせてからお土産を置く。お母さん、東京は楽しかったよ、と。後ろから昆奈門さんが入って来て、一緒に手を合わせてくれた。
仏間からリビングに戻ろうとすると、写真が増えていることに気付いた。お母さんと私が一緒に写っている写真だ。


「お父さん、この写真って…」

「昆奈門が会う度に煩いからな」

「だって、お義母さんの笑顔はなまえと義父さんに向けられたものなのに、それを切り取るのはおかしいでしょ?」

「お前の発想の方がおかしい」

「なんで。今の方がずっと自然だと思うけど」


昆奈門さんはまじまじと写真を見て微笑んだ。その笑顔が本当に嬉しそうで、素敵な人だなぁと思った。昆奈門さんの固定概念を覆すような発言は聞く人が聞けば突飛なものだろう。だけど、昆奈門さんの言葉には重みがあり、間違っているとはあまり思わない。そんな不思議な人だった。
リビングで三人で話をしながらお土産のお菓子を食べ、色んな話をしていると、お父さんが急に神妙な顔をした。


「お前たち、婆さんには挨拶に行かないのか」

「婆さん?誰それ」

「私のお婆ちゃんです。養子縁組してくれた人」

「えっ!?私、挨拶してないよ!?」

「そうですねぇ」

「い、行かないと!」


昆奈門さんは慌てて立ち上がったけど、私は首を横に振ったし、お父さんに至っては溜め息を吐いた。
お婆ちゃんに挨拶には確かに行っていない。だけど、電話ではちゃんと結婚することは伝えてあるし、お婆ちゃんにも挨拶なんて来なくていいと言われている。それはお婆ちゃんが結婚に反対しているから、というわけではないことを私は知っているから、私は特には昆奈門さんにお婆ちゃんのことを言わなかった。機会があればいずれ会えるだろうとお婆ちゃんに言われたし、私もそう思ったから。そんなサバサバしたお婆ちゃんが私は好きだった。お父さんとは仲が悪いけど。


「落ち着いて。お婆ちゃんには会いに行けません」

「どうして!?」

「日本にいないから。いま、グアムに住んでます」

「グアム…えっ、グアム!?」

「そう。だから、すぐには無理です」

「妻が亡くなってすぐにグアムの男と再婚したんだ」

「グアムの男!?」

「そんな、驚きますか?」

「驚くでしょ、そりゃあ。そんなグローバルな方なの?」

「グローバルというか、型破り?」

「あぁ、そうだな。型破りな人だ」


お父さんはまた溜め息を吐いた。固いお父さんとは話が合わないのだろう。お母さんの母親であるお婆ちゃんは私がお父さんと養子縁組したいと言ったら二つ返事で了承してくれた恩人だ。だけど、大学を卒業するまでに必ずお父さんと仲直りをして籍を戻せと言って、グアムに行ってしまった。結果として、私は籍をお父さんの方に戻す前に昆奈門さんの籍に入ってしまったけど、仲直りはちゃんと出来た。だけど、それは昆奈門さんのお陰なのだから、いつかは必ずお婆ちゃんに会わせたい。まぁ、グアムなんて遠くて日帰りなんて無理なわけだし、そう簡単には行けないから、いつか、だけど。
タクシーで家に帰り、換気のために窓を開けると冷たい風が入ってきた。東京よりも気温が低いから、というわけではなく、明日から天気が崩れるらしい。毎年毎年どうしてゴールデンウィーク明けに一度寒くなるのだろう。荷物のほとんどをホテルから送ったから、今日は洗濯が出来ない。明日からどう乾かそうかと悩んでいると、昆奈門さんも思い悩んだ顔をして手帳を眺めていた。理由は聞かなくても分かる。


「いいですよ、挨拶なんて急がなくても」

「駄目だよ。こういうのはきちんとしないと」

「たまーに昆奈門さんはちゃんとしてますね」

「ほぉ?たまに、ねぇ?」

「あ!今のは失言で…いひゃい!いひゃい!」


ぎゅう、と頬をつねられ、昆奈門さんは不機嫌そうな顔をした。というより、拗ねたような顔をしている。お婆ちゃんのことを話さなかったことを根に持っていそうだ。
昆奈門さんも突飛なことを言うことがあるから、もしかしたらお婆ちゃんと話が合うかもしれない。というか、意地でも合わせてきそう。あのお父さんとも普通に会話が出来ている上に月に一度飲みに行っているのだから。おまけに、いつも楽しそうに帰ってくる。そう思うと凄い人だなぁと思う。


「そうだ。電話だ。電話でご挨拶をしよう」

「国際電話って私、苦手で…」

「なんで」

「たまに英語のアナウンスが流れるじゃないですか」

「あぁ。圏外の時とかのやつ」

「あれ、怖くないですか?」

「別に?」

「なに言ってるのか全然分からないから怖いですよ」

「あぁ。なまえはそうかもね」

「昆奈門さん、英語得意ですもんね…」

「まぁね。いいから早く」


グアムと日本は時差が少ない。昆奈門さんは早く電話を掛けろと促してきた。仕方なく携帯でお婆ちゃんに電話を掛けてみる。どうかお婆ちゃんに普通に繋がりますように、と願いを込めて。無駄に緊張するから国際電話は嫌いなのに。
しばらくすると、お婆ちゃんが出た。私が話し始めると、隣にいた昆奈門さんがそわそわとし始めた。促したくせに緊張した顔をしているものだから、思わず笑ってしまった。


「あのね、私、結婚したの。それでね、お婆ちゃんに挨拶にすぐは行けないから電話でとりあえずってことになって」

「そう。でも、今はいい」

「いいってどういうこと?」

「行くんだ、来月日本に。ま、その時にでも」

「えぇ!?いつ?」

「追って連絡するよ。じゃあね」

「えっ」


言いたいことだけ言って、電話を切られた。全然話せなかった。相変わらず、忙しい人なんだろうなぁ…
切れた電話を見つめて私が溜め息を吐いていると、昆奈門さんは驚いたような顔をした。お婆ちゃんに反対されたとでも思ったのかもしれない。とても不安そうな顔をしていた。


「お婆ちゃん、何て…?」

「来月、日本に来るんですって。その時に会おうって」

「来月のいつ?」

「さぁ。詳細は追って連絡するそうです」

「…なんか、なかなか凄いお婆ちゃんなんだね?」

「そうですね」


驚いたような顔をした昆奈門さんにお婆ちゃんと撮った写真を見せる。お母さんと似ても似つかないお婆ちゃん。もちろん私とも似ていない。50を過ぎて急に頭を刈り上げ始めるような人だから、こんな田舎とは合わなかったのだろう。
当然の如く、写真を見て昆奈門さんは言葉を失っていた。想像している「お婆ちゃん」像とあまりにも違ったのだろう。実際に会ったらどんな反応を見せてくれるんだろう。多分、絶句するんだろうなぁ。それで、お婆ちゃんのペースに乗せられて話が進む、と。そんな昆奈門さんは見たことがないから、会うのが楽しみだ。
窓を閉めて、冷凍庫からあらかじめ仕込んでおいた具材を煮込む。出来上がった豚汁を口にして昆奈門さんは帰ってきたという気になるよ、と笑った。私のご飯を食べると安心するそうだ。そんな嬉しいことを言ってくれる人に食事を作ることが出来る私は、とても幸せ者だなぁと思った。そして、私も豚汁を口にした。やっぱり我が家が一番だ。
いつも通りの穏やかで幸せな日々がまた始まった。


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