雑渡さんと一緒! 179


「…お前、なまえに何を言った」

「いいえ、何も?」

「嘘を吐くな。あの日以来、なまえの様子がおかしい」

「何か特別なことを言った覚えはありません」

「…本当だろうね?そもそも、押都は陣内からなまえに近寄るなと言われていると聞いているんだけど?」

「はい。ですから、偶然お会いしたまでですよ」

「……そう。なら、いい」


押都となまえが偶然とはいえ会った日からなまえの様子がおかしい。何かを考え込むようなことが増えた。なまえに聞いても求めるような返答は得ることが出来なかったし、押都に聞いてみても答えは同じだった。だけど、確証はないが二人が何かしらの秘密を共有しているような気がした。
気に入らない。なまえが私に何か隠し事をしているような気がしてならない。ましてや、そこに押都が絡んでいるとなると余計に気に入らない。なまえは私の女だ。それを嫌という程に私は押都には過去に教え込んでいる。それに、私はなまえを信頼している。なまえは私に隠し事などしないはずだ。だから、この胸騒ぎは杞憂となる。そうに決まっている。


「…ねぇ、押都。肩の調子はどう?」

「な、何の異常もございません…」

「そう。それはよかった。頼むよ、本当」

「は…私はあなたを裏切ったりは致しませんのでご安心を」

「それは殊勝なことだ」


笑い掛けてやると押都は青い顔をして震えた。ポン、と肩を叩いてから喫煙所に向かう。押都は私を裏切らない。なまえも私を裏切らない。私はそう信じている。
押都を牽制した後すぐに営業部を出て、13階から一番近い喫煙所に向かうとガラスが割れていて閉鎖されていた。呆然と立ち尽くしていると、佐茂に肩を叩かれた。スーツから香る煙草のにおいで喫煙所帰りだということが分かる。


「いま、地下しか開いてないぜ」

「は!?何で!?」

「いや、この前さぁバイトの子がガラス割っちゃってさ。やってらんねぇよ、派遣先が修理費用はうちの会社が待てとか言うもんだから、経理部も揉めに揉めてて。喫煙所をこれを機に閉鎖しようって話も上がっているくらいなんだぜ?」

「げっ。勘弁してよ…」

「なぁ?部長様、一つよろしく頼むぜ」

「別にこんなことのために昇進したわけではないけど…その話が会議で出たら断固阻止するから。絶対になくさせない」

「おぉ。頼んだぜ」


喫煙所がなくなったら煙草が吸えなくなる。困る理由はそれだけではない。喫煙所は私にとって情報収集の場だ。他部署の奴らが何を企んでいるのかを探り、懐に潜り込むには絶好の場だった。それを失くすことは受け入れ難い。そもそも、喫煙者は非喫煙者よりも余計に納税しているのだ、何でこんなにも肩身の狭い思いをしなければならない。甚だ遺憾だ。


「はぁ…地下、混んでた?」

「20分待ち」

「げぇー…駐車場で吸うか…」

「お前、そんなことするから喫煙者が煙たがれるんだよ。決められたスペースでちゃんと吸え。喫茶店にでも行けば?」

「嫌だよ、そんな怠いこと」

「というか、家ではどうしてるんだよ?」

「うち?普通に吸ってるけど?」

「換気扇の下でか?」

「いいや。普通にリビングで吸っている」

「マジか。なまえちゃん、何も言わねぇの?」

「言われたことないけど…えっ、駄目?」

「さぁー?照は煩い」

「あぁ。北石だからね」

「あのな。世間一般的には煙草ってのは嫌がられるもんだ」

「はぁー…」


そんな、嗜好品のことまでとやかく他人に言われたくないんだけど。好きな時に好きなように吸いたい。それが外では許されていないから家でくらい好きにさせて欲しい。
仕方なく地下に行って煙草を吸う。皆等しく目が虚だった。これは絶対に健康によくない。確実に本数が増える。次にまた来る時に並ばなければならないと思うと致し方のないことだ。そして、煙草を吸うためにストレスを抱えなければならない。悪循環にも程がある。あぁ、絶対に会議で言おう。


「ただいまー」

「おかえり。あ、疲れてる」

「疲れたよ、本当…」


家に帰り、ソファに座ってネクタイを緩め、やっと仕事から解放されたと煙草を手に取っている間にもなまえはせっせと夕飯の支度をしてくれていた。その後ろ姿が何とも愛らしくて、思わず笑みが漏れる。そういえば、裸エプロンとかやったことないけど、あれ、燃えるのかな。燃えるんだろうな。あぁ、うん、燃えるわ。今度やろ。
いやらしいことを考えつつ、煙草に火をつけてから佐茂に言われたことをふと思い出した。なまえは私がリビングで煙草を吸っても何も言わない。ベランダで吸えとか、換気扇の下で吸えとか言われたことは一度たりともなかった。それに、禁煙しろとも。だけど、本当は嫌なのだろうか。実は我慢しているのだろうか。自分ではもう分からない煙草のにおいを好ましく思っていないのだろうか。だとすれば、言って欲しいんだけど。そんなつまらない遠慮なんて不要だ。


「…あのさ、ベランダで吸った方がいい?」

「はい?」

「いや、煙草。くさい?」

「はぁ…ベランダで吸うのはお隣の方に迷惑なので辞めた方がいいとは思うけど?ご近所トラブルって怖いから…」

「あぁ。じゃあ、換気扇の下で吸った方がいい?」

「そうしたいの?」

「いいや?私はしたくない」

「じゃあ、いいじゃない」


何かあった?と言いながらなまえはテーブルに筑前煮を置いた。春に大量に保存した筍が秋にも並ぶと嬉しくなって思わず手で一つ摘むと怒られた。
よく味の染みた筍は美味しかったけど、なまえが煮た物ではないとすぐに分かってがっかりする。仕方ない、流石に冷凍とはいえ半年も持つはずがない。春に山のように買った筍、美味しかったなぁ…どこまで剥くのか分からなくて、もくもくと剥いていたらなまえに慌てて止められたのが懐かしい。


「早く春にならないかなぁ」

「いま、秋だよ?」

「遠いなぁ…」

「で?何で急に煙草の話?」

「あぁ。北石が部屋で吸うのを嫌がるんだって」

「ふーん」

「なまえも嫌?」

「昆がリビングで煙草を吸うのがってこと?」

「そう」

「別に嫌じゃないけど?」


嫌だったらもっと早く言ってるけど?と言いながらなまえは味噌汁を持ってきてくれた。南瓜の味噌汁ってもっと世の中に認められてもいいと思う。美味しいのに。
煙草を灰皿に押し付けてから夕飯を摂る。今日も変わらず美味しい夕飯。口にするだけでじんわりと温かくなるような、そんな時間。これは美味しいから、というだけではなく、なまえと一緒だからなのだろうな。誰かと一緒に摂る食事がこんなにも嬉しいものだと知ることが出来たのは私にとってとても有益なことだった。食事の時間が楽しいとか、幸せだなんて私はなまえと出会うまで知らなかったのだから。


「ほら、においがつくとか言うじゃない?」

「そうだね」

「一般的には好ましいにおいじゃないでしょ?」

「さぁ?どうなんだろう」

「なまえは嫌じゃないの?」

「嫌じゃないって」

「本当に?無理していない?」

「してない。だって、煙草は昆のにおいだもん」

「それ、いい意味で言ってる?」

「どうかな。分かんない」

「なに、分かんないって」

「だって、キスも煙草のにおいだし?」

「あぁ…まぁ、そうだろうね」

「だから、嫌じゃないよ。というか、嫌とか考えたことがないから分かんない。だけど、煙草のにおいがすると昆が側にいるんだなぁって思うの。だから、私は嫌じゃないかな」


椎茸に手を伸ばしながらなまえは言った。本当に何でもないような顔をして、まるで天気の話をするかの如く言った。本当になまえは日常会話のつもりで言っているのだろう。その一言が私をどれだけ喜ばせるのかも分からずに。
別にときめきたくてこの話をしたわけではないのに…本当になまえは狡い子だと思った。こうして、何でもないような顔をして私の心を捉えて離さない。無自覚で人を捉えてくる。だから、あいつもなまえに惹かれたのだろう。この愚かでありながらも無垢な心があまりにも薄汚れた私たちには眩しかった。黒を白で塗っても本来は濁る。なのに、なまえはどこまでも白く塗り続けようとしてくる。どんなに汚れても、綺麗に白く染めてこようとしてくる。だから私たちは敵わない。だから私たちのような影の存在はなまえにどうしようもなく焦がれてしまう。
それでも、なまえは私のものだ。なまえを失ってしまったら私はまた闇よりも黒く染まってしまう。私はなまえを信頼している。この子は私だけの光だ。決して私を裏切らない。
私がなまえと離れるまで、あと26日。


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