雑渡さんと一緒! 198


「必死に走らせて、ついでに風邪をひかせられたらなーとは思っていたけど、いやー、まさか肺炎とはね。ウケるね」

「全然、ウケませんけど!?」

「いいじゃん。死なないよ、多分だけど」

「まだ死なれたら困るの!」

「雑渡が死んだらうちにおいで。一緒に暮らそうよ」

「それは楽しそうだけど…」

「いや、死なないから!私、まだ生きてるから!」


ぜぇぜぇと苦しそうに息をしながら怒鳴る昆は元々風邪気味だったらしい。当然、病院に行くという発想はなく、家で大人しく過ごすわけでもなく。おまけに走って会いに来てくれたのはいいけど、汗をそのままにしていたから冷えて風邪が悪化。肺炎となった、と。何なのよ、この人は。
それでも、抗生剤と解熱剤を投与されただけで随分とよくなった。意識がなくなった時にはどうしようかと思ったけど、入院手続きをしてから病室に戻ると昆は目を覚ましていた。
私、看護学校にも行った方がいいのかな。それとも、ジムに行って鍛えた方がいいのかな。鍛えたらヨルみたく私も昆を担げるようになるかもしれない…けど、私は背が低いから昆のことは間違いなく引き摺ることになるんだろうな。やっぱり私が家で昆の体調管理をするのが一番な気がした。清潔な部屋に整えて、栄養のある物を作るの。あぁ、でも車の免許はあった方がいいのかも。そんなことを考えながらヨルに缶珈琲を渡した。夫婦共々ヨルには本当にお世話になった。


「ありがとうございました。助かりました」

「このくらい別にいいよ。面白いものが見れたしね。それよりさ、敬語じゃなくていいよ。私たち、もう友達じゃん?」

「うん。また一緒に出掛けようね」

「ねー。どこ行こっか。あ、今度さぁ、ホテルのアフタヌーンティーに行かない?ついでに泊まっていってもいいし」

「行きたい!えっ、いつ行く?」

「今度の休みはねぇ…」

「いや、私は絶対に許可しないからね!?」


盛大に咳き込みながら叫ぶ昆の背中を撫でる。解熱剤を使ってもまだ熱が39度あるのに、元気な人だなぁ。
昆は私に浮気者だと言った。だけど、ヨルに抱いている感情は決して恋心ではない。どちらかといえば、姉のような、兄のような感情だ。兄弟のいない私にとってヨルは不思議と自分を曝け出せる特別な存在となっていた。だけど、ヨルを支えたいかと言われると、もちろん私に出来ることなら全力で力になりたいとは思うけど、昆ほどではない。言葉にするのは難しいけど、愛情のベクトルが全く異なる。そんな人だ。


「さて。私は帰ろうかな」

「あ。下まで送っていく」

「は!?私を一人にする気なの!?」

「うん」

「えっ、あ、あまりにも酷くない!?」

「はいはい」


もういいよ、とヨルの背中を押して病室から出す。昆はまた大声を出しては咳き込んでいたけど、もう私たち夫婦の問題だ。ヨルは関係ない。
困った人ね、とヨルを見ると、ヨルも困ったように笑った。


「あいつさ、あれでいい奴なんだよ」

「うん、分かってる」

「私ね、ずーっと自分が男であることに違和感があったの」

「うん」

「大学を出て、会社に就職して。それでも、スーツが嫌で嫌で仕方なかったんだ。ネクタイなんて締めたくなかった」

「そうなんだ」

「雑渡がね、背中を押してくれたの。自分が自分でいられないのならもう辞めろ、自分の生き方は自分で決めなよって」

「わぁ、厳しい」

「ねー。言い方ってもんがあるでしょ」

「でも、昆らしい」

「うん。雑渡に好きな子が出来たって聞いた時、つまんない女に引っかかってたらどうしようかと思ってたんだけどさ。雑渡が選んだのがなまえちゃんでよかったよ。安心した」


だから雑渡のこと頼むね、とヨルは言って帰っていった。本当に昆は色んな人に想われている。いつか怖がらずに一歩踏み込めるようになって欲しい。ちゃんと私が側にいるから。万が一の時には慰めてあげるから。
病室の扉を開けると昆は慌てて布団を被った。また泣いていたのだろうか。それとも拗ねているのかな。何にしても仕方のない人だ。少しも目を離せない、小さな子供のようだ。ポン、と布団を叩いてから少しだけはみ出ている頭を撫でると昆は手の方へと頭を動かしてきた。本当、甘えん坊な人。


「ほら、拗ねないで?」

「…拗ねてない」

「ヨルはね、本当に友達なの。女の子の」

「あれは男だよ」

「女の子だよ?」

「いいや、男だ」

「知らなかったの、男の人だったなんて」

「そもそもさぁ…」


昆は身体を起こしてきた。よかった、泣いてはいなさそう。


「知らない人間の所で寝泊まりするってなに。なまえは危機管理能力が足りない。どうするの、何か変なことされたら」

「例えば?」

「犯されたりとか、殺されたりとか」

「怖い」

「いや、怖いとかじゃなくてさ…」

「その時は助けに来てね」

「そういう問題じゃないんだけど?」

「助けに来てくれないの?」

「いや、行くよ。行くけどさぁ…」

「じゃあ、いいじゃない」

「よくない。何もよくない」

「私、あなたのこと信じてるから」


ふふ、と私が笑うと昆は毒気を抜かれたような顔をした。多分、何を言っても私に話が通じないと思ったんだろう。
昆は時間の無駄と言わんばかりに溜め息を吐いてからまた横になったから、布団を掛ける。まだ熱があるんだから大人しくしていてもらわないと。それこそ、まだ死なれたら困る。


「昆も私に言うことがあるんじゃないの?」

「…なに」

「200万、使ったんだってね?楽しかった?」

「ど、どうしてそれを…」

「ヨルから聞いた。女の子いーっぱい呼んで、肩を抱いてはお酒を注がせて?楽しかったみたいだね、キャバクラ遊び」

「いや、楽しくはなかったけど…」

「それ、浮気じゃないのかなぁ?」

「か、肩を抱いて酒を飲んだだけだよ?」

「あぁ。じゃあ私がホストで男の人に囲まれて、肩を抱かれながらお酒を飲んでもいいってこと?行っちゃおうかなぁ」

「駄目に決まってるでしょ!」

「じゃあ、反省して。反省してよ!何よ、200万て!」

「は、反省はしています…」

「当たり前でしょ!馬鹿!」


個室だとはいえ、夜遅くに病院で怒鳴ってしまった。このままだとよろしくない雰囲気になりそうだったから、私は病室から無言で出て行こうとした。すると、昆は布団の隙間から顔を覗かせ、私に捨てられた子犬のような目を向けてきた。
昆を無視して病室から出て行き、ナースステーションでお願いしてみる。一晩でいいからいさせて欲しい、と。駄目だと言われると思ったけど、案外あっさりと要望は通った。この病院は私が入院したことのある病院で、昆は恐れられているからかもしれない。つまり、ブラックリストに載っているということだ。それはそれで困るけど、まぁスムーズに希望が叶ってよかったと思うことにする。本当に私は昆と出会ってから図太くなった。以前なら申し訳なくてこんなことは絶対に言えなかったし、ラッキーとは思えなかったのだから。
病室に戻ると昆はやっぱり布団を被って寝ていた。普段はそんな寝方をしないのに。本当に病院が苦手なんだろうなぁ。


「顔は出した方がいいよ」

「…えっ。ど、どうして戻ってきたの?」

「私、今日ここに泊まるから」

「いいの?」

「子供はね、付き添いが認められてるんだって」

「子供?それ、私のこと?」

「他に誰がいるの?」

「…っ、どうせ私は子供だよ」


ふん、と鼻を鳴らした昆はまた布団を被った、泣いたり、怒ったり、拗ねたり…本当に昆は感情豊かになった。出会った頃の反応とはあまりにも真逆で、何とも愛しい。
昆は自分のことを多くは語らない。だから、私は昆のことはよく知らない。だけど、分かっている。ずっと見てきたから言われなくても分かっている。あなたは昔から言葉にはしてくれなかったけど、多くのことを表情や態度で示してきてくれていた。決して分かりやすい人ではないけど、ちゃんと見ていれば分かる。それでも、やっぱり思っていることはちゃんと伝えてきて欲しいけど、それは昆にとって難しいことなのだろうか。あなたを知りたいと思うことはそんなにも贅沢な望みなのだろうか。それとも、私から一歩踏み込んだら解決出来ることもあるのだろうか。分かり合えるのだろうか。


「昆はさ、私のことそんなに好きじゃないでしょ」

「いや、めちゃくちゃ好きですけど?」

「好きなのに、どうして話してくれないの?」

「何を?」

「過去のトラウマとか」

「…聞きたいの?聞いていて楽しい話じゃないけど」

「聞きたいよ。好きな人のことなんだから」

「……でも、」

「言いたくないなら言わなくてもいいよ。先は長いからね。それに、言ってくれなくても、何となくは分かってるよ」

「ほぉ?」

「あなたが人を失うことが、嫌われることが怖いのは過去に大切な女性を失ったことがあるから。そうなんでしょ?」

「大切というか…」

「それに、病院にいると思い出すから嫌いなんだよね?」

「………」

「それでも、部下の人たちは側にいたじゃない」

「…でも、なまえはいてくれなかった」

「まだ出会ってもいなかったんだよ?不可抗力だよ」

「それでも私は…っ」

「うん」

「あの時、側にいて欲しかった。抱き締めて欲しかった…っ」

「うん。分かってるよ」


昆が病院を嫌がるのは過去に寝たきりになったことを思い出すからなのだと何となく分かっていた。三年も寝たきりだった上に婚約していた人は離れていってしまい、毎日生死を彷徨っていたと聞く。もう二度と忍びとして生きることは出来ないかもしれないと言われ、見た目も変わってしまい、何に希望を見出せばいいのか分からない何月を過ごした。それはトラウマにもなるのも納得だ。
涙を静かに流す昆を抱き締めると、ポツポツと話してくれた。どうして女の人が嫌いなのか、どうして人に裏切られることが怖いのか。今回、どうしてこんなにも私を拒絶しようとしたのか。それでも、ちゃんと過去と向き合って色んな覚悟を決めた上で私に会いに来てくれたことを、まるで子供が怖い夢を見た時のように泣きながらたくさん話してくれた。
きっと昆はずっと寂しかったんだろうなぁと思った。それはまだ忍び組頭をやっていた時から、ずっと。人を殺めることに罪悪感を感じ、それでも人前では何でもないような顔をしていなければならず、殿からの期待もあり、ずっと一人で抱え込んでいた。それは今も同じで、部下の人たちの前では頼れる上司を演じようと必死になっている。責任に押し潰されそうになっているのに、誰にもそれを打ち明けることなく、一人で抱え込もうとしている。馬鹿ね、本当。何のために私がいると思っているんだろう。昆が弱いことも、優しいことも私は随分と前から知っている。自分よりも人を大切にしようとする人だから、私が昆を大切にしてあげたいと付き合った時からずっと思っていた。
私がもっと頼って欲しいと言うと、昆はそっと指を頬に滑らせてきた。そのまま髪を掻き上げてきて、遂に気付かれてしまう。私の耳に真新しい三つ目のピアスホールがあることに。予想通り昆は怒ったけど、私が「私から目を離すから」と言うと苦虫を噛み潰したような顔をして唸った。
私から片時も目を逸らさないで。そうじゃないと、おばあちゃんみたく穴だらけにしちゃうかもよ?それで、髪も明るく染めて刈り上げるの。おへそも出しちゃうかも。それが嫌ならちゃんと見ていて。だけど、もしそうなったとしても、ちゃんと愛してくれるんでしょ?そんな意地の悪いことを言うと昆は「例えどんな見た目になろうともこの想いは何も変わらないよ」と言った。とても困ったように笑いながら。


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