雑渡さんと一緒! 184
昆に栄養学部に通っていることがバレた。それも、最悪の形で。昆に怒られるかと思ったけど、そんなことはなく、だけど、明らかに私たちはぎくしゃくとしていた。いや、私たちではなく、私が。昆は何事もないような顔をしている。本当に何事もないような、私に興味なんて微塵もないような顔をしていた。笑顔を向けてきてくれるけど、それは明らかに作られたもので、身体を重ねている時に発せられる優しい声色も今までとは異なったものだった。
昆が記憶を失くした時は私に対して悪意を感じた。それ以外は愛情を感じた。今はそのどちらでもない。本当に私に対して何とも思っていないと言わんばかりの態度だった。
「おかえり。ご飯、出来ているよ」
「うん。食べる」
「き、今日はね、秋刀魚にしたの」
「そう」
「秋らしくていいでしょ?」
「そうだね」
「…ね、ねぇ。栗拾い、いつ行こうか」
「あぁ。そんな話、したね」
「週末はどう?」
「そうだね。いいんじゃない」
スッとネクタイを外してから昆は手を合わせ、丁寧に秋刀魚を食べ始めた。涼しい顔をしながら綺麗に骨と身を分ながら食べる所作は本当に美しかったけど、美味しそうに食べているようにはとても見えない。
しん、と静かな食卓に耐えられずに私は色んな話をした。だけど、返ってくる返事はどれも簡素なものだった。
「…怒ってる?」
「いいや?」
「嘘!怒ってるじゃん!」
「怒ってないって」
「じゃあ、何でそんな態度なのよ!」
「態度?」
「冷たいというか、静かというか…」
「あぁ。別に話すようなことがない。ただそれだけだよ」
味噌汁を飲みながら昆は言った。面倒くさそうなわけでもなければ、怒っているわけでもなく、本当に何とも思っていない感じで言った。そしてまた、部屋は静かになった。
初めは、昆が怒っているのだと思った。だけど、これは怒っているわけではないのだと知った。怒りを超えてしまったのかもしれない。というより、私に対して愛情がなくなってしまったのかもしれない。微塵も私に関心がないようだった。
「わ、私ね。栄養士の資格が取りたいの」
「そう」
「だから転科したんだけどね…」
「もうその話はいいと言ったはずだけど」
「だけど…っ、このままだと駄目だよ!」
「なにが」
「私たち、このままだと駄目になっちゃう気がするの」
「かもね」
「かもねって…」
「そうなったなら、それはそれで仕方のないことだよ」
「仕方のないって何よ!?私たち、夫婦でしょ!?」
私が怒鳴ると昆は目線を私に向けたけど、すぐに食事に戻した。特に何の返答もなく、黙々と食事を進めている昆を見ていると涙が出てきてしまった。私は確かに昆に転科したことを言っていなかった。押都さんに助言されたにも関わらず、どう切り出していいのか分からなかった。恥ずかしかったし、呆れられるのも怒られるのも怖かったからだ。だけど、こんなことになるくらいなら言えばよかった。まさかこんな反応を示してくるなんて思いもよらなかったのだ。
私が鼻を啜っても昆は目線一つ私には向けてくれなかった。その反応だけで分かる。この人の心は私から離れていこうとしている。もう私では手の届かないところに行ってしまう。
「昆、私のことなんてもう好きじゃないの…?」
「別に?」
「嘘!じゃあ、どうしてそんな態度なの!?」
「さぁ、どうしてかな。自分でも分からない」
「分からない…?」
「今までなまえが泣いていたら、私まで悲しくなった。だけど、今は別にそんなことは思わない。だけど、別に嫌いかと問われれば、それは違うと思うよ。まぁ、多分だけどね」
「た、多分って…」
「夫婦と言えども元は他人だ。そこまで他人に思い入れていた今までの私がそもそもおかしかった。今が普通だろう」
「私は別に普通を求めているわけではない!私は今まで通りの昆のことが好きなの!言いたいことがあるなら言って!」
「言いたいことねぇ…」
特にはない、と昆は手を合わせた。そして、鍵を持った。
どこに行くのかと私が縋ると、別に手を払われるわけでもなければ、睨まれるわけでもなく、本当に何の感情もないような顔をして私を見た。喜怒哀楽の一切感じられない表情が私に対してとてつもない距離を置いているのだと伝えてきた。
「ジムに行くから離して」
「待って。まだ話は終わっていない!」
「まだ何を話したいの?」
「転科したこと、怒っているんでしょ!?」
「怒っていないって。しつこい」
「ねぇ、私の話を聞いて!私が転科したのはね、もっと昆を支えたいと思ったからなの!私、昆が本当に大切なの!」
「そう」
「本当だよ!ねぇ、信じて!」
「分かった、信じるよ。これでもう話は終わり?」
冷たいわけでも、怒っているわけでも、もちろん喜んでいるわけでもない顔の昆は玄関へと向かった。何一つ私の言葉が届いていないことが分かる。そして、私の言葉を信じていないことも、はっきりと伝わってきた。
玄関先で靴を履いている昆を後ろから抱き締めた。私たちはこのままだと終わってしまう。本当に離れてしまう。
「私、本当に昆のことが好き!」
「そう。それはどうも」
「だから、怒りたいなら怒ってよ!責めたいなら責めて!」
「別にそんなことは望んでいない」
「私、離れたくない!昆とずっと一緒にいたい!」
「私もそう思っていたよ。これまでは」
「何よ、これまではって!」
「今はそんなこと思っていないという意味さ。じゃあ、行ってくる。遅くなるかもしれないから、先に寝ていなさい」
私の小さな身体で掛けた力なんて何の意味もなさなかった。昆は静かに立ち上がり、そのまま出ていってしまった。
昆は私に何て言ったの?もう、ずっと一緒にいたいと思っていないと、そう言ったの?あの昆が、私にそんなことを言うなんて信じられない。昆のあの一言は私のことをもう好きではないと言っているのと同じことを意味していた。
私は昆のことが好きだ。仕事熱心で、努力家で、野心的で、すぐに無理をする、そんな昆のことを私は側で支えたいと思っていた。だから私は栄養学部に通って栄養学の勉強をしたいと思った。もっとバランスのいい食事を昆のために作りたいと思った。だけど、私の人生は昆が全てなのかと思われることが私は怖かった。あまりに依存していると呆れられるのが怖かった。だから私は昆に言えなかった。
私は間違えた。そして、もう取り返しがつかない。話をしても聞き入れてもらえない。昆は心を閉ざしているから。
私が昆と離れるまで、あと日。
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