雑渡さんと一緒! 166
目を開けると昆の厚くなった胸板があって、今日は休みなんだっけと目を擦ってみると新婚旅行に来ていることを思い出した。身体が異様に怠くて、昨日何かしたんだっけとぼんやりと思い返していると、とんでもなく激しく抱かれたことを思い出した。そして、自分もとんでもないことを口走ってしまったことまで思い出してしまい、居た堪れなくなって昆から離れようとすると、ぎゅうっと抱き締められた。これで寝ているというのだから驚きだ。どんな反射神経なのよ。
よしよしと頭を撫でると抱き締められた力が抜けていったから、この隙にとベッドから出る。身体が怠いのを通り越して重いというか、痛い。初日からこんなにもしなくてもいいじゃない、と思いながらバスルームに入る。ホテルのバスルームは大きな鏡があるから実は少し恥ずかしい。貧相な身体がしっかりと見えてしまうからだ。嫌だ嫌だとカーテンを閉めようとすると、自分の身体に信じられない数のキスマークが残されていて思わずじっくりと眺める。首から胸までどころか、お腹から脚にまで無数の痕がついている。これ、まさか昨日つけられたの?今日から南国の海を楽しむ予定なのに?信じられない、こんな身体じゃ水着なんて恥ずかしくて着られない。シャワー後に酷い、と昆を叩き起こしてやる。
「あー…おはよー…」
「おはようじゃない!何よ、これ!」
「んー…?」
「こんな身体で海に恥ずかしくて行けないじゃない!」
「あー…大丈夫、男避けになるから」
「何も大丈夫じゃない!」
私が怒ることも想定の範囲内だったのだろうか、それとも寝起きだからだろうか。何にしても昆は特に動じずにゆっくりと身体を起こして軽くストレッチをしてから時計を眺めた。
「えっ、もう、12時!?」
「えっ!?」
「な、何で起こしてくれなかったの!?」
「私も今起きたの…あ、朝ごはんが!」
「あ、気にするのはそこなんだ」
呆れたように昆は私を見たけど、ホテルの朝食を楽しみにしていた私からしたら朝食のビュッフェを食べ損ねたことは大問題だった。どうりでお腹が空いているわけだ。
昆は今日は海には行けないねぇとのんびりと言ってからバスルームに消えて行った。あぁ、折角ハワイまで来ているのに海に行けなかった。それもこれも昨日あんなに激しくされたからだ。いや、まぁ時差ボケがあったからよかったといえばよかったんだけど。それでも、半日を無駄にしてしまった私は挽回したくてカーテンを開けた。バルコニーから眺める海は輝いていたし、これから海に行っても遅くはないのではないだろうか…と思いながら部屋に戻ってまたキスマークのことを思い出す。これ、本当にどうしたらいいんだろう。もう、いっそのこと服を着たまま海に入るというのはどうだろう。うん、それがいいのではないだろうか。というか、他に何も思いつかないからそうしよう。それしかない。
ワンピースに着替えて髪を乾かしていると昆がバスルームから全裸で出てきた。思わず昆に向かって下着を投げ付ける。
「服を着てっていつも言ってるでしょ!」
「あー、はいはい」
怠そうに昆は下着を身につけてから煙草を手にした。この部屋は禁煙ルームだよ、と私が言うと、昆は換気扇の下で何事もないような顔をして吸い始めた。スイートルームにはアイランドキッチンがついていたけど、こんな使い方をされて可哀想。本当に素敵なキッチンなのに。
支度を済ませてから街へと出向く。お腹が空いたから、とりあえず何か食べようと思っているけど、どこへ行けばいいのかさっぱり分からない。そして、日差しが日本よりもかなり厳しい。これは日焼け止めを塗ったとはいえ、日焼けしてしまいそう。何より暑い。異様なまでに暑い。相変わらず上から下まで黒い服を着ているけど大丈夫なのだろうかと隣にいる昆の顔を見ると、心なしか涼しそうな顔をしていた。
「暑くないの?」
「暑いよ」
「何で平気そうな顔をしているの?」
「仕事の時よりはマシだから」
「えぇ!?」
「真夏にスーツを着込んでいるんだよ?全然、マシだよ」
「ひぇ…っ」
こんなにも暑いのに、マシだなんて普段どれだけ辛い思いをしながら外回りをしているのだろうか。確かに昆は細身の、おまけに黒いスーツを第一ボタンまでしっかりと締めて出勤しているし、帰宅してくる。熱中症にならないのだろうかと思ったことがないわけではないけど、これは本当に熱中症になってしまうのではないだろうか。クールビズを取り入れたらいいのに、と私が言うと、昆はそんなラフな格好で契約を取れるかな?と言った。取れないかな…働くって大変だ。とりあえず帰国したら夏用の薄いスーツを新調しようと思った。
すぐに夕飯時になってしまうこともあって、お昼は軽めに済ませることにした。私はアサイーボウルを、昆はサンドイッチを頼む。ちなみに、昆がパンを口にするのは非常に珍しいことだ。サンドイッチを食べているところなんて初めて見たな、とまじまじと見ていると私が欲しいと思っていると勘違いしたのか、サンドイッチを一つ口に入れてくれた。
「あ、美味しい」
「そ?」
「この卵の味付け、凄く美味しい」
「よかったね。で、それは何?」
「これ?アサイーボウル」
「うん。で、それは何なの?」
「食べる?」
「甘いの?」
「どうかな。私には甘くないけど」
「じゃあ、要らない」
「甘くないって」
「なまえの言う甘くないは信頼出来ない」
「あ、酷い」
珈琲を口にしながらメニューを昆は見た。サンドイッチだけでは足りなかったのだろう。昆は鍛え始めてから更に食べるようになった。本末転倒なのではないだろうかと実は思っているけど、まぁあえて黙っておく。あと10キロくらい太ってもらわないと私とのバランスが取れないから。
しかし、アサイーボウルは本当に甘くないんだけどなぁ…とスプーンを差し出す。それを見て昆は顔をしかめた。
「要らないって」
「これ食べたら許してあげる」
「許す?何を?」
「私が水着着れなくなったこと」
「別に許しなんて得る必要がない」
「いいんだ?私、旅行中ずーっと怒ってると思うけど」
「…それ、狡くない?」
「私は狡い子なの。昆もよく言うじゃない」
「ちょっと意味合いが違うんだけど…」
紫のアサイーボウルにトッピングされたグラノーラを昆はじっと睨んだ。そして、震えていた。本当に食べたくないんだろうなぁと思う。ただ、クリームのないシフォンケーキが食べられた人なんだから、アサイーボウルはいける気がした。美味しいと思うかはまぁ別にして。
私が可愛らしく「はい、あーん」と言うと、昆は意を決したように口を開けた。顔をしかめながら味わい始めたかと思えば、すぐに安心したような顔になって、その後驚いたような顔をした。百面相が出来るのではないだろうか。
「何だ、美味しいじゃない」
「でしょー?」
「これ、私も頼みたい」
「あ、じゃあさ食べ比べようよ」
「なに、種類がある物なの?」
「私のはこれ。これ頼んで半分こしようよ」
私が頼んだのは苺が乗っているアサイーボウル。だけどバナナが乗っているアサイーボウルも捨てがたかったから昆と半分こ出来るのならこれほど嬉しいことはない。
「アサイーって身体にいいんだよ」
「へぇ。どういいの?」
「分かんない。何かいいみたい」
「何それ」
なまえらしい、と昆はくすくすと笑いながらスプーンを動かしていた。こんな風に何かをシェアするようになったのは実は最近のことで、昆と出掛ける楽しみが増えて嬉しかった。本当はケーキもシェア出来たらいいんだけど。
新婚旅行二日目は結局、ショッピングすることにした。明日こそは海に行くから、海で着れそうな服を買ってもらうために。ただ、昆は別にキスマークなんて見せてもいいという発想らしく、何故そんなに隠したがるのか分からないという顔をしていた。愛されていることを隠す必要があるの?とまで言ったくらいだから。昆はちょっとズレたことをたまに言うけど、こんなところでまでズレないで欲しかったところではある。ただ、愛されている証であることには違いはなく、これはこれで幸せなんだと思うことにした。でも、一応は怒っているということにしておきたい。でないとまた新たな印が刻まれそうだからだ。ただ、昆には私が怒っていないことは伝わっていたような気がする。私が口では文句を並べたのにずっと嬉しそうにくすくすと笑っていたから。
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