雑渡さんと一緒! 155


「昆奈門」

「は?」

「お前、連絡しても繋がらないから心配していたんだぞ」

「はぁ…」

「身体でも壊したのか?」

「…いや、別に」

「じゃあ、連絡くらい返せ!心配するだろう!」

「いや、というか、誰?」


営業後に知らない男に話し掛けられたかと思えば、やけに馴れ馴れしい。歳は40代ほどか。随分と偉そうな話し方をしているところを見ると、中小企業の社長もしくは大企業の二代目あたりか。こういう態度をとってくる奴は大体そのあたりの立場の人間が多い。そして、大体失敗して駄目になる。つまり、私にとっても我が社にとっても大した利益とならない男であることは目に見えている。つまり、あえて機嫌を取る必要もなければ、話を合わせる必要もない。
ジロッと睨みつけると、男は機嫌をあからさまに悪そうにした。変なのに絡まれたなぁと思い、無言ですれ違う。背後からは頭の悪そうな罵声が聞こえたが、人に罵声を浴びせられることなど慣れている。私は特に気にも留めなかった。
で。家に帰ると何故かその男が玄関で仁王立ちをしていた。


「え。何、こいつ…というか、なまえ!」

「はぁい?」

「あぁ、よかった、無事で。何もされてない?」

「へ?」

「おいで」


なまえをぎゅうっと抱き締める。よかった、不審者が家にいたから何か妙なことをされたのではないかと一瞬最悪の事態が脳裏に浮かんだ。早いところ警察に通報しよう、と携帯を取り出すと、男に叩かれた。
思わず反射的に蹴り倒す。すると、なまえはギョッとした。


「あ、そっか。覚えてないのか…」

「え。知り合いなの?」

「うん。まぁ…というか、大丈夫?お父さん」

「お父さん…お、お父さん!?」


なまえにお父さん、と呼ばれた男は頭を押さえながら立ち上がって、私の胸ぐらをつかんだ。あー、これはやってしまったなぁ…とほんの少し後悔したけど、どう見てもなまえとは似ていない。本当に親子なのだろうか。なまえの父親と言われても、ピンとこないけど、まぁ、そんなもんなのかな。
どう謝罪するのが正しいのか分からず、何となくされるがままに大人しくなっていると、なまえが間に入ってくれた。


「お父さん!だから、記憶喪失だって言ったじゃない」

「にしても、普通蹴るか!?」

「家に知らない人がいたら驚くに決まってるでしょ!」

「少なくとも俺なら蹴らない!」

「それは、お父さんの足が短いからでしょ」

「何だと!?お前、父親に向かって…っ」

「何よ。事実じゃない!」

「ふ…っ」

「昆奈門!何が可笑しい!」

「いや、仲がいいんだなぁと思って」


ちょっと、羨ましいくらい。私もなまえと喧嘩したらこんな感じになるのだろうか。いや、ならないだろうなぁ。なまえはまだ私に遠慮しているところがあるから。いつかなまえとこんな関係になれるだろうか。本音で言い合いが出来るほどの深い関係に。
毒気を抜かれたように解放してもらえた私はリビングで寛ぐことを許された。やれやれ、とネクタイを外して煙草に火をつける。家に他人がいるというのはなかなか居心地の悪いものだ。何をしに来たのか知らないけど、早く帰ってくれないかなぁ…と思っていると、なまえが夕飯を持ってきてくれた。


「あ。お義父さんも食べていかれるんですか?」

「何だ、その気色の悪い話し方は」

「えぇ…じゃあ、どうすればいいんですか?」

「普通でいい」

「普通…とは?」


なまえの父親、つまりは私の義父。普通はどう接するのかなんて私には分からない。だけど、それなりに距離を置くというか、一応は尊敬している存在として気を使っておくべきではないのだろうか。知らないけど。
何にしても、早く帰って欲しいなぁと思いながら生姜焼きをつつくと、義父は私をジロジロと見てきた。居心地が悪い。


「…なにか?」

「お前はなまえのことを忘れたと聞く」

「あぁ、まあ…」

「なのに、なまえと婚姻関係を継続するのか?」

「まぁ、好きな子ですので?」

「ほぉ…なまえは可愛いだろう?」

「はい」

「料理もうまいし」

「そうですね」

「要領は悪いが、器量はいい」

「ですねぇ」

「俺の自慢の娘だ」

「成る程?」

「だから、ちゃんと大切にしてやってくれ」


義父は少し寂しそうに笑った。それは私が義父のことを何も覚えていないからなのか、それとも娘を私にとられたからなのか。何にしても、この男と記憶を失くす前の私はそれなりの関係性を保っていたということはよく分かった。
私はどんな人間だったのだろう。自分なのに、まるで自分ではないような感覚がした。なまえは思い出はまた作ればいいと言ってくれた。だけど、本当にそれでいいのだろうか。
夕飯を終え、義父は帰って行った。聞けば、うちに買収された小さな卸売店だそうだ。そして、それを進めたのは私で、だけど、条件が悪くないように社長に頼み込み、そして、経営にも協力していたそうだ。この私が人のためにそこまでやるなんて信じられない。自分はそんなにも優しい人間だったのだろうか。あの男とはどんな関係だったのだろうか。


「…ねぇ、なまえ」

「うん?」

「記憶を失くす前の私はどんな男だった?」

「どんな…今とそんなには変わらないよ?」

「本当に?」

「うーん…強いて言うなら、もっと過保護だったかな」

「過保護?」

「夕方以降に外に一人で出ることを嫌がったりとか。あと、私がピアスホールを開けることを物凄く嫌がったりとか?」

「…過保護過ぎやしない?」

「ね。私が先に死ぬことをいつも怯えていたから」


困ったような顔をしてなまえは笑った。なまえが私よりも先に死ぬ確率なんてほんの僅かなものだろう。私よりもほぼ一回り年が下なのだから。なのに、怯えていた?何故、私はそんなにもなまえの死を恐れていたのだろう。
考えても答えなど出るはずもなく、そしてまた、何かを思い出すわけでもなかった。だけど、この日を境に私は奇妙な夢を見るようになった。いや、夢なんて生優しい表現は誤りだろう。目が覚めたら何故か言いようのない罪悪感に苛まれ、自死したくなるほどの絶望感で胸が痛む。そして、隣で眠っているなまえの顔を見ると、安心感で泣きそうになる。そんな奇妙で、どこか切なくなる悪夢を見るようになった。


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