雑渡さんと一緒! 172


私のおばあちゃんはかっこいい。見た目はもちろんのこと、多趣味な人で、急に着付け教室に通ったかと思えば急に留学して、留学先で写真家のアメリカ人と出会い、再婚してグアムに引っ越したのだから。おじいちゃんはお母さんが若い頃に亡くなったと聞いていたけど、再婚した今でもおじいちゃんのことが大好きだと言っていた。
山奥で生まれ育ったおばあちゃんは大学には行っていない。なのに、自分で必死に勉強して英語はペラペラだ。そういう努力家なところが昆と似ていて、二人はきっと話が合うのではないだろうかと思っていた。発想が柔軟なところとか。


「で?ちゃんと仲直りはしたのかい?」

「しましたよ」

「いいよ。昨日みたく気安く話してくれて」

「はぁ…」

「それと、私のことは名前で呼んでくれ」

「名前?」

「そう。グアムではみんな私のことを"アキ"と呼ぶよ」

「名前がアキってこと?」

「いいや、秋生まれだから。私は自分の名前が嫌いでね」

「はぁ…はぁー…」


ただ、流石に出会ったことのない人種だったようで昆はただただ驚いていた。あの昆が完全におばあちゃんに飲まれている。これは珍しいことだし、とてもレアな姿だ。
三人で来たのは小さな和食屋さんだった。ただ、和食といってもなかなか豪勢な物が並んでいる。こんな裏通りにこんな美味しいお店があるなんて知らなかったね、と昆に言うと、既にタソガレドキ社に買収されているとこっそりと耳打ちしてもらった。それでも、昆も実際にこのお店の料理を食べたのは初めてだったらしく、よしよしと頷いていた。


「時にアキ…さんは私のことをどこまで知ってるの?」

「うん?大体は聞いているよ」

「うん。大体は言っているよ」

「大体ってなに」

「大体は大体さ。ねぇ、なまえ」

「うん。昆のことは私の次に詳しいくらいは知ってる」

「…それはよくないことも知ってるということだね?」

「まぁ、知られたくないことも知っているということさ」


お前…と昆は私を睨んだけど、私は別に昆の不利益になるようなことは言っていないつもりだ。おばあちゃんがこういう風に言ったのは昆に釘を刺すためなんだろうなぁと分かる。全部耳に入るから、あまり私を虐めるような真似はするな、という太い釘を。こういう護り方をしてくれるのは、私のおばあちゃんだなぁと思う。だけど、普段はどちらかといえば友達のような関係性だ。だからこそ話がしやすくて、つい頼りたくなってしまう。だから、おばあちゃんがグアムに行ってしまった時は何日か泣いた。おばあちゃんの前では泣かなかったけど、きっとおばあちゃんにはバレていたことだろう。


「そうそう。お婿さんに聞きたかったんだけどさ、前世の記憶があるってのは一体どんな感覚なんだい?」

「そ、そこまで知ってるの?」

「だから、昆のことは大体知ってるんだって」

「それにしたって…」

「幸せなことかい?前世と同じ女を好きになるってのは」

「それは人によるような気もするけど、私は幸せだよ」


一応、と私を昆は睨んだ。あぁ、これは根に持たれてしまったのかもしれない。本当に特別変なことは言っていないのに。いや、まぁ前世で死に別れたとは言ったけど。
前世で私はお父さんのこともおばあちゃんのことも覚えていない。それは幼い頃に死んでしまったからなのか、それとも何の関係もなかったからなのか。どちらにしても、過去は過去なんだとしか言いようがない。それは私たちのことも含めて。だけど、昆にとって過去のことは割り切ろうとしてはいるけど、割り切ることが出来ないことらしい。それだけ心に傷を残してしまったというのは申し訳ないことだけど、記憶が戻って昆は安心したと言った。過去に犯した罪も後悔したことも忘れることなく、やりそびれたことを一つずつ達成することが出来るから、と。ポジティブなのかネガティブなのか分からない人だ。
おばあちゃんは興味深そうに笑いながら煙草を手にした。それを見て昆もライターを手にした。昆自身は煙草を吸うわけではなく、サッとおばあちゃんの煙草に火をつけた姿を見て、まるでドラマで見るホストのようだと思った。


「…昆ってホストの経験でもあるの?」

「は?何で?」

「ホストみたいだなって…」

「やめてよ!私にホストなんて出来るわけないでしょ!」

「なまえ、これはね、キャバクラ慣れしてるよ」

「ちょっと!変なこと言わないで!」

「慣れてるんだ。へぇー…」

「せ、接待で行くだけだよ。本当だよ!」

「…ご指名とかされるんですか?」

「一応…違う!本当に違うからね!?」

「左様ですかー。あらー」

「ねぇ!本当に違うから!本当に接待だから!」

「なまえ、浮気は男の甲斐性だよ」

「あー」

「違うって!なまえに妙なこと吹き込まないでよ!」


わざとらしく軽蔑したような目線を送ると、昆は焦ったような顔をした。それを見て、我慢出来ずに吹き出してしまう。


「いいかい、なまえ。男ってのはこうやって扱うものさ」

「うん。分かった」

「ねぇ!本当になまえに変なこと教えないで!」

「キャバクラでお姉さんと遊んでいるのは事実でしょ?」

「だから接待なんだってば!」


焦っている昆には悪いけど、私は大分前から昆がキャバクラに行っていることくらい知っている。名刺を持ち帰るわけでもなければ、女の子と家で電話やメールでやり取りをするわせでもないけど、キャバクラ帰りの昆のスーツはいつもほんのりと香水の香りがするから。
だからといって私は一度も昆にそのことを怒ったことはないし、言ったこともない。そりゃあ付き合ってすぐの頃は嫌だったけど、浮気でないことくらいすぐに分かった。大体うんざりとした顔をして帰ってくるから。本当は行きたくもないんだろうなぁと分かるからこそ咎めないし、これからも別に咎めるつもりはない。まぁ、指名していたのは知らなかったけど。嫌な事実を知って、ちょっとムカついたけど。


「何だい、また喧嘩かい?」

「誰のせいだと…っ」

「おや、また私のせいかい?それじゃあ、年寄りは帰るよ」

「おばあちゃん、いつまで日本にいるの?」

「今日の夕方さ。これからオーストラリアに行くんだ」

「あ、いいなぁ」

「なまえも英語の勉強をしにグアムに何ヶ月か来な」

「ちょっと!私を置いて出国なんてさせないからね!?」

「だそうだよ。困ったお婿さんだねぇ」

「そうなの」

「そうなのって…ねぇ、そうなのって何!?」

「はいはい。じゃあね」


おばあちゃんは颯爽と帰って行った。本当に颯爽と。
私と違って友達の多いおばあちゃんは忙しい。日本に帰ってきても会えるのは本当に短い時間だけだ。だから今回は二日も会えてよかった。次はいつになるか全く分からないけど。


「私たちも帰ろうか」

「あー」

「何をそんなに拗ねてるの?」

「拗ねるところだよね、これ」

「ね。破天荒な人だったでしょ?」

「破天荒を超えてるよ!」

「私もああなりたいなぁ」

「なっ…絶対にやめてよ!?」

「どうして」

「なまえがあんな感じになったら私の心臓がいくつあっても足りないから!そもそも、あの人は今いくつなの?」

「今年60」

「は…60!?あの人、60歳なの!?」

「かっこいいよねぇ」


私はどんな60歳になるのだろうか。というか、どんなおばあちゃんになるのだろうか。私の子供の結婚相手にでもあんな風に関われるだろうか。昆のことを大分気に入っている感じに見えたけど…いや、まぁ写真を見せた段階でかなり気に入っていたけど。可愛い子だね、とか言っていたし。
さて。まだお昼を食べ終わったばかりだ。昆は明日から仕事だし、家でのんびりと過ごすか、それとも、折角だからこのままどこかに出掛けるか。どうする?と私が昆に聞くと、無言で手を握られたから、どうやらデートがお望みのようだ。


「どこ行こうか」

「…カフェ」

「いま食べたばかりなのに?」

「なまえには言いたいことが山のようにあるから!」

「心配しなくても私はおばあちゃんみたくはなれないよ」

「それだけじゃない。本当に浮気はしていないからね!?」

「あぁ。分かったー」

「なに、その簡素な返答は」

「お仕事でお気に入りの女の子を指名してるだけでしょ。いいよ、もう。苛々するからこの話はもうしたくない」

「だから違うって!疑うなら今度、連れていくから」

「えっ。いいの?」

「いいよ、別に。なに、行きたいの?」

「人生経過として一度行ってみたい」

「何を期待しているのか知らないけど、何一つあの場から学ぶことなんてないからね。なまえが思うような場じゃない」


ちっ、と昆は嫌そうに舌打ちしたけど、キャバクラなるものに行くのはなかなかの人生経験なのではないだろうか。というか、絶対にいい経験になるのではないだろうか。
昆は行くならきぃちゃんと佐茂さんも誘おうと言う。昆がそんなことを言うなんて珍しい。私がいつ連れていってくれるのかと目を輝かせていると、昆は心底面倒くさそうに溜め息を吐いた。そして、こんなことになるなら今日は家から出なければよかったと文句を言っていた。だけど、私がおばあちゃんと会わせたかったの、と言うと、黙った。
昆に「おばあちゃんみたいな60歳になったら嫌いになる?」と聞くと「嫌いにはならないけど、心配」と言われた。心配とはどのことだろうか。ともあれ、どんな私でも受け入れてくれる気があることは伝わってきた。だったら私は心配を掛けない程度にもう少しだけ昆に強気になってみようかと思い「いつかお尻に敷いてもいい?」と言ってみた。すると「既に敷かれてますけど?」との返答がきた。溜め息と共に。


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