雑渡さんと一緒! 168
「わぁ、綺麗…」
「ふーん」
「ねぇ、何て書いてあるの?」
「樹液には毒があるんだって」
「えっ」
「花言葉は気品なんだって。品のいい殺し屋って感じ?」
「怖い言い方をしないで!」
植物園で綺麗なプルメリアを見ていて恐ろしいことを言われたから思わず大声を出してしまったけど、私の声はこの広大な敷地では目立つこともなく消えていった。
ハワイの道端には多くの花が咲いていた。それは見るからにハワイって感じの南国の花が多く、日本にはない景色だったから私が道々喜んでいると昆が植物園に連れて来てくれた。プレートには当然ながら英語で説明が表記されていて、当たり前のように昆は読んでいた。英語が得意な昆は本当に何でもないような顔をしているけど、きっと学生の時にたくさん勉強したことだろう。前はただの努力家なのかと思っていたけど、負けず嫌いな人だから英語が話せないことが悔しかったのかもしれないと思うようになっていた。どちらにしても凄いことだし、それを自慢もしない昆は本当にかっこいいと思う。そして、海外に私は一人ではとても来れないなぁと思った。入国どころか買い物さえ一人で出来ないのだから。
「なまえは花が好きなのに家で育てないの?」
「あ。紫蘇は育てようかと思ってる」
「紫蘇」
「生姜と茗荷もいいよね。そうめんで使えるし」
「食べ物ばかりじゃない」
「お花はね、私は育てられないの」
「どうして」
「小学生の時に水をあげ過ぎて何度も枯れさせたから」
「あー。なまえらしい」
「だから、子供も育てられるか心配なの」
「可愛がり過ぎてってこと?」
「そう」
「前もって言っておくけど、私は過保護になると思うよ」
「あぁ、目に浮かぶ…」
きっと昆はいいお父さんになると思う。子育てに協力的かどうかまでは分からないけど、きっと子供のことは大切にしてくれそう。女の子だったら絶対にお嫁に行かせないとか言いそうだし、男の子だったら週末はサッカーとか教えてくれそう。昆は早く子供が欲しそうだし、ちゃんと来年卒業しないとだなぁ。あと、それまでに出来ないようにしないと。実習に行けなくなったら私は卒業出来なくなってしまう。それだけは避けたかった。
植物園を出て、プラプラとハワイの街を歩く。ハワイにいられるのも明日までだ。明日には日本に帰らないといけない。帰るといっても京都を散策する予定ではあるんだけど。
「さて。そろそろホテルに戻る?」
「待って。最後に海に行きたい」
「好きだね、本当に」
「好きなの、本当に」
ホテルの近くのビーチを二人で歩く。私が泳げたらスキューバダイビングが出来たのになぁと思うと残念で仕方がない。シュノーケリングでさえ溺れかけたのだ、スキューバなんて夢のまた夢としか言いようがない。
水平線に夕陽がゆっくりと沈んでいくのをぼんやりと眺めながら、不思議な話だなぁと思った。私も昆も生まれ変わってもまた惹かれて、そしてこうして海外の海を一緒に眺めている。昆は見た目も中身も随分と変わった。だけど、本質は変わらなかった。では、私はどうなのだろう。見た目はあまり変わっていない気がする。もう少しグラマーで、もう少し美人に生まれたかったし、もう少し背が伸びて欲しかったところではあるけど。私の本質は変わっていないのだろうか。
「ねぇ、昆。私、変わった?」
「何が?」
「前世と今の私は違うと思う?」
「そりゃあ、違うでしょ」
「ど、どう変わった…?」
当然のように変わったと言われ、嫌な風に変わったのならどうしようとドキドキしていると、昆は目を細めて笑った。その表情はあまりにも優しさに溢れていて、思わず目を晒したくなるほど愛しくなるものだった。
そっと頬を撫でられ、風で揺れている髪を優しく梳かれた。
「そうだな、違うところなんて挙げ始めればキリがないけど、一番違うのは私に遠慮し過ぎていないところかな」
「遠慮…」
「昔から本当は私に遠慮などしないで欲しかった。対等な関係でいたかった。本当は夫婦として過ごしたかった」
「…ごめんなさい」
「もう終わったことだ、謝っても何も解決などしない。だから、せめて現世ではこれからも私の妻でいて欲しい」
そっと左耳の後ろに何かをつけられた。何だろうと触ってみると、生花だった。ほんのりと冷たくて気持ちいい。
「なに、これ」
「この花はね、既婚者は左につけるんだって」
「あ、プルメリアの花?」
「おや。知っていたの?」
「まぁ、何となく…」
「なまえはこの花のような女だよ」
「…品のいい殺し屋だって言いたいの?」
「そう」
「あ、酷い」
ちょっといい雰囲気かと思いきや、結局は私を馬鹿にするのかと思って昆を睨むと、ふわっと抱き上げられた。昆と同じ目線にまで抱き上げられ、くすくすと笑われる。
何か、こんなことが前にもあったような…と思い、周りを見渡したけど、誰も私たちのことは気にも留めていなかった。このあたりが日本とハワイの違いなのかもしれない。ただ、残念なことに私は日本人だ。人前では非常に恥ずかしい。
「は、離して…」
「嫌だ」
「ねぇ、本当に恥ずかしいから離してよ…」
「嫌だって。まだ返事を貰っていない」
「なに、返事って」
「これからも私の妻として側にいてくれる?」
「そんなの…」
当たり前だ。だって、昆よりも素敵な人なんてこの世にはいないから。私には勿体無いくらいかっこよくて、だけど凄く子供っぽくて、そんなところが愛しい人だから。
私はあなたしか見えないから、と言うと昆は嬉しそうに微笑みながら私を砂浜に降ろしてから抱き締めてくれた。波音が掻き消してしまいそうなほど小さな声で「絶対に私を置いてどこかに行ったりしないで」と言い、腕の力を強められる。
「私、どこにもいかないよ?」
「どうだか」
「本当だって。だから離して」
「嫌だ。なまえはすぐ私から離れてどこかへ消えていこうとするから、ちゃんと捕まえておかないと不安で仕方ない」
「行かないって。というか、行けないから」
「あぁ、語学的な意味で?」
「そう」
「なまえはもう少し勉強した方がいい」
「私には無理だよ」
「何で。英語くらい私が教えてあげるよ」
「私は昆みたく持っていないもの」
私なら出来なくて悔しいと思わず、自分には出来ないからと諦めてしまう。頑張って話せるようになりたいと思わず、諦めてしまう。昆はそんなことは絶対にしない。そんな向上心は私にはないし、そんなところが昆のいいところで、私は尊敬しているし好きだよ。そう昆に伝えた。
すると腕の力が弱まったから、慌てて昆から離れる。いつまでも海外とはいえ人前でベタベタとしているのは居た堪れない。何なら現地の人に囃し立てられてますます居た堪れなかった。私がホテルに向かって歩き始めたけど、昆が着いてこないから何事かと思い、後ろを振り向くと、昆はしゃがみ込んでいた。それは何度となく見た光景で、昆が今何を思っているのかは分かった。だけど、私にはやっぱりどの言葉で昆がそう思ったのかまでは分からなかった。
「私、何か特別なこと言った?」
「…そういうところが、殺し屋だって言ってんの」
「普通のことしか言ってないのに」
「ねぇ、わざとでしょ。わざとやってるんでしょ」
「そんなわけないじゃない。何度も言うけど、昆がときめくポイントが私には未だによく分からないんだって」
「無垢って度を超すと恐ろしいものだよ、本当」
「褒めてないよね」
「褒めてないよ。本当、このままだと私は益々なまえに依存してしまうから、これ以上は好きになりたくないんだけど」
「大丈夫。ちゃんと受け止めてあげるから安心して」
「言ったね?後悔しても知らないから」
「しないもん」
むしろ、私の方こそ昆に依存している。今年の目標は「遠慮しないこと」と言われて、別にそれを意識しているわけではないけど、どんどん我が儘になっていってる気がする。
だけど、それで昆が喜んでくれているというのなら、私はきっと調子に乗って益々我が儘になってしまうだろう。もちろん、だからというわけではないけど、昆だって私に我が儘を言ってくれて構わない。依存してもらっても構わない。だって、それは私にしか見せない姿だから。私のことを信頼してくれている証だから。
私が過去の私と違うところがたくさんあって、それでもそういうところさえも愛しいと感じてくれているのだとすれば、私たちは過去とは違う今を生きている証なのだと思った。だから、きっと私たちはこれからも海にたくさん来て、たくさん新しい思い出を作っていくことだろう。そうやってどんどん悲しい過去を塗り替えていきたい。終わらない未来を手にしていきたい。あなたとなら、きっと幸せを掴めるから。だから、これからも一緒に生きていこう。ずっとずっと、一緒に過ごしていこう。どちらかの命が尽きるまで、ずっと。
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