雑渡さんと一緒! 141


「俺さ、同棲しようかと思って」

「へぇ。誰と?」

「誰とって何だよ。照に決まってんだろ」

「照…はぁ!?北石と同棲するの!?」


思わず煙草を落とすかと思った。落とさなくともよかった。万が一にもスーツを焦そうものならなまえが般若と化す。
北石のことがそんなにも佐茂は好きなのか。というか、佐茂はもう亡くした彼女のことはいいのか。あと、北石の作る食事は大して美味しくもないけど、そのへんはどうなのだろうか。聞きたいことが山のようにあったけど、言えば何となく佐茂は怒るような気がしたから、言葉は飲み込んでおいた。


「まぁ、夏頃に引っ越せたらなーと」

「へぇ」

「お前は同棲した時、どうしたんだよ」

「どうとは?」

「物件探しとか、家具家電とか」

「あー。なまえが私の家に越してきた。ま、隣だったし」

「お隣さんてことか。いいな、浪漫がある」

「浪漫があるかは知らないけど、引っ越しは楽だった」


今となっては懐かしい。なまえが私に会いに来てくれて、毎日会うようになって、付き合うようになって。あぁ、懐かしいなぁ。あの頃はあの頃で楽しかったな。なまえはまだ初々しくて、私は私で必死で、今思い返すと可笑しい。もう一度体験出来るのなら、それはそれで楽しいかもしれない。お互い、今はもうない雰囲気があったから。
私となまえの関係性は本当に変わった。私はよいものに変わったと思っているけど、なまえはどうだろうか。他人といて落ち着くと感じるようになるなんて、信じられない。


「ふふ…」

「お。何、幸せそうに笑ってんだよ。俺にも分けろよ」

「嫌だね。佐茂は佐茂で幸せになりなさい」

「上から目線だなー」

「そう。ま、そう思うなら、それでいいよ」


煙草を消して、佐茂と別れてから駐車場に向かう。これから二件打ち合わせをして、一件契約。それが終われば帰れる。今日は早く帰れそうだ。今日の夜ご飯何かなぁ…なんて幸せなことを考えながら車のドアを開けると、背後から声を掛けられた。振り向くと、ゾワッとする笑顔を携えた男が立っていた。生理的に受け付けない顔、というのは未だかつて経験したことがないが、東京で初めて会った時から、この男は嫌な感じがする。ドクドクと鼓動が速まり、冷や汗が出てきた。


「こんにちは、雑渡さん。お久しぶりです」

「…これは、驚きましたね。出張ですか?」

「いいえ。今日はあなたに…お前とお前の妻に会いにきた」


男は背後に握っていた鉄パイプを振り翳してきた。咄嗟に避け、足を払う。あっさりと倒れたところを見ると、喧嘩慣れなどしていないのだろう。初めは驚いたが、呻き声をあげる男を見ていて段々と冷静になってきた。
こいつは私となまえに会いにきたと言った。鉄パイプを持って。つまり、なまえに危害を加えようとしている。


「貴様、何の恨みがあって私と妻を狙う!?」

「お前のせいで妻は死んだ!」

「は?私はお前の妻のことなど知らない」

「お前が昔、無抵抗の妻の首を跳ねたから、だから、あいつはまた死んだんだ!全てお前のせいだ、雑渡昆奈門!」


立ち上がった男はまた鉄パイプを振り翳してきた。
妻?こんな男の妻など私は知らない…が、前世の話をまさかしているのか。この男は誰だ。私はこんな男は知らない。


「お前に会って俺はすぐに分かった。なのに、お前は俺を何も覚えていなかった。おまけに、お前は妻がいるだと!?どうせ、あの鈍臭いくの一のことなんだろ!?俺に手を出したばかりではなく、お前は俺の妻の首も跳ねたそうじゃないか!」

「あぁ、あの時の…」


妻がいたくせになまえを犯した男ね。覚えていなくて当然だ。顔などロクに見もせずに殺したのだから。
で。どうしてこの男の妻を私が前世で殺したからといって現世でも私が殺したことになるというのだ。私は何もしていない。こんな男の妻など、私は会ったことさえないのに。


「妻が死んだのはお前のせいだ!」

「理解に苦しむね。私は関係ない」

「お前が昔、妻を殺したから因果が生じたんだ!」

「支離滅裂もいいところだ」

「何だと!?」

「私は確かに昔、お前の妻の首を跳ねた。だけど、今は何ら関係がない。何が因果だ、最早、ただの逆恨みじゃない」


くだらない。こいつは妻を失った怒りを私にぶつけているようだけど、私は関係ない。認めたくなくて、人のせいにして逃げているだけだ。人を巻き込まないでもらいたい。
そもそも、この男はなまえに手を出した。例えそれが過去の出来事とはいえ、不快な話だ。顔もみたくないほどに。


「話はそれだけ?お前、頭がおかしいから、病院に行きな」

「俺はお前を許さない!」

「あー、はいはい。時間の無駄だね」


つまらないことに時間を割いているほど私は暇ではない。こうしている間にもどんどんスケジュールが押して、家に帰る時間が遅くなってしまう。
面倒だから警察でも呼ぼうかと思い、携帯を取り出すと男は私の腕に向かって鉄パイプを振った。思わず携帯を落としてしまう。ディスプレイには先日、渋谷で撮ったプリクラが写っていた。それを見て、男は壊れたように笑い出した。


「あぁ、その女だ…犯されていながらも悦んでいた」

「…へぇ」

「大した身体をしていないくせに、挿れると俺を逃さないと言わんばかりに締め付けてきた、淫乱な女だ、そいつは!」

「あのさ」

「!?」

「私の女を侮辱するような口は利かない方が利口だよ」

「ぐ…っ」

「あと、私の女に手を出そうなんて考えは捨てた方がいい」


首を掴み、締め上げる。こんな男など生きている価値がない。私のなまえの身が危うくなるくらいなら、私の手で殺してやる。あの子は今も昔も私の女だ。誰にも渡さない。
みるみる顔色が悪くなる男を見ていて、ふと我に返った。頭に血が昇って、また過ちを犯すところだった。
手を離すと地面に倒れ込み、必死に息をしようともがく姿を見ながら色んなことを考えた。私がこの男を恨むことは当然だ。なまえが傷付けられたから。だけど、この男が私を恨むのもまた、当然だ。妻もろとも私に殺されたから。当然、私は現世ではこの男の妻に手を下したりはしていない。因果などと言われても、私には関係のないことだ。では、逆の立場だったら自分はどうしただろうか。この男のように逆恨みしたりはしなかっただろうか。大切な女が、なまえが他者の手により命を落としたのならば、私はどうしただろうか。


「成る程、罪深いな…」

「こ、殺してやる!」

「私は謝罪などしない。そんなことをしたところで、誰も救われはしないから。お前も私も、この罪は生涯背負っていかなければいけない。もう、誰にも許してなどもらえない」


全ては何百年も前に終わったことだから。私がお前を殺めたことも、お前がなまえを犯したことも、全ては遥か昔のことだ。例え任務であったとしても私はなまえを傷付けたお前を許せなかった。だから、殺した。それを悔いてはいない。どちらが罪深いかといえば、私かもしれない。だが、きっかけを作ったのは紛れもなく、この男だ。
今さら懺悔したところで何も変わらない。だから、私のことは生涯恨んでもらって構わない。謝って許してもらおうなんて生ぬるいことは失礼だから思わない。だけど、なまえのことは別だ。なまえに手出しはさせるわけにはいかない。
鉄パイプ、ね。まるでドラマみたいだ。こんな物で頭を殴打されたら死ぬのかな。死ぬのは困るんだけどなぁ…


「…ん。いいよ、殴って」

「はぁ!?」

「ただし、あの子には手を出さないで。絶対に」

「女のために死ぬって言うのか…かっこつけやがって!」

「かっこいいかな?むしろ、情けないと思うけど」


襲ってきた男からなまえを守るのならまだしも、自ら自分を襲う許可を出してなまえを守ることのどこがかっこいいというのだ。ましてや、過去の因縁絡みで。


「あと、死なない程度にやってね」

「注文の多い…っ、何を考えている!」

「いやさ、悪かったとは思ってるんだ。だから、殴ることくらい許してあげるよ。別に警察沙汰にもする気もないし」

「ば、馬鹿にするな!」

「してないよ。お前はさ、営業スキルもそれなりだし?もっと成長しなよ。で、また私とやり合おう。負けないけど」


だから、もう解放されなよ。前世とか、因縁とか、そういうことを全て忘れることなんて容易ではない。それでも、今を生きているのは武将だった頃のお前でも、忍者だった頃の私でもない。ごくごく普通のサラリーマンなんだ。それはそれで大変なことも多いけど、その中で幸せを見つけていけばいい。私の同期なんて前世で妻だった女を亡くしても新しい恋を成就させている。人は変われる。変わっていける。
こんなことを言っても、きっと綺麗ごとだと思ったことだろう。なまえと出会ったばかりの頃の私なら、絶対にそう思った。だけど、今はもうそんなことは思わない。私は変わったから。なまえの手によって、こんなにも変われたから。
振り翳された鉄パイプを避けず、じっとされるがままにしていると、鈍痛が頭に響いた。額に生ぬるい血が流れる感覚が気持ち悪い。殴った当の本人は呆然とした顔をしていた。慣れないことをしたから動揺でもしたのだろう。


「な、何で避けなかった…っ」

「…頼むからさぁ、なまえには手ぇ出さないで…よ…?」


立っていられなくて、私は車に背を預ける形で座ろうとしたのに、足に力が入らなくて倒れた。空が見える。頭が痛くて動けそうにもない。なのに、空には穏やかな青空が広がっていて、正反対の状況が可笑しいと思った。何だっけ、何か前にもこんなことがあったような…前…前っていつだっけ…
私を殴った男は逃げていった。職場の駐車場で倒れている私が発見されるまで時間はそうかからなかった。すぐに大勢の部下が走ってきて、必死な顔をして何かを言っている。そんな酷い見た目をしているのだろうか。何か言葉を紡いで安心させないといけない、そう思った。だけど、頭が痛くて意識が朦朧とする。ゆっくりと意識が遠のいていく。
私はあの子を守れただろうか。あの子…名前、何だったかな…あれ、あの子……って、誰だっけ…
目を閉じると、見知りぬ小さな女が瞼の裏に映った。幼い顔をしているくせに、随分と高そうな着物を着ている。対照的に隣には大男が立っていた。私を愚かだと言わんばかりの顔をして見ている。知らない奴らに憐れまれることが不快で目を開けると、やはり知らない女が泣きながら私を見ていた。ベタベタと馴れ馴れしく触られることが不快で、手を叩いてやる。すると、女も、女の隣にいた陣内も驚いた顔をした。


「気安く触るな。誰だ、お前」

「こ、昆奈門さん…?」

「部長、奥様ですよ。お分かりにならないのですか!?」

「知らない。お前など、私は知らない」


陣内は妙なことを言ったが、妻など私にはいない。いるはずがない。私はこの世で女が最も嫌いな生き物なのだから。


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