雑渡さんと一緒! 195
仕事終わりになまえの実家に寄る。何度も来ている家だというのに、流石に緊張した。なまえに謝って、誰よりも好きだと伝え、ずっと側にいて欲しいと伝える。ただそれだけのことなのに、怖い。許してもらえないこともそうだけど、もう別れたいと言われたらどうしよう。毎日この家に説得しに通うことになるのだろうか。それだけの覚悟はある。あるにはあるけど、それでも、もう好きではないと言われることはやっぱり怖い。一緒にいたくないと言われることは怖い。
呼吸を整えてからチャイムを押そうとすると、背後から義父さんに話し掛けられた。あまりにも驚いて、心臓が口から出たかと思った。やめて欲しい、私の息の根を止める気か。
「昆奈門。お前、何をしている」
「その、なまえを迎えに…」
「?」
「も、申し訳ないことをしたと思っている」
「ほぉ…?」
「だけど、なまえは私にとって大切な子なんだ。本当に愛しているんだ。だから、なまえとまた一緒に暮らしたくて…」
「ちょっと待て。お前は何の話をしている?」
「…え?」
「なまえは家には帰ってきていない」
「え…っ、嘘だ…」
「なんだ、嘘って」
私はあの日、なまえに実家に帰れと家を追い出した。あれから何日か経過している。なのに、なまえは実家には来ていない?じゃあ、なまえはどこにいる。なまえはどこに行った!?
眩暈がして座り込む。北石たちの家になまえはいなかった。だが、実家にもいない。親族はもうグアムにいるアキさんだけだと言っていた。つまり、なまえの行方が分からない。行く所など他にあるだろうか。北石以外の友人の家だろうか。しかし、なまえを追い出したのは夜だ。あのなまえが夜に友人を頼ったりするだろうか。遠慮し、そんなことは出来ないのではないだろうか。なまえの性格からして、考えにくい。
では、なまえはどこにいる?どうしよう、分からない。料理を作りに来てくれたということは、無事ではあるのだろう。だけど、居場所が分からない。不安のあまり、吐きそうだ。
「お、おい…」
「どうしよう。どうしよう…っ」
「とりあえず家に入れ」
私が家から追い出したせいだ。なまえを責め、酷いことを言った上に頬を叩いた。なまえに何かあったらどうしよう。もう私では手の届かない所にいたらどうしたらいい。
義父さんに促されるがままに家へと入る。リビングにあるテーブルの上にはチラシと封筒が一枚置いてあった。チラシにはなまえの字で【お父さんへ。昆が来たらこれを渡して下さい。それと、私に至急、連絡して下さい】と書かれていた。
慌てて封筒を開くと、中には恐らくコインロッカーの物と思われる鍵が入っていた。それだけ。手紙は入っていない。
意味も意図も全く分からず、携帯でなまえに電話を掛ける。
「…私に電話をしてきたってことは、封筒を見たんだね」
「これ、どういうこと?というか、今どこに…」
「20時までだから。じゃあね」
「えっ。待って、どういう…」
一方的に電話が切られ、ご丁寧にも電源まで切られた。
意味が分からない。20時までってどういう意味だろうか。それに、この鍵はどこの物だろう。鍵には【8】と印字されているだけで、特に場所を特定出来そうなことは書かれていなかった。滅多には使用しないけど、この街のコインロッカーなんて恐らく数えきれないくらいある。分かるはずがない。しらみ潰しにコインロッカーを探していたら一月はかかってしまうことだろう。何だ、この状況は。誰か説明してくれ。
「それ、どこの鍵だ」
「…私が聞きたい」
「で?なまえは何て?」
「20時までだから、と」
「どういう意味だ」
「だから、私が聞きたいよ!」
「手掛かりくらいあるだろう」
「何もないんだって!」
「なまえはそんな意味のないことはしないだろう。昆奈門なら分かると思ってやっていることなんじゃないのか?」
「私なら分かる…?」
私なら分かること…分かる…わけあるか!コインロッカーにそんな思い入れもなければ、利用したことをいちいち覚えてなどいられない。使いたい時に使う。ただそれだけだ。
駄目だ、何も分からない。分からないが、20時までと言われたのが妙に気になる。まるで時限爆弾を抱えているかのような気分になった。20時までになまえが求める答えに辿りつけなければ、もうなまえはいよいよ私から離れていってしまうのではないか。そんな気がしてならない。
考えても考えても分からず、鍵を改めて見返す。【8】ね。そういえばなまえは7よりも8の方が好きだと言っていた。私が7の方が好まれるものではないのかと言うと、なまえは末広がりだから8の方が縁起がいい気がすると言った。そうだ、それで確か【8】のコインロッカーを使用したことがあった。まさか、この鍵はその場所の鍵なのか。あれはいつのことだったかな…あれは…そうだ、初めてデートした時だ。
「分かった…」
「俺には今の状況もよく分からんが、よかったな」
「行ってくる!また来るから!」
駐車場まで慌てて走り、車をショッピングモールへと走らせる。なまえと付き合う前に初めて出掛けた時に話したんだ。映画を観る前になまえに服を買って、私は本を買った。コインロッカーに荷物を入れてから二人で映画を観た。そうだ、その時に話した。その後、映画の座席が17と18で、なまえは演技が良い方をと私に18を譲ってくれた。あぁ、そうだ。可愛いらしいことを言うなぁと思ったんだった。
映画館横のコインロッカーがやはり正解だったようで、無事に開けられることが出来た。中には荷物ではなく封筒が置いてあり、封筒の中にはまた鍵が入っていた。嘘だろう、と思った。偶然にも思い出せたからよかったものの、次も思い出せるとは限らない。おまけに、数字に関して話をした記憶はもうない。焦っていると、今度はメモが入っていた。
メモには【私と初めてした時のことを覚えている?】と書かれていた。覚えているさ、そりゃあ。早く抱きたくて仕方なかったのにベッドがなかなか届かなくて、無駄に焦らされた末にようやくなまえを抱けたのだから。小さな身体で私を懸命に受け入れてくれた姿が愛しくて、絶対に大切にしようと思った。覚えている。あの時のことは昨日のことのように事細かく覚えている。でも、だから何?これ、どこの鍵!?
初めてした後、ファミレスに行って夕飯を食べた。ファミレスにコインロッカーなんてあるだろうか。いや、ないだろう。じゃあ、二度目のセックスのことか。なまえが同棲を受け入れてくれて、電気屋と家具屋に行った。そのどちらかということだろうか。いや、多分違う。あの子はあれでいて頑固なところがある子だ。なまえが【初めて】というのなら、二度目のセックスのことをさしているとは考えにくい。落ち着け。考えろ、思い出せ。ファミレスでご飯を食べてからコンビニに寄って帰った。蒸し暑い日で、飲む物を買えばよかったと話していて、たまたま自販機を見つけて買った。そういえば、あの自販機はレンタル倉庫の前に置いてあったな。レンタル倉庫…えっ、この鍵は…いや、でも、まさか…
半信半疑でレンタル倉庫に行ってみると、本当に開いた。中になまえがいるのだろうか。いたら逆に怖い。
恐る恐る開けると、驚くほど広い倉庫だというのに中には封筒しか置かれていなかった。シュールな光景だったからか、それともまた封筒が置いてあったからなのか。思わず座り込んだ。私はなまえに試されている。そもそも、スタート時点から違和感があった。なまえはこんなことをするだろうか。少なくとも、私が知っているなまえはこんなことはしない。つまり、誰かの入れ知恵である可能性が高い。どこのどいつだ、なまえをそそのかし、私を踊らせて楽しんでいる悪趣味な奴は。面白い、意地でもなまえに辿り着いて見せる。
苛々しながら本日三度目の封筒を開けると、中には鍵は入っていなかった。その代わりメモではなく手紙が入っていた。
【ねぇ、覚えている?私たち、何度も喧嘩したね。その中でも、私の中で大きな事件だったのは昆が私に過去のことを隠していた時かな。私は信頼されないのなら、隠し事をされるのなら、もう別れた方がいいって言ったね。なのに、今回は私が隠し事をした形になってしまって、ごめんなさい。その理由を伝えたい。だけど、昆が聞きたくないと思うなら、もう私のことが好きではないというのなら、家に帰って。ほんの少しでもまだ私と一緒にいたいと思ってくれるのなら、あなたが私に初めて夢を聞かせてくれた所に20時までに来て】
時計を見ると既に19時を過ぎていた。まだ20時には間に合うだろうと急いで車を走らせた。だけど、帰宅ラッシュな時間であることもあり、全く進んでいない。これなら電車で行って、駅から走った方が確実に早いだろう。
裏道から駅へと行き、コインパーキングに停めてから目的地付近の駅へと向かう。なまえが指定してきた場所は分かっている。難問が続いたが、これはすぐに分かった。簡単で安心したのも束の間、駅に着いた頃には19時45分を過ぎていた。あと15分もない。なまえが待っているのはポートタワーだ。場所も行き方も分かっている。だが、20時までに着くとは思えない。あぁ、もういい、考えている時間さえも勿体無い。
必死に走ってポートタワーを目指す。走るのが嫌いだと私は言った。あれはなまえが義父さんに連れ戻されて行方不明になった時か。あの時…あぁ、いや、初めて走るのが嫌だと言ったのは映画館に行った時だけど。とにかく、走るのは嫌だし、歳だからもう二度と走りたくないと言ったはずなのに。もう二度と行方が分からなくならないで欲しいと言ったはずなのに。なのに、またこうして私を走らせるとは、本当になまえはいい度胸をしている。だけど、あの時私は「どこにいても必ず迎えに行くから待っていろ」と言った。だからなまえは私が来ると信じて一人で待ってくれているのだろうか。
本当になまえは狡い女だ。なまえが待っていると分かっているのに、もう間に合わないからと私が諦めるはずがないだろう。もう好きではないのなら家に帰れ?だから、家の近くのレンタル倉庫に手紙を残したのだろうか。帰れるはずがないだろう。あの倉庫に辿り着くまでになまえと過ごした時間を嫌でも思い出さなければならないのに。私がなまえをどんなに好きだったのか、どれほど私が幸せだったか再確認させておきながら、帰れるはずがない。会いたくなるに決まっているだろう。まさか、いつもの無自覚でやっているのだろうか。だとすれば、本当に恐ろしい子だ。計算などではなく、意図せずに私を惹きつけてくるのだから。
駅から一度も立ち止まることなくポートタワーに着くことが出来た。ジムに行って多少なりとも体力をつけていてよかったと心の底から思った。だけど、もう2分しか時間がない。
ポートタワーは平日だというのに混んでいた。複数人で来ている者もいれば、一人で来ている者もいる。この中からなまえを探さなければならない。それでも、なまえを探すことは簡単だ。小さくて、髪の長い、白い服を着た子を探せばいいだけのことだったから。だけど、パッと見る限り、そんな子はいなかった。まさか、なまえが指定した場所はここではないのだろうかと焦りながら時計を見ると、もう1分を切っていた。まずい、もう時間がない。私は間違えたのか?いや、間違えていないはずだ。ここで合っている。自信がある。
何故、なまえが見つからないのだろうかと、もう一度見渡すと、なまえよりも背丈が高く、黒いワンピースを着た女が目に入った。肩まである髪を風になびかせている。
今回、私はなまえがどうしてこんなにも特別なのだろうかと何度も考えた。過去に愛した女だから、なんて理由ではないことは早い段階で分かったことだ。では、何故こんなにもなまえを求めるのだろう。なまえでなければならないのだろう。優しく、甲斐甲斐しい程に私を支えてくれようとするからだろうか。人を疑うことを知らず、誰に対しても優しく接する優しさがあるからだろうか。それとも、護りたくなるほど繊細で、美しい見た目だからだろうか。儚げに見えるというのに、芯が通っていて、強いからだろうか。考えれば考える程、なまえの好きなところが思い浮かんだ。好きな理由なんて一つではない。一緒にいて楽しいとも幸せだとも感じる特別な子。嫌われたくなくて、離れていくことが本当に怖いと思うほど愛している子。理屈じゃない。言葉で説明なんて出来ないくらい大切に思っている。だから、普段のなまえからは想像も出来ない見た目の女がなまえであると感じたのは理屈じゃない。だけど、あれはなまえだと確信があった。顔を見なくても、声を聞かなくても私には分かる。分かってしまう。あれは私が愛している、ただ一人の女だ。他の女にはないものをなまえは持っている。あの子だけが特別だ。
「…見つけた」
「そっか、ちゃんと来てくれたんだね…」
「ほら、やっぱり無自覚」
「え?」
「ねぇ…」
「なに?」
「好きだよ。本当に愛している」
なまえを後ろから抱き締めると、なまえはびくっと身体を震わせた。やはり私が来るとは思ってはいなかったようで、とても驚いていた。ほらね、やっぱりなまえは恐ろしい子だ。私に近寄ってくる女はみんな計算高い女だった。だけど、なまえは違う。素でそれをやってのける。本当に何の計算もなく、私を夢中にさせてくる。つまり、私はまだなまえを好きになってしまう可能性が高いということだ。どこまで私を夢中にさせれば気が済むんだ、なまえは。本当に恐ろしい。
ねぇ、なまえ。私をこんなにも惚れさせた責任を取ってよ。この私が全力で走ったんだよ?長年目を逸らし続けていた過去とちゃんと向き合おうと思えたんだよ?見た目が変わってもすぐに気付くほど、女嫌いの私がここまで愛してしまったんだよ?私をここまで動かせる女なんて世界中を探してもなまえしかいないんだよ。だから、頼むから私の前からいなくならないで。私をこれ以上翻弄しようとしないで。
ごめんね。誰かの入れ知恵があったのだとはいえ、私を試したいと思ってしまうほど、なまえは傷付いたんだよね。ごめんね、私はいつも間違えてしまう。だけど、ちゃんと間違えずにここに辿り着けた。私はまにあったのだろうか。なまえを手放さずに済むのだろうか。その答えが知りたくて、そっとなまえの頬に手を当てる。答えは言葉で聞かなくても分かった。涙を浮かべ、笑いながら手を重ねてきてくれたから。
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