雑渡さんと一緒! 137


レンタカーを借りて足を伸ばして来てみた水族館は海沿いにあり、広大な敷地からは磯の香りがした。陣左がシャチがいると以前言っていた水族館だ。
シャチなんて実物を見るのは私も初めてのことだ。そして、なまえも同じよう。ただ、認識が私とは少し違っていた。


「要はイルカの大きい子って感じですね?」

「んー…どちらかといえば、鯨じゃない?」

「えっ、そんなに大きいんですか?」

「どのくらいのサイズだと思ってるの?」

「だから、イルカが大きくなったぐらい」

「多分、違うよ、それ」


シャチといえば鯨を捕食すると聞く。となれば、そんなに小さいということもないだろう。だが、この水族館ではシャチがイルカのように跳ぶらしい。さっぱり分からない。
大きな水槽の前で私たちは呆然とした。これがシャチ…となまえは驚いていたが、私も驚きを隠せない。あまりに大きい。


「えー!かわいい!」

「かっこいい、じゃなくて?」

「可愛いですよ、目が」

「どこ、目って」

「これじゃないんですか?」

「それ、模様でしょ?」

「あぁ、パンダみたいな?」

「なに、その例え」

「えっ。分かりやすくないですか?」

「全然?」


私たちが話していると、周りから笑われた。一定数のファンがいるとは聞いていたが、思いの外多そうだ。
二人で座り、ぼんやりとシャチを眺める。鮫とは違い、どこか穏やかそうに見える。あ、そういえばジンベエザメとかいうのも穏やかなんだっけか。いや、誤情報か。うちの社長と似た名前のくせに穏やかなんてこと、あるはずかない。


「本当に跳べるのかな」

「無理ですよ。跳ぶのはイルカだけです」

「だから、なに、その認識。どこから仕入れてくるの」

「え?ま、間違ってます?」

「知らないけど、跳ぶらしいよ」

「えー。嘘だぁ」

「それに関しては私も嘘だと思っている」


こんなに大きな生き物が重力に逆らって跳ぶなんてことが出来るはずがない。そう話していると、歓声が湧いた。
声の方を見ると、跳んでいる。あの巨体が高く跳んでいる。


「えっ、と、跳んでますよ!?」

「うわ、凄…」

「昆奈門さんも初めて見たんですか?」

「そりゃあね。いや、まさか跳ぶなんて思わなかった」

「シャチって可愛いですね」

「いや、かっこいいでしょ」

「飼いたいなぁ」

「流石に無理があるから」


犬や猫ならまだしも、シャチなんて飼えるはずもない。こんなに大きな水槽なんてどこに置く気だ。あぁ、でもビジネスとしてはアリかもしれないなぁ。こんなにファンがいるというのなら、金も相当動くのではないだろうか。というか、この水族館に餌を卸す業者を買い取ったらなかなかの利益になるのではないだろうか。この大きさだ、かなり食べるだろう。あぁ、いいな。帰ったら調べてみよう。
つい仕事のことを考えて長居してしまったが、実は近隣にもう一つ目的地がある。一面に色とりどりの花が咲いているというテーマパークだ。なまえは花が好きだし、植物園すら楽しそうだったから、きっと喜ぶだろうと思って来てみたが…


「うわ、これは見事だね…」

「わぁ、綺麗」


広大な敷地の一面に咲く花は見ものだった。都会から近いというのに、こんな施設を構えるとは。もう少し我が街も努力すべきなのではないだろうかとさえ思うほどに見事な景色だった。暖かい風に揺れる花を近くで見てみると、なかなかに可愛らしい。名前も知らない花だけど。


「これ、何て花なの?」

「これがポピーで、あれはネモフィラです」

「知らない。聞いたこともない」

「覚えました?」

「もう一回言って」

「ポピーとネモフィラです」

「あぁ。覚えられないから、また見たら聞くことにする」

「ポピーは覚えられるでしょ」


くすくすと笑うなまえと手を繋いで歩く。途中、カフェに寄り、アイスと冷たい珈琲を入手して、暖かい春の陽気を楽しんだ。地元よりも暖かい気候と知ってはいたけど、今日は随分と暖かい。やっと春が来た気になっていると急にまた寒くなって風邪をひくから、気を抜かないようにしないと。
アイスを食べ終わったなまえは長い髪を風に揺らしながら遠くに見える黄色い花を指差して笑った。私の一存で伸ばしてくれている髪はもう胸下にまで伸びていて、去年の今頃もそういえば伸びた髪が可愛いと思ったなぁとふと思い出す。
あの頃は辛かったし、なまえが退院してからも何度も思い出しては苦しくなっていたけど、最近はあまり思い出さなくなってきた。だけど、決して忘れてはいけない。この幸せは簡単に失われる可能性があるということも、なまえが私のために頑張ってくれて、戻って来てくれたことも。


「ねぇ、昆奈門さん」

「んー?」

「私をこんな素敵な所に連れて来てくれてありがとうございます。私、こんなに綺麗な花畑なんて初めてみました」

「気に入ったようだね」

「はい」

「本当はね、花束を贈ろうと思ったんだ」

「花束?」


そう、花束。潮江くんが二度もなまえに贈ったもの。潮江くんが出来るんだ、私にだって出来ると思い、花屋を覗いたけど、何がいいのかもよく分からず、店員に勧められた花を眺めてみたけど、何か違うと感じて結局、買えなかった。花のことなんてよく分からないけど、なまえに似合う花ではないと感じたのだ。似合うのは何なのかはまだ分からないけど。
卒業式までに花のことを多少なりとも学ぶ必要があるだろうなぁと思いながら、なまえの細い首にネックレスを掛けた。こういう装飾品なら似合うかどうか分かるんだけどなぁ…


「えっ、これ…」

「昨日、手紙の衝撃が大きくて渡しそびれた」


本当は昨日渡すつもりだったんだけどね。ちょっと、手紙にあまりにも可愛いことが書いてあったから渡すことを忘れてベッドの中で白熱してしまったから。
小さな花がモチーフのネックレスにはパールがあしらわれており、大人びて見える。普段幼く見えるなまえだけど、よく似合っていた。華奢なデザインのアクセサリーがなまえはよく似合うと私は思っているけど、なまえの好みは実はよく知らない。だけど、なまえは嬉しそうに笑ってくれた。


「これで昨日の手紙の返事になっただろうか」

「…知ってるんですか、花言葉なんて」

「これでも調べ物は得意な方なもので」

「ふふ…ありがとうございます、昆奈門さん」

「そう。それさぁ」

「はい?」

「もうやめない?敬語で話すのも、私を敬称で呼ぶのも」

「えっ…む、無理です!」

「どうして」

「だって、私、年下だし…」

「そうだね」

「それに、昆奈門さんのこと尊敬してるし」

「あぁ、どうも」

「な、慣れてませんし…」

「じゃあ、これから慣れていってよ。夫婦なんだから」


これからもずっと愛してくれますか、の答えがかすみ草のネックレスで出来てよかった。そして、永遠に側にいる仲となったのだから、敬語も敬称もいらない。
二年前と違って気安く色んなことを私たちは話すことが出来るようになった。私たちは変わった。そして、これからも、もっと変わっていくことだろう。これから、きっと色んな出来事があるだろうから。なまえは私が変わっていくことが不安だと前に言った。だけど、私は変わっていきたい。なまえと一緒にいる時も、そうでない時も生きることを楽しみたい。そして、それを共有して、たくさん笑いたい。なまえのおかげで私は自然に笑うことが出来るようになったから。


「あ。向こうに動物がいるみたいだよ」

「えっ、行きたいです!」

「です?」

「い、行きたい、なぁ…」

「ふふ。不自然」

「すぐには慣れませんよ…」

「そうだね。ゆっくりと慣れていってね?」

「…はい」


犬に囲まれたなまえは困ったように全員平等に撫でていた。ここで差をつけようとしないところが実になまえらしい。
ゆっくりとでもいい。変わっていこう。まだ長い結婚生活は始まったばかりなのだから。そしていつか、こんな風に囲まれて生活がしたいな、と思った。ペットではなく、子供に。



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