雑渡さんと一緒! 142


大学で授業を受けている最中に携帯が鳴った。慌てて電源を切り、授業後に掛け直す。だけど、相手は出なかったから、掛け直してきてくれることに期待してスーパーで買い物をして帰宅し、冷蔵庫に食材をしまっていると、携帯が鳴った。


「はい、もしもし?」

「タソガレドキ社課長の山本です」

「あぁ、山本さん。こんにちは?」

「その、落ち着いて聞いて頂きたいのですが…」

「はい?」

「部長が頭を殴打されて病院に搬送されました」


殴打。頭を殴打?昆奈門さんが?えっ、頭を殴打…殴打!?
パニックになった私に山本さんは搬送先を教えてくれた。大学病院までタクシーで向かいながらもっと詳細をちゃんと聞けばよかったと後悔した。どこで誰にどうして頭を殴られたのか分からなくて、不安だったから。いや、それよりも、昆奈門さんの容体をちゃんと聞けばよかった。ちょっと頭を切っただけなのか、それとも、もっと頭を切ったのか、意識はあるのか、ないのか。何も分からなくて不安だった。
昆奈門さんは人はパニックになると、咄嗟の判断を誤ると言っていたけど、それは本当なんだな、と思った。学校のリュックを背負ってきてしまったから。中には教科書がたくさん入っていて、凄く重いのに。だけど、財布だけ持ち出すなんてことは、あの時の私には動揺していて出来なかった。
救急外来に走って行くと、既に病室に上がったと言われ、慌てて病室に向かうと多くの人がいた。誰が昆奈門さんを襲ったんだと殺気立っている人、不安そうにしている人、自分が一緒にいればと悔やんでいる人、本当に色んな人がいた。だけど、私が病室に入ると一斉に私を見て、一斉に頭を下げられた。スーツを着ている人が一斉に頭を下げたものだから、まるで極道映画の姐さんのような扱いを受けているなぁと、どこか非現実的なことを考えてしまった。そして、昆奈門さんの寝ているベッドにまで一直線に道が作られ、思わず恐縮してしまう。私よりも年上の人たちが私を気遣ってくれているのが分かった。そして、私を昆奈門さんの妻として尊重してくれていることが分かって、何故だか泣きそうになった。


「あぁ。来てくださってありがとうございます」

「山本さん!こ、昆奈門さんは!?」

「全ての検査は終わりました。頭は7針縫うことになりましたが、脳には特に異常は見られなかったとのことです」

「よ、よかった…」

「ええ。後は誰が部長を狙ったのか探るだけです」


普段、優しい顔をしている山本さんがそう言うと、病室全体が恐ろしいほどの殺気に包まれた。ここにいる人たちのほとんど…いや、もしかしたら全員が昔、忍軍にいた人たちだったからだろうか。それとも、昆奈門さんが慕われているからだろうか。どちらにしても、全員が絶対に犯人を許さないという意思を持っていることが伝わってきた。
私は昆奈門さんが無事だったことに安心して、思わず泣いてしまった。7針縫った、と言われたけど、それが多いのか少ないのかは分からない。だけど、頭を包帯で巻いている昆奈門さんを見ていると痛々しくて、なかなか涙が止まらない。この人は一体どんな理由で、誰に襲われたんだろう。
許せない。私もそう思った。犯人が分かったら絶対に引っ叩いてやろうと思うほど私が静かに怒っていると、昆奈門さんが怠そうに目を開けた。ぼんやりと天井を眺めている。


「こ、昆奈門さん、大丈夫ですか!?」

「部長!」

「よかった、ご無事で」

「誰にやられたんです!?」

「我々が必ず報復を!」

「……?」


昆奈門さんは状況がよく分からないという顔をした。一斉に部下に取り囲まれて、少し驚いていたけど、私をチラッと見て身体を怠そうに起こしたから、思わず、止めた。まだ動かない方がいいんじゃないだろうか。そんなに急に動いて大丈夫なんだろうか。痛くないんだろうか。色んな想いが溢れてきて、泣きながら昆奈門さんに抱き付いた。
よかった、昆奈門さんが無事で。何ともなくて本当によかった。そう思っていると、腕を払われた。そして、本当に冷たい目で睨まれた。それは昆奈門さんが本気で私に怒っている時よりも更に冷たい、私に興味なんてないと言わんばかりの目だった。思わず縋るように私は昆奈門さんに手を伸ばしたけど、その手は昆奈門さんの手によって叩かれた。


「気安く触るな。誰だ、お前」

「こ、昆奈門さん…?」

「部長、奥様ですよ。お分かりにならないのですか!?」

「知らない。お前など、私は知らない」


昆奈門さんは私を軽蔑したような顔をして、左手で頭に触れた。包帯が巻かれていることに気付き、どうして自分がここにいるのか分からない、と言った。まだ混乱しているんだろう。私のことが分からないなんて、そんなことがあるはずはない。私はそう信じたかった。だけど、部下の人たちは私を昆奈門さんから遠ざけようとした。まるで守るように。


「ほ、本当になまえさんがお分かりにならないんですか?」

「よく見て下さい。なまえさんですよ!?」

「部長の大好きな奥さんじゃないですか」

「お前たち、揃いも揃ってくだらない…何、これ」


昆奈門さんは左手の結婚指輪をまじまじと見つめた。みんな必死で昆奈門さんは私と結婚していることを伝えてくれていた。だけど、決して昆奈門さんには近寄らせてはもらえなくて、疑問に思っていると、高坂さんが戸惑った顔をしながら私に近寄らない方がいいかもしれない、と言った。
私が高坂さんに理由を聞く前に昆奈門さんは気怠そうに結婚指輪を外し、投げ捨てた。金属音が静かな病室に響いた。


「くだらない。私が女と結婚などするはずがないだろう」

「部長!」

「こ、昆奈門さ…っ」

「さっきから、馴れ馴れしい。気色悪いんだよ、失せろ」


昆奈門さんは本当に私のことが誰なのか分からないようだった。私のことを忘れてしまった。何もかも、全て。
私がボロボロと泣いていると、山本さんが私を病室から連れ出してくれた。そして、缶珈琲を買ってくれ、危険だから、しばらく昆奈門さんから離れた方がいいと言われた。


「…どうして危険なんですか?」

「あの人はなまえさんのことを忘れています」

「はい…」

「部長は女性に嫌悪感を強く持った方です。いえ、それどころか、他人を寄せ付けようとはしない方です。あなたと関わるようになって随分変わりましたが、今の部長は危険です。あなたの身の安全のためにも離れる方がよいかと思います」

「で、でも…」


このまま離れても、昆奈門さんは私を思い出すの?このまま昆奈門さんと離れ離れになって大丈夫なの?それに、危険ってどういうことなんだろう。
山本さんに聞きたいことがたくさんあったけど、それをする前に病室から昆奈門さんが出てきた。ワイシャツもスーツも血で汚れている。たくさん血が流れたことが分かって、ゾッとした。昆奈門さんは本当に怠そうに私たちのところに歩いてきた。いや、私には目もくれなかった。山本さんのことしか見ていない。山本さんに帰る、と伝えて、昆奈門さんは私たちを追い越して歩いて行ってしまった。


「ま、待って!まだ帰らない方がいいです!」

「…お前、しつこいな。どこのガキだ」

「私は昆奈門さんの妻です!ちゃんと診てもらってから…っ」

「なまえさん!」


まだ退院しない方がいいと言う私を昆奈門さんは突き飛ばした。背負っていたリュックが重くて、床に尻餅をつく。転んだ私を見て昆奈門さんは「無様な女だ」と嘲笑った。
山本さんに支えられ、立ち上がらせてもらった。昆奈門さんが私を突き飛ばした。そんなこと、今までなら絶対にしなかったのに。私が怪我をすることを何よりも嫌がったのに。
私が呆然としていると、山本さんが「今日はホテルを押さえさせるので、そちらに」と言ってくれて、昆奈門さんに着いて行ってしまった。多くの部下の人たちが私を心配してくれた。とても悲しそうな顔をして。そして「部長は元に戻ってしまった」と言った。その表情と言葉から、あれが私と出会う前の昆奈門さんなんだと分かった。
佐茂さんは昆奈門さんが変わったと言った。だけど、ここまで変わったとは思わなかった。全然、違う人のようだ。私はあんな昆奈門さんを知らない。あんな全てを拒絶するような、冷たい目をするような人なんて私は知らない。あの人は誰?あの人は本当に昆奈門さんなんだろうか。
促されるがまま私はホテルに送ってもらい、一人小さな部屋に泊まった。昆奈門さんは今、何をしているんだろうか。いつまで私を忘れているんだろうか。もう二度と私は昆奈門さんに微笑まれることも、名前を呼ばれることもないのだろうか。そう思うと悲しくて寂しくて、目が腫れるほど泣いた。


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