雑渡さんと一緒! 175
「…本当に何でも出来るんだね」
「そ?惚れ直しちゃった?」
「どちらかというと腹が立った」
「なんで」
「スパダリ過ぎて!」
「スパダリってなに」
「何でも出来る凄い人ってこと!」
「おや。それはどうも」
「褒めてないからね!?」
「褒め言葉じゃないの?」
「ほ、褒め言葉なんだろうけど…」
「なんだ。褒めてるんじゃない」
「だけど、違うの!悔しいの!」
悔しい悔しいとなまえは喚いたけど、別に大したことはしていない。テントを張って、火を起こし、川で魚を釣っただけだ。特別なことなど一切していない。全てが初めての体験だったけど、別に何も難しくはなかったよ、と煤だらけになったなまえの手を拭う。
生まれて初めてキャンプなるものに挑戦してみたわけだが、すんなりと馴染んだ。野営なんて嫌という程過去にしたのだ。火を起こすことも、魚を釣ることも何でもないことだった。ただ、テントを張るのは初体験だった。初めはパーツの多さにうんざりしたが、杭で固定して骨組みを立ち上げるのはなかなかに高揚したし、無事にすんなりと張ることが出来た。それを何でも出来ると評してもらえるのは有り難いことだが、私は別に何でも出来るわけではない。少なくとも、野菜を切ることは出来ても美味しいと思えるだけの味付けは私には不可能だ。魚を釣ることは出来ても捌くことなんて出来やしない。料理に関してはなまえの足元にも及びはしない。
「要は適材適所ってやつだよ」
「…お隣の人たち、昆のことすっごい見てた」
「へぇ?」
「かっこいいって言ってた!」
「ふーん」
「後で話し掛けようって言ってたの!」
「それは面倒だな。というか、なんだ、嫉妬してるの?」
愛らしいね、と私が笑うとなまえは頬を膨らませた。こんなにもあからさまに嫉妬してくれるなんて珍しい。それもそうか。嫉妬されるような状況に遭遇しないのだから。
とはいえ、声を掛けられるのは面倒だ。私はなまえ以外眼中にないということをよく知らしめておかなければなるまい。
なまえを抱き抱えて膝の上に乗せる。なまえは相変わらず色気のない悲鳴をあげたけど、そんなことお構い無しと焼けた魚を手渡す。多分、鮎。鮎なんてそれこそ生まれ変わって初めて食べる。塩が光で輝いて見え、異様に美味そうだった。
「はい、あーん」
「じ、自分で食べられるもん!」
「いいの?アピールしなくても」
「何のアピール?」
「私がなまえのものだってアピール」
「し、しないよ、そんなこと!」
「じゃあ、知らない女に声掛けられちゃうかもなぁ」
「う、うう…っ」
「あー、困ったなぁ」
「い、意地悪…」
「今なら選べるよ?ほら、どうする?」
口元に魚を持っていくと、なまえは意を決したような顔をして口にした。すぐに嬉しそうな顔をして笑い掛けられたところをみると、美味しかったのだろう。
自分も魚を口にすると思いの外、美味しかった。気のせいかもしれないが、昔食べたよりも美味しく感じる気がする。
「鮎ってこんなに美味しかったっけ?」
「うん。私、昔から好き」
「なんか、昔食べた時よりも美味しい気がするんだよね」
「あぁ。歳をとると魚が美味しいって言うもんね」
「ほーお?言うじゃないか」
「あ、待って。待って、今のなし!」
「この体勢でそんなことを言うとは、いい度胸だ」
生意気な口を塞いで黙らせてやると、なまえは解放しても黙った。隣から無遠慮な視線を感じたが、別に見たければ見ればいい。別に見られたって構わない。
そもそも、私はまだ前世の享年に達していない。今の方が飽食だし、それこそ美味しいものなんて世に溢れ返っている。なのに、こんなにも昔より美味しく感じるのは何故だろうかと私が首を捻りながら鮎を眺めていると、なまえは一つ理由に思い当たったようだ。においじゃない?と言った。
「におい?」
「私、昔は魚なんて捌けなかったし」
「あぁ…」
「触るのも嫌だったし」
「だったねぇ。川で溺れかけたりね」
「そ、それは流れが速かったからだよ。仕方ないよ」
「あんな浅瀬で溺れる?普通」
「嘘、浅かった?」
「浅かったとも」
「そうだっけ…もしかして、馬鹿だと思った?」
「いいや。本当に何も出来ない女だとは思った」
「う…」
「変な女だなぁと思ったよ」
泳げもしないくせに川に飛び込んで魚を取ろうとしたり、火を起こそうとして髪を燃やしてみたり。本当に何一つ満足に出来ない、目を離すのが不安になる子だと思った。だから、私が護ってやらないといけないと思っていた。結果として、護ってはやれなかったけど、それでも流行り病を患うまでの短い間だったとはいえ、私は幸せだった。一緒に過ごせた時間は今よりもずっと短い。だけど、とても幸せだった。
いつまでも過去に囚われてはいけない。そう理解しているのに、どうしても忘れられない。だけど、あの頃よりもなまえを幸せにしてやりたいと思う気持ちはずっと大きくなっていた。そして、自分も幸せになりたいと思えるようになっていた。私は出会った頃よりもずっと自分を大切にすることが出来るようになった。なまえに言わせれば、きっとまだまだ足りないのだろう。それでも、なまえが繰り返し私の「いいところ」を伝え続けてくれていることで、ほんの少しではあるけど自分に自信が持てるようになった。生きることは苦痛でしかなかったというのに、今では生きることが楽しい。
「…昆って昔から変わってたよね」
「うん?」
「私、男の人にモテなかったし」
「ふーん?」
「鈍臭かったし…」
「そうだね」
「私のこと、愚かだと思っていたんでしょ?」
「あぁ、思っていたね」
「なのに、どうして私と一緒にいてくれたの?」
「なまえのことは無知で愚かな女だとは思っていたよ。だけど、それと同時にとても愛しいと、そう思っていたよ」
出来ないことにも諦めずに挑む果敢さとか、諦めたと口では言っておきながらもいつか克服しようとする前向きさとか、人の悪いところよりもいいところを見付けようとするところとか。本当に強くて、眩しくて、愛しかった。
本当だよ、と私が微笑むと、なまえは無言で鮎を頬張った。
「泣かないの。泣いたってもう過去は戻ってこない」
「…分かってる」
「だけど、私たちには未来がある。そうでしょ?」
「うん…だけど、私…もっと昆と一緒にいたかった…」
「私もだよ。ずっとなまえと一緒にいたかった」
「私、絶対に流行り病には罹らないから!」
「そうして。それは切に願うところだから」
もうこの話はやめよう、と袋を指差す。そろそろあれを焼いてみてもいいんじゃないの?と私が提案すると、なまえは目を擦ってから袋を漁りに行った。コストコで購入した馬鹿みたいなサイズのマシュマロを串に刺して炙るなまえはもう笑顔になっていて、本当に単純というか、前向きというか。
「…ねぇ、生きるってこんなにも尊いことだったんだね」
どうせどこかで見守ってくれているんだろう。いつもいつも私が失態を犯そうとする度に現れるのだ、見えはしないけど、きっと今も側にいる。そんな気がした。
過去の自分と今の私は違う人物だ。似ているようで違う。それでもやっぱり私は未だに弱いし、愚かだ。その愚かささえもなまえは愛してくれている。過去からずっと。だから、どうかせめて素直に伝えてやって欲しい。なまえが側にいるのなら、好きだと、愛しいと言葉にして欲しい。ただそれだけで、あんなにも眩しい笑顔を拝めるのだ。もう死んでいるのだから忍び組頭のプライドなんてくだらないものは捨ててしまえ。成仏出来なかったのなら、せめて死んだ後くらいは素直になって、なまえを少しでも幸せにしてやって欲しい。
「あ、そうだ。ビール飲む?」
「えっ。買っておいてくれたの?」
「飲みたいでしょ?」
「飲む飲む。え、キャンプ最高」
「マシュマロも要る?」
「絶対に要らない」
「えー。美味しいのになぁ。ほら、こんなに伸びるの」
「うわ、気色悪…」
「失礼。マシュマロに謝ってよ」
「嫌だね」
くすくすと笑いながらビールを差し出してきてくれたなまえを抱き寄せる。
この子は私が幸せにする。絶対に護る。そして、二人で色んな所に行って、色んな経験をする。そしていつか、我が子をこの手に抱く。過去に望んでいたことは山のようにある。幸せなことに、それを私は一つずつ叶えていくことが出来る。
この後は何をしようか、と話しながらぼんやりと炎を眺めて過ごす。未来のことをごく当たり前のように話すことが私たちは出来る。それはとても平和で、穏やかで、過去にはどんなに望んでもそう簡単には手に入れることは出来なかった、とても尊くて愛しく、そして幸せな時間だった。
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