雑渡さんと一緒! 199
まったく、酷い目にあった。折角、またなまえと生活出来ると思っていたのに一週間も入院する羽目になるなんて。おまけに病院では禁煙しろだの減酒しろだの言われ、なまえも学校があるからとずっと側にはいてくれず、一人で雰囲気の悪い個室に閉じ籠っていた私のストレスは極限まできていた。なのに、月末だから退院してすぐに出社しなければならないなんて。本当についていない。
午後から出社し、パソコンを開くと概ね終わっていた。驚いて周りを見ると、何とも腹のたつ顔を向けられる。私にそのつもりはないが顔や態度に出るらしいから、なまえとうまくいっていないことが分かっていたのだろう。そして、無事に解決したことも。いいことなのか悪いことなのか分からないが、今日は早く帰れそうだから一応よしとすることにした。
「押都。少しいい?」
「…はい」
「なに、そんな畏まって」
「電話で話があると言われてからずっと気になっていて…」
「あぁ。それは悪かったね」
「いえ…」
押都は怯えていた。別に過去のように斬りつけたりしないんだけど。それこそ、なまえに過度な接触もしてないし。
私は過去に押都を刀で斬りつけた。理由は単純明快で、押都がなまえに惹かれていることに気付いたから。私の女だと知った上で密かになまえに想いを寄せ、時に花を贈っていた。今から思えばただそれだけの接触しかしていなかった。間違ってもなまえを私から奪おうなんて考えはなかったことだろう。それでも私は許せなかった。なまえが他の男に笑い掛けていることがどうしても許せなかった。自分から離れていってしまうことが不安だったからだ。なまえは私に想いを寄せてくれていたにも関わらず、自分に自信がないからどうしてもなまえを信じきれなかった。つまりは、私が押都を斬ったことは自分の弱さや未熟さ、身勝手さからであり、これは私の償わなければならない罪の一つだった。そして、先日押都に掛けた言葉も我ながら無神経で身勝手なものだった。
「ごめんね。押都には悪いことをしたと思っている」
「…それは、どのことを言っておられますか?」
「全部?」
「抽象的過ぎませんか?」
「ねぇ、押都。なまえのこと、まだ好き?」
ビクッと押都は震えた。それでも、一瞬動揺は見せたがすぐに落ち着きを取り戻した。この精神力の高さが押都のいいところであり、仕事が出来る所以なのだろう。
押都が何と返答するのかは何となく分かっている。こいつは例え今でもなまえを想っていたとしても、私にはそうだとは言ってこないだろう。一応は従順な私の部下であり、そしてまた、私からなまえを奪えば私の精神は崩壊すると分かっているだ。それでも、誰かが誰かを愛しいと感じることは止められない。それに口を出す権利は夫であるとはいえ私にもないだろう。まぁ、流石に手を出されたらまた話は別だけど。
「なまえが欲しいのならあげると私は言ったね。あれは無神経な発言だった。押都にもなまえにも失礼なことを言った」
「いえ…」
「訂正させて欲しい。なまえは押都には渡せない。あれは私にとって特別な子なんだ。まぁ、もう知ってるだろうけど」
「ええ。存じております。それに、あのお方は昔からあなたのことしか見ておりませんでした。いつもあなたのことを第一に想っておられましたよ。心底、羨ましいくらい深く…」
「うん。そうだね、そうだったんだろうね…」
「私にはあなた方が羨ましかった。ただ、それだけですよ」
薄く笑う押都に頭を深く下げる。こいつは今も昔も私よりも遥かに大人だ。私もこんな風に相手を思いやれる人間になりたいと願っているが、難しいだろうな。押都ほどの人間性も精神力も私にはないのだから。
押都に頭を下げると周囲はどよめいたし、押都は慌てふためいていた。私だって無礼を詫びる時は頭くらい下げるのに。
「お、おやめ下さい…」
「頭くらい下げさせてよ」
「あなたは泣く子も黙る営業部長なのですよ?」
「あれ、そんなに怖い?」
「仕事に関しては自分にも人にも厳しいでしょう」
「まぁね。仕事は仕事だ」
「それに、詫びて頂くほどのことはされておりません」
「どんな感覚してんの。私なら舐めるなって怒鳴るよ」
「あなたならそうでしょうね」
「あれ。馬鹿にしてんの?」
「あぁ、失礼しました。今のは失言でした」
「ふ…ありがとう、長烈」
長烈を斬りつけた時を最後に、私はこいつを名字で呼んでいた。初めは怒っていたから、裏切られたと悲しんでいたからという理由だったけど、次第に名字で呼ぶことに慣れてしまい、そしてまた名前で呼ぶタイミングを逃していた。
だけど、お前は私に以前のように名前で呼んでほしかったのだろう?信頼されていないようで辛いと感じていること、分かっていたよ。なのに、今まで悪かったね。それでも、別に私は生まれ変わってからは長烈を信頼していなかったわけではないよ。そうでなければ、係長に推したりするものか。この会社はね、これから大きく変わろうとしている。勿論、変えるのは私を初めとした上の人間だ。私が矢面に立つから、お前たちは私の後に続きなさい。信頼しているから、私の背後は任せた。私はこの会社を定年までに日本一の商社にしてみせる。いいね、私を信じて最後まで着いてきなさい。
私がそう言うと長烈は泣いた。なまえは私のことをよく泣くと言うけど、みんな多かれ少なかれ、涙くらい流すのではないだろうか。要は「誰の前で」泣くのかが重要な気がした。少なくとも私は誰の前ででも泣いているつもりはない。
家に帰ると、リビングの電気が点いていた。玄関先からいいにおいがして、気分が上がる。誰もいない家に帰ることはとても寂しかったから。さて、今日の夕飯は何だろうか。
「ただいまー」
「おかえりなさ…わぁ!」
「…おかえり」
「うん。ただいま、昆」
笑うなまえに軽いキスをしてから美味しい夕飯にありつく。そしてまた何でもないのに特別な、愛しい日々が始まった。
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