雑渡さんと一緒! 157


現実主義者というか、しっかり者のなまえが珍しく妙な冗談を言うものだから笑い飛ばしてやろうと思ったが、出来なかった。以前、うちに出た怪物が目の前にいたから。相変わらず包帯で身を包み、見えている片目は鋭い。そして、例の如く刀に手を掛けていた。ふ、と目を細めながら自分と背丈の変わらない男は言った。


「お前の罪を教えてやろう」


ゾッとした。逃げないといけない、と思った私はなまえを連れて必死に走った。あの男は誰だ。どうして私を着け狙う。
助手席になまえを乗せて、運転席側のドアを開けようとすると、背後から首を掴まれた。そのままアスファルトの上に倒れ込む。夕陽に染まった空を呆然と見ていると、すっと不気味な顔が近付いてきた。反射的に男に手を伸ばしたが、触れられない。いよいよもって私は動揺せざるを得なかった。これは生身の人間ではない。私にはなす術がない。


「偉い。なまえを護ろうとした。それは褒めてやろう」

「と、当然だ!なまえは私の妻なのだから!」

「当然ねぇ…」

「貴様は何者だ?何故、私を着け狙う!?」

「私はお前だ。もっとも、私はお前のような生ぬるい考え方も生き方もしなかったが。で、結局お前はどうしたいんだ」

「なに…」

「お前は事実を知りたがっているね。それだけの覚悟があるのか?お前は罪深い存在だ。その罪は生涯許されはしない」

「罪…?」

「なまえは私の…お前の罪を許してくれた。過去のことは思い出さない方が幸せなのではないかとさえ思ってくれている」


本当に優しい子だ、と男は言った。そして、刀を抜いた。


「なまえに免じて選ばせてやろう。罪を生涯背負いながら生きるか、それとも、何もかも忘れて生きるか。さぁ、選べ」

「…なまえが関係しているの?」

「そうだ、大きく関与している」

「だったら…私はなまえに関することなら何でも知りたい」

「ほぉ…そんなにもなまえが好きか」

「あぁ。心底惚れているよ。あんないい女は他にはいない」

「それは私も同じ意見だ。勿体無いほど、いい女だからね」


そう、なまえは私には勿体無いほどのいい女だ。可愛くて優しくて、そして、強い。私などを受け入れてくれ、包み込んでくれる。あの子以上の女などこの世にはいない。だけど、私はなまえのことを忘れてしまった。思い出せるものなら、思い出したい。例え辛いことも思い出してしまうとしても、私は逃げたくない。ちゃんとなまえの側に堂々といたい。
男は刀を振り翳し、私を斬った。斬られた感触はしなかったし、痛みもなかった。だけど、胸が抉られたのではないかと思うほど痛んだ。走馬灯のように恐ろしい光景が脳裏に広がる。空が少しずつ暗くなっていくのが見えた。私の心とは対照的に穏やかな空が見え、まるであの時のようだと思った。
ちゃんと死ねるように首を切ってから飛び降りたというのに、私は死ななかった。なまえの遺体を護るように落ちたせいで骨のほとんどが折れ、身動き一つ取ることが出来ない。どうしてこうも私は頑丈なのだろうかと絶望しているというのに、空には雲一つなく、どこまでも青空が広がっていた。私の心とは対照的に穏やかな空をしているから、思わず笑った。情けない。私は一人で死ぬことさえ出来ないのか。
しばらくすると、私を探しに来た部下が見えた。私を見て酷く狼狽している。だけど、私がなまえを抱えて倒れていたこともあって、すぐに状況を察してくれた。そして、泣いた。


「…ですから、程々にして下さいと申したんです」

「あー。言ってたね、そんなこと」

「組頭ともあろうお方が色に溺れてどうするんです…」

「ね。意外だったよ、私も。なまえの命は私が握っていたはずだったのにさぁ…本当は私の命をなまえが握っていたとは」

「忍軍はどうなさるおつもりです…っ」

「さぁ。どうとでもなるんじゃないの?」

「そんな無責任な…」

「大丈夫。お前たちならやれるよ。私のような無能な組頭にでも着いてきてくれたんだから。あの世で見ててあげるよ」

「組頭…」

「恋なんてしなければよかったなぁ。こんなにも辛いものだと知っていたら、なまえなんてさっさと殺していたのに」

「あなたには無理でしたよ」

「そ?どうして?」

「初めてお会いした時から思っておりましたが、組頭となまえさんは似ておられる。惹かれ合う運命だったのでしょう」

「運命ねぇ…」


だったら、こうしてなまえと死に別れることも運命だったのだろうか。確かに私はなまえと過ごした時間は幸せだと思っている。かけがえのないものだと思っている。だけど、こんな結末を望んでいたわけではない。ちゃんと想いを伝えて夫婦になって、一般的とはかけ離れているかもしれないけど、それなりに幸せな家庭を築きたかった。私はどこで間違えたのだろう。思い返せば、私は最初から間違えていたのか。あんな、犯すように抱いてみたり、どこまで許して貰えるか意地の悪いことを言ったりして…挙げ句の果てに嫉妬に狂って潮江くんを殺そうとして、なまえをこんなにも苦しめた上に死なせてしまうなんて。本当に愚かにも程がある。
死にたい。死んで楽になりたい。もう、生きていたくなんてない。誰も私のことを許してはくれない。それでも、なまえが側にいてくれたから私は耐えられた。屍を踏みつけて、絶望が背後に迫ってきていても、なまえが光で照らしてくれていたから。なまえは言った。いつか見慣れる、と。だけど、いつまで経ってもなまえは眩しかった。目が眩むほどなまえの心はいつも美しかった。本当に私はなまえが愛しかった。


「ねぇ、陣内。私となまえを丘に埋めてくれないかな」

「く、組頭…!」

「あぁ、ちゃんと先に殺してね?ほら、私しぶといからさぁ…土の中でも生き延びそうで怖いよ。ちゃんと先に殺してね」

「む、無理です!私には出来ません!」

「…これは最期の命令だ。私を殺せ。なに、一突きでいい」


私を慕ってくれてありがとう。私なんかに着いてきてくれてありがとう。なのに、こんな命令をして申し訳ない。また会えるかは分からないけど、次はちゃんと最後まで導いてやるから。次こそはいい上司になってやるから。だから、今の生はここで終わりにさせてくれ。部下に殺されるなら本望だ。
腕はもう動かなかったから、指先でなまえを確かめるように触れる。もう温かくもない。今、私も逝くからね。あの世で会ったら私のことを愚かだと怒ってはくれないだろうか。もう私なんかに気を使う必要はない。私はなまえとそんな関係に本当はなりたかった。もう私の周りにはそんな人間は殿以外一人もいなかったから、私が心を許した女には対等でいて欲しかった。なのに、どうして私はいつもあんなにも偉そうにしていたのだろう。どうしてもっと素直になれなかったのだろう。あぁ、考えれば考えるほど罪深いな、私は。
青かった空が霞んで見えなくなり、私はこの世に別れを告げた。その後のことは数百年後に知ることとなる。丘の上で盛大に弔われたこと、その後すぐにドクタケ城に攻め落とされたこと、部下たちが苦労したこと。知れば知るほど申し訳なくて、どうしたら罪を償えるのか必死に考えて、昇進した。本当は嫌だったけど。本当は平社員で終わるつもりだったんだけど。だけど、自分を慕ってくれている部下が不当な扱いを受けることが許せなかった。私の部下は私の罪を誰一人として責めはしなかったけど、あいつらを今度はちゃんと導いてやりたいと思った。なのに、都合の悪いことは全部忘れてしまうとは、本当に私は愚かだ。ちゃんと罪を償おうとしたのに忘れて退職まで考えるなんて、愚かにも程がある。
目を開けると知らない天井が広がっていて、無機質な壁紙が見えた。何となく嫌な感じがしたから、ここは病院なんだと分かる。何でこんな所にいるんだっけと身体を起こそうとすると、なまえに押さえつけられてまたベッドに寝かされた。


「動かないで!まだ寝ていて!」

「…早く家に帰りたいんだけど」

「駄目!動くのは先生にちゃんと診てもらってから!」

「大丈夫だよ。ちょっと斬られただけだから」

「斬られた?誰に?」

「自分に」

「…あ、頭を打ったから?か、看護師さん!」

「失礼な…」


まぁ、いいか。ちゃんと思い出したわけだし。ほらね、私は過去のことを全て忘れてもちゃんとなまえを好きになった。不本意ではあるけど、証明することが出来た。
しかし、記憶がなかったにも関わらず、よくなまえを側に置くことを許したし、なまえも私から離れなかったものだ。あんなにも酷いことを言ったし、酷いことをしたのに…えっ、待って。私、なまえに何をした?えっ、何をした!?えっ…えっ!


「あぁっ!」

「ひぇっ…な、なに…」

「さ、最低だ…」

「えっ、だから、何が」

「……もう、駄目だ。死にたい」


なまえにした数々の愚行までしっかりと蘇ってきた私は今すぐにでも窓から飛び降りたくなるほど後悔した。
後々後悔するがいい、と言われたけど、出来ればもっと早く止めてもらいたかった。どうしよう、どうしたら詫びれるだろうか。記憶がなかったとはいえ、知らないうちにまた罪を重ねてしまったことに気付いた私は震えるしかなかった。



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