雑渡さんと一緒! 193
有給を取って隣県の山奥まで車を走らせた。こんな寂れた所に先生がいるとはね。私の記憶が正しければ、確かいつも都会に憧れていると話していた気がしたが。
さて、これからどうしようか。先生の勤務が終わるまで待つべきか、それとも勤務先に突撃するべきか。どちらにしても私のことなど覚えてもいない可能性がある。どう話を切り出せばいいのかもよく分からない。ここまで来ておいてアレな話だが、正直会いたくないし、帰りたい。だけど、会わないと絶対に後悔することは確実だった。それこそ生涯に渡って後悔するかもしれない。だったら会って後悔した方がいい。
小さな保育園の前に車を停めようと思ったけど、よくよく考えたら不審者だと通報されるかもしれない。だけど、車から降りてウロウロしている方が不審か。これはどうしたものかと悩んでいると、電話が鳴った。仕方なく車を停め、ハザードを出してから電話に出る。掛けてきた相手は押都だった。
「はいはい。どうした?」
「無事に着きましたか?」
「あー。一応」
「本当にお会いになるのですか?」
「まぁねぇ。居場所を教えて貰えて助かった」
「それは良いのですが…」
「あのさ。全部終わったらお前にも話がある」
「…それはどのような内容でしょうか」
「さぁね。その時まで楽しみに待っていなさい」
「部長。私は…」
押都と電話していると窓をノックされた。やはり不審がられたかと思い、窓から外を見ると60近そうな女がいた。
押都に電話を切ることを告げてから窓を開ける。エプロンを着た女はこの保育園の女なのだろう。一目見て、嫌な思い出がどんどん蘇ってきた。嘘だろう、と思った。偶然にも程がある。子供の頃には全く気付かなかったが、この女は私の…
「すみません。ここ、駐車禁止なんですよ」
「あぁ…」
「駐車場でしたら、近くにコインパーキングがあるので、そちらにお願いします。子供達、こんな車を見る機会がないので興味持っちゃって。電話中だったのにごめんなさいね」
「先生…」
「え?」
日に焼けた肌、短い髪、名札に書かれた名前。間違いない、先生だ。会いたくなくて、だけど会いに来た女。
苦しくなってきて目を伏せると、先生は嬉しそうに笑った。
「嘘。もしかして、雑渡くん?」
「…はい」
「えーっ。こんな所まで会いに来てくれたの?」
「まぁ…」
「懐かしいね。そっかぁ。先生ね、16時に上がるの。終わるまでどこかで待っていてくれるかな?先生とお話しよ?」
明るい声で話し掛けられて、よく平然としていられるなと思った。逆に言えば、先生にとって私はただの昔関わった子供の一人でしかなく、どれだけ私を傷付けたかも分かっていないのだろう。つまりは、いつもそういうことをしてきているということだ。そういう女なのだ、これは。
苛々してきて、煙草を吸える所を探した。山奥過ぎてコンビニさえなかなか見つからないというのに、民宿と土産屋とパチンコだけはあるというのだから、おかしな話だ。ここら辺での娯楽はここしかないのだろうか。カフェどころかファミレスさえ見つからない。仕方なくパチンコに入ることにした。大学生の時に何度かやって、心の底から何が面白いのかさっぱり分からないと思った記憶がある。それでも、時間を潰す所がここしかないのだ、やらざるを得なかった。
久しぶりにやってみて改めて思うが、これの何が楽しいのだろうか。よく分からないが、金を落とす仕組みは分かった。適度にやると、ほんの少し当たる。だけど、すぐに外れ、結局金がなくなる。そして、ムキになってしまい、金を落とすということか。それは馬鹿のやることだ。私はそんなことはしない。そう思っていたのに、銀行を探して現金を注ぎ込んでいる自分がいた。ドル箱を詰んでは失くし、詰んでは失くしを繰り返しているうちに下ろした現金はなくなり、少し驚いたくらいだ。やってしまった、とやや後悔はしたが、これではっきりした。私はギャンブルはやらない方がいい。冷静に玉の動きや跳ね方を見て、どうすれば当たるのだろうかなんて馬鹿なことを考えてしまった。こんな偶発的なことを研究してみても仕方がない。向いていないし、負けず嫌いだから確実に身を滅ぼすことになることは間違いない。
あー、なまえに怒られるかなぁ。というか、この前キャバクラで幾ら使ったんだろう…とカード利用履歴を見ようと携帯を開くと、もういい時間になっていた。慌てて先生に指定されたコインパーキングに向かうと、既に先生はいた。
「遅い。時間は守りなさいって言ったでしょ」
「…すみませんでした」
「どこに行っていたの?」
「ちょっと、気分転換にギャンブルを…」
「あら。大人になったのねぇ」
先生はくすくすと笑った。あぁ、先生だ。というか、あいつだ。右眉だけ下げて笑う顔、笑った時に口元ではなく鼻を隠す仕草。間違いない、先生は私の元婚約者だ。
こんな偶然があるのか。そして、今も昔も私を裏切り、離れていったんだな、お前は。悲しいのか、悔しいのか、腹が立っているのか、そのどれでもないのか自分でもよく分からなかった。だけど、平然と笑う顔を見ていると嫌な気持ちになったし、無性になまえに会いたくなった。精神の限界が近いのかもしれない。このままだと頭がおかしくなりそうだ。
「あんたは…」
「なぁに?」
「どうして私を裏切った!?」
違う。こんなことを言いに来たわけではない。先生にあの時は恨んだけどもう忘れることにすると、親切ともお節介とも言える関わりをして貰えたことに礼を言うだけのつもりだった。それで全て終わらせるつもりだった。言いそびれたことを言って大人になろうと思ったのに、これでは子供と同じだ。だって、本当は分かっている。先生から見たら私は数いる子供の一人にしか過ぎず、その子供を宥めるためにああ言っただけだ。私が愛に飢えていたから勝手に母親のように慕ったというだけで、そんなことは先生には関係ない。転勤することを前もって子供に話せば、間違いなく子供は動揺してしまう。だから言わなかった。先生は別に裏切ったわけではない。分かっているんだ。過去のこともそう。いつ死ぬか分からないと、復職できるかも分からないと言われている男をいつまでも待つのは愚かなことだ。ましてや私たちは周りが勝手に婚約者だと決めた仲だった。互いに惹かれていたわけでもない。この女にだって立場というものがある。だから、親が勧めた他の男と結婚することとなったのだろう。そんなことは分かっている。それが普通なのだと分かっている。だけど、じゃあ取り残された私はどうしたらいいんだ。理解することと納得することは別だ。言いようのないこの想いはどうしたらよかったんだ。平然となかったことになんて私には出来ない。裏切られたと恨んで当然ではなかろうか。
「それは、どっちのことを言っているの?」
「どっち…?」
「雑渡くんから離れたこと?それとも、昆奈門様から離れたこと?あなたが私に聞きたいのは、どっちのことなの?」
「お、お前…っ」
「どっちもなのかな。うん、そうなんだね」
じゃあ、まずは雑渡くんの方から、と言って車の助手席を開けられた。そして、私に何の許可もなく乗り込んできた。
何だこいつは、と睨むと先生は「一度乗ってみたかった」と笑った。そして、勝手にナビを入れられて、早く連れて行けと催促された。うんざりする程の身勝手な行動があまりにも私が嫌いな女そのもので、心の底から嫌いだと再認識した。
「今日はね、買い物したい気分なの。連れていって」
「あっそ…」
先生に会いに来たことを心から後悔した。さっさと街まで送り届けて早く帰りたかった。何より、助手席になまえ以外の女を乗せたのは初めてのことで、車が穢された気がした。ベッドの時にも感じたこの何とも言えない気持ちの悪さ、もしかしたら私は一種の潔癖症なのかもしれない。その割には部屋は汚いけど。現在進行形で。
帰ったら車を買おうと決意していると、先生は私の顔をじっと見ていた。本当に、じっと見ている。隠しもせずに。
「…なに」
「いや、あの悪ガキがいい男になったなぁと思って」
「どうも」
「雑渡くんはいつも悪さばかりしていたね」
「あー。そうだね」
「悪さをして、構って欲しかったんだよね。誰かに」
「はぁ⁉︎」
「ほら、運転中は前を見る」
「ちっ…」
「雑渡くんはいつも人を試していた。誰かに受け入れて欲しかった。先生は分かってたよ、本当は寂しかったんだって」
「だったら…っ」
「先生ね、実は病気したの。だから一度保育士を辞めた。雑渡くんに言ったら絶対に心配したでしょ?それに、先生のことが忘れられなくなると思った。だから黙って離れたんだ」
「…病気?」
「うん。婦人科系の癌。あ、もう完治したのよ?手術して、抗癌剤治療もして。それから孤児院に復職したけど、もう雑渡くんは卒院していた。それだけの年月が経っていたの…」
頑張ったんだけどね、と先生は腹を撫でた。何と言っていいのか分からなかった。多分、何と言っても不正解だろう。
じゃあ、先生は私を裏切ったわけではなかったということなのか。ちゃんと戻って来てくれた。その時には既に私は高校を卒業していたから既に孤児院を卒園していたけど、先生はちゃんと戻ってきてくれようとしていた。本当だろうか。
「雑渡くんの中学と高校の入学式と卒業式にも行ったよ」
「は?」
「凄いね、主席の挨拶していた。先生、感動しちゃった」
「どうして…」
「だって、あなたは私の可愛い子供だもの」
キィっとブレーキを踏む。やめろ、運転中にそんなことを言うのは。こんな田舎町だからこそ通用したものの、これが街中なら交通事故となっていたかもしれない。死ぬ気か。
私は先生に愛されていた。先生はちゃんと私を見てくれていた。ちゃんと私との約束を守ってくれていた。離れていても私のことを想ってくれていた。血の繋がりもない、ただの保育士と孤児という関係性だったのに、それ以上の想いを私に掛けてくれていた。そう思ったら涙が出た。運転中なのに。
「相変わらず泣き虫さんなのね」
「…やめろ、触るな」
「よしよし。いい子ね」
「子供扱いするな!」
「ところで、結婚したんだね。相手はあの小さい子?」
「…なまえを知っているの?」
「知ってるよ。あの雑渡昆奈門が溺愛している子がいるって城では有名だったもの。私、凄く悔しかったなぁ、あの時」
「どうして」
「だって、昆奈門様は私のことなんて何とも思っていなかったじゃない。なのに、あんな若い子と。嫌味かと思った」
「よく言う。私を捨てておいて」
「父上が反対したんだから、仕方ないじゃない。それでもずっと私は昆奈門様のことを忘れられずにいたんだよ?」
「どうだか」
「本当だよ。もう、チョベリバ」
「それ、死語。というか、化石」
「あら、そうなの?」
「…先生」
「なぁに」
「愛してあげられなくてごめんね?」
「あ、ムカつく」
「だけど、大切だったよ」
「それはどっちの私のことを言っているの?」
「どっちも」
先生も、元とはいえ婚約者だった時も大切だった。ちゃんと護ってあげたいと思っていたし、側にいることが当たり前だと思っていた。だけど、それは恋ではない。いや、もしかしたら恋だったのかもしれない。だけど、なまえに対して抱いている感情とはあまりにも異なる。あの子はどうして私にとって特別なんだろう。笑い掛けてもらえると胸が未だに苦しくなる。泣いていると未だに抱き締めたくなる。片時も離れたくない。護りたいし、護られたい。そんなことを思ったのは後にも先にもなまえだけだ。この想いは絶対だ。
先生を街で下ろしてから何となく海辺の教会に立ち寄る。ここで私たちは愛を誓い合い、指輪を交換した。自分の左手の薬指に唇を寄せる。なまえ、愛しているよ。どう説明していいか分からないくらい愛している。だから、もう迎えに行ってもいいかな。会いたいんだ。会って話がしたい。きっとなまえは悲しんでいることだろう。いや、もしかしたら怒っているかもしれない。私と離れたいと言うかもしれない。それならそれで構わない。だって、私はなまえの心が離れようとも諦められないから。だから何度だって言い続けよう。私が生涯をかけて愛する女はこの世になまえしかいないのだと。
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