雑渡さんと一緒! 164


「きぃちゃん、同棲おめでとう」

「その話はしないで」

「えっ。喧嘩でもしたの?」

「違う。荷解きが終わらないのよ」

「あー…」


荷解きが終わらない、という経験は私にもある。同棲の時ではなくて一人暮らしを始めた時のことだけど。積み上げられた段ボールを見て絶望したことが最早、懐かしい。
折角、テストも終わって楽しい夏休みが来るというのに、このままだと荷解きで8月が終わってしまいそうな雰囲気だ。


「…手伝おうか?」

「えっ、いいの?」

「うん。荷解きとか、掃除とかやるよ」

「ありがとう!マジで助かる!」

「一応、昆にも伝えておくね…」


後から揉めたら嫌だから、とアプリを開く。週末に嫌という程教えたLINEを昆はあっさりと使いこなしていた。というより、昆の方が楽しんでいる。そんなに使う?ってくらいスタンプを買っていたし、ちゃんと仕事してる?ってくらいメッセージを送ってくる。楽しんでもらえて何よりだ。
昆にちゃんと夕方には帰ることを伝えてから電車で二駅のマンションに向かう。玄関に入ってまず度肝を抜かれた。靴が山積みになっている。そして、廊下には段ボールの山。人が一人ギリギリ通れるくらいのスペースしかない。どうにかリビングに入ると、本当に生活してる?と聞きたくなるほど汚い。服が散乱しているし、段ボールが片っ端から開けられている。真新しいテーブルの上には梱包された皿が一つ。


「…きぃちゃん一昨日から住み始めたって言わなかった?」

「言った」

「嘘でしょ!?この家で生活出来る!?」

「だから困ってるんじゃない…ねぇ、助けてよ」

「えぇー…」


ちょっと物が多過ぎて、どこから片付けたらいいのか分からない。お皿が一枚しかないのにどうやって生活しているのかと聞けば、食事はコンビニで済ませているそう。この話を昆が聞いたら呆れるんじゃないだろうか。
私たちはとりあえず段ボールを片っ端から開けた。そして、とにかく場所分けをした。キッチンの物はとりあえずキッキンに置く。寝室の物は寝室に置く。洗面所の物は洗面所に置く。雑多に入っている荷物を仕分けしていかないと、一ヶ月あっても片付かないと思ったからだ。
こうして、どうにか段ボールはなくなった。しかし、状況はさっきよりも悪い。この家は足の踏み場がないに等しい。


「こ、ここからどうするのよ…」

「きぃちゃんは玄関の収納に片付けて。それが終わったら寝室。私はキッチン周りを片付けたら洗面所周りを片付ける」

「わ、分かった…」


ゴミ袋に梱包材を入れて食器を洗い、拭いてから棚にしまっていく。立派な食器棚があるというのに、空っぽで可哀想になる。調味料をしまい、調理器具や洗剤類をしまって、どうにか事なきを得た。うちより高そうな調理器具がたくさん用意されていて、きぃちゃんのやる気を感じる。
次に洗面所だ。タオル類をしまって、石鹸類を片付ける。


「なまえ、終わったよー」

「よし、次は一緒にリビングを…っ!?」

「あら。外、もう真っ暗」


やばい、何時!?と焦っていると、電話が鳴った。相手なんて見なくても分かる。絶対に昆だ。絶対に怒られる。


「こ、怖くて出られないよ…」

「でも、出ないわけにはいかないでしょ」

「そ、そうだけどさぁ…っ」

「いいから、早く出なさい」


ほらほら、ときぃちゃんに促されて出た相手はやっぱり昆だった。第一声が「で?」だった。怖い。初っ端から怖い。
私はふるふると震えながら今、きぃちゃんの家にいることを伝えた。すると、昆は心底呆れているような声を出した。そして「まだ人の家を片付けているの?」と言われた後「迎えに行くから絶対に動くな」と言われ、一方的に切られた。
きぃちゃんに大丈夫?と聞かれたけど、どちらかといえば大丈夫ではないような気がする。だけど、まぁ、暗い時間に外を歩いていたわせではないから大丈夫かもしれない。あくまでも比較的、だけど。怒られることは多分もう確定だろう。夕飯の用意もしていない。あ、そういえば今日の夕飯はどうしようかな…と現実逃避していると、佐茂さんが帰ってきた。


「ただい…うぉ!?すっげぇ綺麗になってるじゃん!」

「おかえり。なまえに手伝ってもらったの」

「えっ。マジで?あー…それで雑渡あんなに怒ってたのか」

「お、怒ってましたか?」

「俺に対してね。人の嫁を使うなとか言ってたわ」

「なまえは雑渡さんだけのものじゃないのにねぇ?」

「なぁ?」

「「と、いうわけで」」

「…え?」


よろしく、とさっき出したばかりのエプロンを手渡された。
私にこの家で夕飯を作れと言う。食材なんてないのに何を作ればいいのよ、と私が文句を言うと、冷蔵庫の中には作るつもりで買った食材が山のように入っているという。冷蔵庫を開けて確認すると、確かにお肉も野菜も山のように入っていた。だけど、お肉の賞味期限は今日までだ。引っ越した日に意気込んで買い貯めていたらしい。だけど、段ボールのどこに調理器具があるのかも分からず、そのままにしていたようだ。引っ越しあるあるなのかは分からないけど、よりにもよって何故日持ちしない挽き肉を買ってしまったんだろうか。
仕方なく、玉ねぎを刻む。家で使っている調味料があるわけではないから、多分味がいつもと違う。だけど、お洒落な調理器具を使うことが出来て嬉しかった。うちには要らないけど。どうせすぐに汚れるし、手に馴染んでいる物の方が使いやすいから。うちではステンレス製で十分だ。
炊飯器でご飯を炊きながら慌てて夕飯を一人で作っている間にも二人は部屋を片付けていた。時々、言い合いながら。この二人は喧嘩をよくする。だけど、同棲を決めるほど仲はいい。喧嘩するほど仲がいいというやつなのだろう。そんなことを考えながら味噌を溶かしていると、玄関から叫び声が聞こえた。そして、すぐにリビングのドアが開く。息を切らせた昆は私をギロリと睨みつけていた。あぁ、怒っている…


「なまえはどうして人の家で夕飯を作っているのかな?」

「ど、どうしてだろう…」

「おまけに、私の記憶が正しければ夕方には帰る、と言ったね。なまえにとっての夕方とは一体何時までなのかな?」

「ち、違うの!片付けていたら遅くなって…」

「そう。相変わらず優しい子だね、誰に対しても」

「…褒めてる?」

「なまえにはそう聞こえたの?」

「いいえ…」


昆は屈んで私の顔をジロジロと見ていた。よく私が怒ると怖いと言うけど、絶対に昆が怒った方が怖い。それでも、最大級に怒っているわけではなさそうで、少しホッとした。
まぁまぁ、と言いながら佐茂さんときぃちゃんは既に食べ始めていた。本当に自由なカップルだ。相性がよさそう。


「お前たちも食えよ。な?」

「なまえが作っているのに、何で佐茂が偉そうなの」

「俺たち、家主だから。さ、ご馳走してやるよ」

「だから、作っているのは私の妻であるなまえだよね!?」

「わぁ、この玉子焼き美味しい」

「北石も聞け!私の妻を気軽にこき使うな!」

「まぁまぁ。はい、昆もお味噌汁飲むでしょ」

「飲むよ!もう…食べたら帰るからね!?」

「はぁい」


つい先日ぶりに食卓を四人で囲む。顆粒だしのお味噌汁、ナツメグとチーズの入っていないハンバーグ、白だしの入っていない玉子焼き。どれもこれも、家で作る味とは違うけど、昆は文句を言わずに食べていた。ただ、いつもの方が美味しいと言わんばかりの顔をしている。
きぃちゃんと佐茂さんは美味しいと言って食べてくれた。何の捻りもない夕飯だけど、とりあえずは三人に食べてもらえてよかった。ただ、箸を進めれば進めるほど昆は残念そうな顔をした。もしかしたら明日もハンバーグを所望されるかもしれない。いつも通りの肉汁とチーズを閉じ込めたハンバーグ。もし希望されたら付け合わせは何にしようかな。人参とセロリがたくさん入ったポテトサラダなんてどうだろうか。その横にソテーしたブロッコリーとトマトを添えて…と明日の献立を考えながらご飯を口にしていると、きぃちゃんが不満そうな声を出した。雑渡さんはつくづく贅沢な男だ、と。


「いつもなまえの美味しいご飯を食べられて狡い」

「そうだそうだ、狡いぞ。店を出せよ」

「嫌だね。絶対に出させない。私だけのものだ」

「こんな美味しいハンバーグは忘れらんねぇよ」

「ふっ…」

「な、何だよ」

「別に?」

「だから、何でもないって。ねぇ、なまえ?」

「ん…」

「まさか、普段の方が美味しいってことかよ!?」

「別にー」

「おい!そうなんだな!?俺にも食わせろよ!」

「嫌だね」


ふふん、と昆は鼻で笑ってから手を合わせた。そして、立ち上がったから私も慌ててお味噌汁を口にして立ち上がる。昆は明日も仕事だ。早く洗い物をして帰らないと。


「北石。後片付けくらいやりなさい」

「わ、分かってますよ」

「そう。じゃ、帰るよ」

「えっ、待って…ご、ごめんね」

「また来てね、なまえちゃん」

「そうそう。夏休み、毎日ご飯作りに来て欲しいくらいよ」

「怒るよ、北石」


ぐいぐいと昆に手を引っ張られてコインパーキングへと向かう。道中、やっぱり昆は明日もハンバーグが食べたいと言った。ただし、いつもの味の。
そういえば、初めて昆に家で作ったご飯はハンバーグだったなぁと思い出す。あの時は昆に野菜を食べさせることに躍起になっていた。初めは嫌そうに食べていたことが懐かしい。それに、今日作ったハンバーグやお味噌汁とそう変わらない味だったと思う。なのに、昆は美味しいと言ってあの時は食べてくれた。ハードルがどんどん上がっていっている感が若干プレッシャーである。昆は今日のハンバーグをどう感じたのだろうか疑問に思った私は家に帰るなり煙草を吸う昆に珈琲を渡して聞いてみた。すると、予想とは違う解答がきた。


「美味しかったよ、普通に」

「あ、そう…」

「いつものご飯が10なら、今日のは2かな」

「こ、酷評…」

「だって、なまえが作ってくれるご飯は日に日に美味しくなっているから。私の舌も肥えていくに決まっているでしょ」

「し、精進します…」

「で?」

「え?」

「まさかなまえは私以外の男にそう易々と料理を振る舞ってもいいとでも思っているの?そもそも、連絡もなしに夜に家を空けたことに対してはまだ許した覚えはないんだけど?」

「外には一人で出ていないじゃない…」

「私が家に帰ってなまえがいなかった時、どれだけ焦ったか分かる?どれだけ心配したか、まさか分からないとでも?」

「…ごめんなさい。ど、どうすれば許してもらえる?」

「さぁ?どうすればいいと思う?」


にまっと意地の悪い顔で昆は笑った。そして、そろっと腕が服の下に伸びてきた。後の展開は言うまでもない。
昆は私の作るご飯が何よりも美味しいと言ってくれる。そして、期待してくれている。更に美味しくなることを。それはプレッシャーでもあり、そしてまた、嬉しくもあった。野菜の使い方も、一日に摂る量も大分身に付いてきた。一日30品目を目指してこれからもご飯を作り続けていこう。テストも今日で無事に終わったことだし、明日からまた昆に美味しいって言わせてやるんだから。驚かせてやるんだから。
私がそんな余計なことを考えていることに昆は気付いたのだろう。少し拗ねたような顔をしながら「いい度胸だ」と言って私を激しく攻め立てて来た。あまりの快感に余計なことなんて考える余裕がなくなった私は結局、昆のされるがままになるしかなく、ゆっくりと白い世界へと落ちて行った。


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