雑渡さんと一緒! 161


本当は分かっていた。セックスだけでは運動量は全く足りていない。そして、私の食事摂取量は日に日に増えている。なまえのご飯が美味し過ぎるのだ。本当に日に日に美味しくなってきている。最早、恐ろしいほどに。
長年変わることのなかったベルトの位置が一つずれ、二つずれたあたりで私は認めざるを得なかった。このままだと確実に転がって出勤した方がいい体型になることを。それが嫌なら、嫌で嫌で仕方がなかった運動を始めなければいけない。いや、本当はご飯をおかわりなんてしなければいいのだ。だけど、それは少し難しい。本当になまえの作るご飯は恐ろしいほど美味しい。そして、もうすぐ新婚旅行が控えている。こんな体型で水着なんて着れない。醜い身体を暗闇でもない所で晒すわけにはいかない。公害もいいところだし、なまえに愛想を尽かされでもしたら、一大事だ。致し方がない私はジムの門を叩く決意をした。本当はものすごーく嫌だけど。


「ちょっと、ジムに行ってくる」

「へぇっ!?ジム?」

「そう。ちょっと、痩せないと」

「えー。太ってないじゃん」

「太ったよ!もう7キロも太ったよ!」

「あら。気付かなかった」

「そんな見え透いた嘘は逆に傷付くから」

「…でもさ、昆は運動なんてしたくないんでしょ?」

「したくないよ。前世で死ぬほどやったから」


そう、私は前世では死ぬほど鍛えていた。鍛えて強くならないと死ぬから。だけど、鍛えるというのはなかなかハードなものだ。少しでもサボるとあっという間に筋肉は脂肪へと変わってしまう。だから私は身体を作り上げる気などない。要は痩せられればいいのだ。ちょっと走り込みをして、ちょっと腹筋を割らない程度に鍛え、軽めのバーベルさえ持ち上げられればそれでいい。私がつらつらとジムで行うメニューを述べると、なまえは呆れ果てたような顔をした。


「それ、鍛えるって言うんだよ?」

「違う!脂肪を落とすだけ!」

「あ、そう。夕飯はささみにしておくね」

「駄目。今日は予定通り蓮根の挟み揚げにして。じゃあ、行ってくるから。でも、すぐ帰ってくるから。本当、すぐ!」

「はいはい。頑張って」


車を走らせてジムに向かう。鍛える気なんて微塵もないから歩いてなんて行かない。ほんの少しやるだけだ。
そう思っていたのに、いざ初めてみると予想外にしっくりとくる。つくづく嫌になる。鍛えることが懐かしいとさえ思ってしまう。そして、あっという間に息が上がることが悔しくて、つい深追いしたくなってしまう。ムキになってついやり過ぎてしまった。トレーナーにプロテインを薦められなければ、ずっと無心でやってしまいそうなことに気付いた私は慌てて帰宅した。そんなことを何日か続けた結果、ベルトの位置が一つ下がった。思いの外早く結果が出ていることに安堵した私は今日も料亭並の異様に美味しい夕飯にありつく。


「折角、身体作ってるのに、こんな食事でいいの?」

「作ってないから、いいの」

「せめて、白米を玄米にでもしようか?」

「いいって。私はね、なまえのご飯を楽しみに生きてるの」

「大袈裟な…」


なまえは呆れたような顔をしたけど、全く大袈裟ではない。佐茂も言っていたように、なまえの作る食事は店を幾つか構えていても不思議ではないレベルに達している。正直、なまえが店を出したいと言い出さないかヒヤヒヤしているくらいだ。一般家庭並みの食事なら「やっていけないから辞めろ」と言えるが、なまえの食事ではそんなことは言えない。つまり、出させたくないというのは完全に私の我が儘となってしまう。それでも、この我が儘は通させて貰いたい。これからもなまえには食事を私のためにだけ作って欲しい。多分、まだ美味しくなるだろうし。恐ろしいけど楽しみでもある。


「そういえば、就活のことなんだけど…」

「就活?誰の?」

「私の」

「なまえの?えっ、就職したいの?」

「えっ、しなくてもいいの?」

「どちらかといえば、しないで欲しいけど…」

「本当?」

「うん。専業主婦になって欲しい。ただ、無理にとは言わない。やりたいことがあるのなら、やってみればいいよ」

「…私ね、実は高校生の時からなりたいものがあるの」

「うん。なに?」

「その、もっとちゃんとご飯を作りたいの…」

「ごほっ…」

「えっ!ちょっと、大丈夫!?」


ピンポイントで恐れていたことを言われてしまって思わずムセてしまった。遂に恐れていた自体が起きてしまった。
私はなまえに専業主婦になってもらいたいと思っていた。仕事を終えて帰宅したら既に食事の用意がされていて、いつも家は綺麗で。学業があるというのにそれを文句一つ言わずにこなしてくれているなまえには頭が上がらない。程々にサボって貰って一向に構わないと言っているというのに、なまえは家事の手を抜こうとはしない。私が心地よく生活出来るように環境を整えてくれる。その甲斐甲斐しさが本当に本当に愛しい。家事に手を抜くことを一切しないなまえのスタンスは仕事をしても変わらないだろう。だから私はなまえには専業主婦になって貰いたかった。過労で倒れてしまわないか心配で仕方がない。
さて。これはどう説明すべきなのだろうか。ましてや、なまえのご飯を他人に気軽に与えるなんてことは絶対にしたくない。なまえの食事を楽しむことは私にだけ与えられた権利であって欲しい。どうしよう。どうしよう。どう止めよう。
私がうんうん悩んでいると、なまえは気まずそうに言った。


「…話を続けてもいい?」

「ど、どうぞ…」

「私、今の状況が嫌というか…」

「あぁ…まぁ、そうだよね…」

「うん…私、もっとちゃんとしたご飯を作りたいの。ほら、今は一汁三菜程度じゃない?申し訳なくて…もっと、時間を掛けてたくさんのおかずを昆のために作っていきたいの。だから、専業主婦をやらせて貰えたらなってずっと思っていて…」

「…うん?えっ、まだ品数を増やす気なの?」

「うん」

「えっ!いいよ!」

「技術もまだまだ高めていきたいし」

「いいって!太るから!」

「ジムに行ってるじゃん」

「痩せたら辞めるつもりだったのに、辞められないじゃん」

「がんばれー」

「えぇっ!?嘘でしょ!?」


なまえが末恐ろしいことを言うものだから、思わず箸を落としてしまった。どうやら、私を肥えさせる気らしい。
こうして、なまえの卒業後の進路と、私がジムを辞められないことが決定した。何にしても店を出す気はないようで一安心だ。とはいえ、これ以上品数が増えることは恐怖でしかなく、ちょっと本気で運動しようと静かに誓うしなかった。


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