雑渡さんと一緒! 163
「ごめんなさい。私、好きな人が出来たの」
「えっ」
「だから、別れて」
「えっ、ど、どうして…っ」
「だって、あなたといてもつまらないから」
「……っ」
「お世話になりました、さよなら」
「ま、待って…っ」
ハッと目を開けると、そこは寝室だった。エアコンがついているというのに、汗だくだ。最悪だ、何て夢だ…
なまえが私から離れていこうとしているというのは誤解だったのだ、それを知った上でこんな夢をまだ見るなんて。怖くなって隣にいるはずのなまえを抱き締めようと横を向くと、確かに寝るまではいたはずのなまえの姿がなかった。ゾッとして慌ててリビングに向かうとなまえがいた。
安心してなまえに近寄ると、慌てたように何かを隠された。
「ど、どうしたの?まだ2時だよ?」
「いや、嫌な夢を見て…それより、何か隠さなかった?」
「あぁ…テスト勉強していたの。びっくりしただけ」
「そう…」
そういえば、そんな時期だったね。一昨年は私も月末処理で忙しかったけど、今年は新しいシステムが思いの外うまく働いていており、家に仕事を持ち帰ることがなかったから、すっかり忘れていた。
なまえが家にちゃんといてくれてよかった、と抱き締める。いや、しかし怖かった。呆気なく捨てられたかと思った。
「どんな夢だったの?」
「んー…なまえに振られる夢」
「あぁ…」
「えっ、何、その返答は」
「いや、私もたまーに見るから、そんな夢」
「大丈夫。私から離れることはまずない」
「安心して。私もだから」
ぎゅうっと抱き返してもらえて、本当にホッとする。あんな嫌な夢を見るなんて、不吉にも程がある。
しかし、つまらないか…私はまだ幼少の頃に言われたことがトラウマなのだろうか。ただ、確かに私は面白みのある人間ではない。それこそ、若者の文化はさっぱり分からないし、分かろうともしていない。スマホの機能は5%程しか使っていないし、LINEもなまえに何度もしようと言われても未だに応えていない。若いなまえからしたら退屈なのかもしれない。
「なまえはさ…」
「うん?」
「私といて退屈じゃない?」
「うん??」
「ほら、私はつまらない人間だから…」
「うん???」
何が言いたいのかよく分からない、という顔をしたなまえの頬を撫でると、指を絡めてきてくれた。そして、本当に不思議そうに言った。
「前々から思っていたんだけど、つまらないって何?」
「えっ、そりゃあ、退屈というか…」
「退屈?」
「私、別に面白いことは言えないし…」
「私も別に面白いことは言えないけど」
「いや、なまえは面白いことを言うでしょ」
「…それ、絶対に馬鹿にしているでしょ」
「まぁ、半分は」
「ほらぁ!もう、知らない!」
「あ、うそうそ」
床に座っていたなまえを抱えてソファに座り直す。なまえに振られたのは夢であり、こうして抱き締めても嫌がらないのが現実なのだと確認したくて、腕に力を入れる。なまえの小さな身体から感じる体温が心地いい。人肌が心地いいものだなんてなまえと出会わなければ知らなかった。人に触れられることが嬉しいなんて思ったこともなかった。人は一人では生きていけないなんて思ってもみなかった。それを知ることが出来たことは幸運でもあり、そしてまた、恐怖も生んだ。
ここ数日、なまえはよそよそしかった。私の元から離れていってしまうような気がした。本当に怖くて、どうにかしないといけないと思ったけど、どうしたらいいのか分からなくて。何か悪いことをしただろうかとか、怒らせるようなことをしただろうかと思い返してみて。たくさん悩んで出た答えは「自分がつまらない人間だから」だった。私は佐茂のように明るくもなければ、照星のように人を導けるだけの懐の深さもない。本当に見た目と肩書きしかない小さな人間だ。
どんどん嫌な思考が私を覆っていく。息も出来ないくらいの絶望がすぐ側まで迫ってきている。ただの夢だ、現実ではない。なのに、どうしてここまで引きずってしまうのだろう。
「つまらない、かぁ…」
「え?」
「私も似たようなことを言ったことがあったなぁって」
「そうだっけ?」
「ほら。私、頭が悪いから。昆にはもっと大人の女性の方が似合うと思ったら不安だって言ったことがあったじゃない」
「あぁ。何かあったかもね」
「その時、つまらないことを考えるなって昆は言ったよ」
「そうだったかもね」
「私に同じことを言わせる気?」
「う…」
「私、昆と話すの好きだよ。退屈だと思ったことはない」
「…本当?」
「うん。私は昆がつまらない人間だとは思ってないよ?」
ちょっと、つまらないの基準が分からないけど、となまえは付け加えて離れて行こうとした。多分、飲み物を用意してくれようとしているのだろうと気付いたけど、離れていかれるのが嫌で抱き締め直す。
私は若者の文化に手を出すことを好んでいない。絶対に追いつけないことが分かっているからだ。どんなに頑張っても所詮は若者の流行に追いつくことなど到底不可能であり、どんどん廃れていく文化を捨てて次々と新しい文化を取り入れることは根気が必要だ。だけど、月末処理のために取り入れた新しいシステムは本当に思った以上にうまく作動している。この分だと本当に月末処理を毎月やる必要がなくなる可能性が見えてきているほどだ。だから、新しい文化に触れることは一概に悪いと言えることではないのかもしれない。
「…LINE、教えてよ」
「えっ。えっ、やってくれるの?」
「要はメールの代わりなんでしょ?」
「まぁ…」
「その代わり、若い子のようなやり取りは無理だからね」
「例えば?」
「スタンプ?とか」
「スタンプなんてただ押すだけのやつじゃん」
「ちょっと、何を言っているのか分からない」
「大丈夫、今度ゆっくり教えてあげる」
なまえは嬉しそうに笑った。多分、本当に私にLINEをやって欲しかったのだろう。それはそうか。メールは一昔前の文化であり、今はLINEが連絡ツールとして主流なのだから。
私がLINEを頑なに拒んだのは、新しい文化に触れることが嫌だったからという理由だけではない。絶対に期待されているような内容を送れないと分かっているからだ。LINEはメールよりも気軽にやり取りをするものだと聞くが、気軽に送れるだけの内容が自分に捻り出せるとは到底思えなかった。そして、私とやり取りをしていてつまらないとなまえに思われたくなかったから、私はどうしてもやりたくなかったのだ。
だけど、なまえが私をつまらない人間だと思っていないとまで言ってくれるのなら、私が歩み寄るべきだろう。根気も勇気もいることだけど、こんなに若くて可愛いお嫁さんを貰えたのだ、私も少しは努力してみよう。そう思った。
ただ、残念ながらやっぱり何を送ればいいのか分からず、そして俗に言う「既読無視」なるものに自分が踊らされることになってしまうことになる、というのはまた別の話である。
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