雑渡さんと一緒! 200
「赤飯が食べたい」
「あぁ、お正月?」
「いや、今日」
「今日?何かの日だっけ?」
「いいや。ただ単に赤飯が無性に食べたいだけ」
「はぁ…好きなの?」
「普通」
「普通に好き…を超えた好きなんだね?」
「お、流石だね。よく分かったね」
「その難しいクイズ、もうやめて欲しいんだけど」
別にそんなつもりはない、と昆は言ったけど、彼の言う「普通」を理解出来る人がこの世にどれだけいることだろうか。というか、日常会話で普段、困らないのだろうか。いや、この場合は困るのは昆ではなくて周りの人なのだろうけど。
何にしても赤飯の材料を揃えにスーパーに出向く。小豆と餅米とごましおを購入して帰宅した。赤飯なんて作るのは何年振りのことだろうか。最後に作ったのは確か、自分の入学祝いかつ引越し祝いで作った時だ。一人でひっそりと食べた。美味しかったけど、あれは少し寂しかったなぁ。というか、今から思えば何であんなにも思い切ったことをしたんだろうか。一人暮らしハイになっていたのかもしれない。
「あの時、昆と知り合っていたらなぁ」
「うん?」
「いや、引っ越してすぐに一人で作って一人で食べたの」
「えっ。分けて欲しかったんだけど」
「まだ知り合ってもなかったのに?」
「ドアノブに掛けておくとか」
「聞くけど、掛けておいたら食べたの?」
「…いや、食べないだろうね」
「でしょ」
誰がくれたのか分からない物を食べると言われる方が怖い。おまけに、知らない人の作った物が気持ち悪いと言う人が。
気を取り直して小豆を洗っていく。その後、お鍋でコトコトと煮ている間に餅米と白米を洗って水に浸した。小豆が煮えるまで他の物を作っておきたいところだ。冷蔵庫の中身を思い出しながら、頭の中で献立を考える。
今日はあと鰤を焼いて、きんぴら牛蒡とおひたしにでもしようと冷蔵庫の前に移動した。野菜を出すために屈んで野菜室を開けたいんだけど、と後ろから抱き締めている昆を見る。
「そろそろ離して欲しいんだけど…」
「邪魔?」
「うん。はっきり言って邪魔」
「酷い。最愛の夫なのに」
「はいはい。分かったから離して」
「やだ」
ぎゅーっと抱き締められてしまい、身動きが取れなくなる。
私と昆は先日まで離れて暮らしていた。お互い、離婚することさえ頭によぎっていたような状況だったというのに、こうしてまた一緒に暮らすことが出来て嬉しい。ただ、邪魔なものは邪魔だ。夕飯がこのままだと赤飯だけになってしまう。
仲直りしてから離れていた分を取り戻すように昆のスキンシップは異様なまでに多いというか、激しい。一秒たりとも離れたくないという強い意志さえ感じる。やや迷惑なほどに。
「夕飯が赤飯だけになっちゃうよ」
「いいよ」
「よくないよ。少なくとも私は嫌」
「じゃあ、私も手伝う」
「あ。じゃあ一品作ってよ」
「美味しくないよ」
「そんなの分かんないじゃん」
はい、と冷蔵庫を指差すと昆は渋々私から離れて冷蔵庫を開けた。中をまじまじと見つめたかと思えば豆腐と卵を手に取り、慣れた手つきで卵を溶き始めた。本当に慣れた手つきだったから思わず見入ってしまったけど、我に返って隣に立ち、私も夕飯を作ることを再開する。
まずは小豆の茹で具合を、と一粒口にした。やや塩が足りないような気がするようなしないような…と思いながら二粒目を手に取ると、隣にいた昆が無言で口を開けた。
「熱いよ」
「ん」
「どう?」
「気持ち塩がいるんじゃない?」
「やっぱり?よし」
棚から塩を出して鍋に入れる。隣のコンロにフライパンを置いた昆は私が希望した通り一品作ってくれた。二人でこうしてたまにキッチンに立つことはあったけど、作ってもらうのは初めてだ。二人で立つには少し狭く、だけど、色んなことを話しながら夕飯を作ることは楽しかった。
無事に完成した夕飯を食卓に並べ、手を合わせる。まずは昆の作ってくれた豆腐の卵あんかけを口にして驚いた。
「えっ。美味しい」
「そ?よかった」
「美味しいよ。えっ、本当に美味しい」
「大袈裟」
「これ、レシピ教えてよ」
「そんなものはない。なまえにだってないでしょ?」
「まぁ、目分量だけど…それでも、だいたいの味付けとか」
「さて。何を入れたんだったか」
「は?」
「雰囲気で味付けをしたからね。分かんない」
「はい!?」
「男の料理なんて、そんなもんでしょ」
ごま塩をかけた赤飯を食べながら、しれっと言った昆は鰤の身を嬉しそうに崩し始めていた。こんなにも美味しいご飯を雰囲気で作れるなんて、この人は本当に何でも出来るんだろうなぁと思った。いっそのこと極めればいいのに。
食後、二人で珈琲を飲みながら年末の予定を立てる。どうせなら温泉で年越しをしようと提案されたけど、昆が馬鹿みたくお金を使ってしまったから駄目だと却下させてもらった。
「年末くらい、いいじゃない」
「よくない」
「大丈夫。また稼いでくるから」
「そういう問題じゃない」
「今日だって、どこも行かずに家で過ごしたんだし」
「本当に反省してるの!?」
「してるしてる。もう、超してる」
「昆!」
馬鹿、と私が怒ると、昆は静かになった。私が睨んだからか「仕事でもしようかな」と新聞を広げたけど「それはもう朝やったでしょ」と立ち上がる。思い出したらまた頭にきた。何よ、キャバクラで200万使ったって。ギャンブルで100万使ったって。限度があるでしょうに。
私が静かに怒っていることに耐えられなくなったのか、新聞を畳んだ昆は本当に気まずそうに私に謝ってきた。
「その、本当に悪かったと思っている」
「どうだか」
「でね。その、実はまだ使った金があって…」
「まだあるの!?」
「…はい」
「幾ら!?」
「1200万」
「せん…っ!?」
「あ!ちょ、なまえ!」
目の前が真っ暗になって思わずソファに倒れてしまった。1200万?それってケーキ何百個買える?というか、年収のほとんどを使ったってこと?えっ、じゃあ通帳の残高って、あと幾らあるの?あ、どうしよう…頭が痛い。
呆然と私が天井を見つめていると、昆が私を抱き起こしてきた。本当なら昆を叩きたいけど、今はそんな気力さえない。
「そ、相談しようかなぁ…なんて少しは思ったんだけどね」
「あは。あはは…」
「あ、壊れちゃった」
「馬鹿じゃないの!?何よ、1200万て!」
「いや、大分安くして貰ったんだけど」
「な、何…何を買…っ」
「車」
「車…あぁ、何だ。車かぁ、よかった…」
車ならまだ納得出来る。仕事で使うし、走行距離が大分いっていると前に話していたから。いや、まぁ一言くらい相談して欲しかったけど。それでも、想像していた使い方ではなかったから、一安心した。一応、車は資産だし。
「会社から補助が出るって言ってなかったっけ?」
「まぁ、幾らかは出るんじゃない?」
「あら、そう」
「…怒ってますか?」
「程々に。でも、キャバクラとかギャンブルで使ったって言われてたら家出してたかもしれないから。最悪、離婚だよ」
「りこ…っ、つい先日、愛を誓い合ったのに!?」
「だって、1200万だよ!?1200万だよ!??」
口にしているうちに、やっぱり嫌な気持ちになってきた。感情がぐちゃぐちゃだ。だけと、使い道が車だというのなら本当に納得出来る。全然、出来る。だから怒っちゃ駄目。
私が何ともいえない怒りを鎮めようとしていると、昆が気まずそうな顔をした。気まずそうというか、恥ずかしそうというか、迷っていそうというか。何にしても、何かしらを私に告白しようか悩んでいそうな顔をした。私がまだ何かあるのかと頭に血を昇らせていると、昆は鞄から一枚の茶封筒を取り出した。茶封筒にはタソガレドキ社の社名が印字されており、仕事で使っているものだと分かる。それを私に本当に気まずそうに手渡してきた。中を開けて退職を勧告する旨が書かれていたらどうしようかと思わず身構えてしまう。
「…なに?」
「その…あ、どうしよ。やっぱりやめたい…」
「だから、何!?」
「あのね。私、本当になまえのことが好きというか、大切なんだって今回のことがあって思い知ったんだよね。だから、たくさん傷付けたお詫びに何か贈ろうと思ったんだけど、これ以上金を使ってもなまえは喜ばないだろうなぁと思って」
「あ、当たり前でしょ!」
「だから、その、えっと…」
「なに!?」
「ラブレターを書いてみ…あ!やっぱりなし!無理!」
私の手から手紙を奪い取ろうと手を伸ばしてきた昆にわざとらしく「痛い」と言うと、ビクッと手を引っ込めた。
その隙に封筒を開けると、コピー用紙だろうか。薄い紙が入っていた。この、会社にある物で書きました感が何とも昆らしいんだけど、この人本当に仕事をしているのかしら。
「ず、狡い!それは禁じ手だよ!」
「まぁまぁ。折角、書いた物だし」
「待って、恥ずかしい…本当に恥ずかしい!お前、よく私に手紙なんて渡せたね。なに、女は平気なものなの?」
「いや、私も恥ずかしかったんだって」
「返して!無理!」
「うるさいなぁ…ちょっと黙っててよ。もしくは読んで」
「読んで!?そんな物を読み上げるくらいなら腹を切る!」
「あらー」
本当に恥ずかしいのであろう昆の顔は未だかつてないほどに真っ赤だった。これは貴重なものを見ている気がする。成る程、これも含めてのプレゼントなのかもしれない。
さて、と手紙を読み始める。昆は私が読み始めると諦めた様子だった。だけど、この空気に居た堪れなくなったのか、煙草を吸い始めた。もう早くこの時間が終わって欲しいと隣からブツブツと聞こえるけど、無視して読むことにした。
【なまえにこの手紙を宛てるのは、直接言葉を連ねる自信がなかったからであり、前置きとして、これは異常措置だということを覚えておいて欲しい。そして、人に手紙を書くこと自体が初めての経験だから、決して期待出来る文書とはなっていないことを念頭に置いて読み進めて貰いたい。】
「…ねぇ、この前置き多分、要らないよ」
「いいから!途中感想とか要らないから!」
「あ、そう」
【まず初めに。今回の一連の騒動の件は本当に申し訳ないことをしたと思っている。私は一人で今まで生きてきた。誰も私には寄り添ってはくれないと思っていた。それが間違いであることになまえと出会ってから気付いたけど、それでも、寂しいと思いながら過ごした幼少期の記憶はそう簡単には塗り替えることは出来ず、一人になることに異様な恐怖を抱いていた。心を開いてもいつかはどこかに行ってしまう。誰も私の側にはいてくれない。誰も私を愛してはくれない。その恐怖はなくならなかった。だから私はなまえが自分から離れていってしまうのではないかと思った時、心を閉した。初めから好きではなかった人間だから、離れていっても平気なのだと思うことにした。自分の気持ちを偽っていることにさえ気付かず、どうにかして自分の心を護ろうと必死になっていた。その結果、なまえを傷付けてしまった。これは悔やんでも悔やみきれない。心にもないことを言ったこと、手をあげたこと、家から追い出したこと。本当に心の底から反省している。ただ、一人になったことで初めて自分の気持ちと真剣に向き合う機会を得た。どうしてこんなにも人を失うことが怖いのか。人に嫌われることが怖いのか。なまえが言った通り、過去に婚約者を失ったからだろう。あの時の私は職どころか命さえも危うい状況だった。なのに、支えては貰えなかった。あっさりと見捨てられてしまった。それが自分では納得していたつもりだったけど、トラウマになっていた。
次に、私はなまえと今後どうなりたいのか考えた。ただ漠然と一緒にいたい、幸せになりたいと願うことは簡単だけど、それを実現することはそう簡単ではない。人の気持ちなんて移ろいやすいものであり、それを止めることは困難だ。だから、なまえが他の男に惹かれる日が来たとしても私はそれを止めることは出来ない。多分、泣いて騒ぐとは思うけど、その時は適当にあしらい、私を捨てて貰って一向に構わない】
「えっ。なに、これ本当にラブレターなの?」
「…いいから最後まで読めば?」
「あ、ここから盛り返すんだ?」
「盛り返すというか…はぁ、酒買ってくる…」
「じゃあ、何か甘い物買ってきて」
「はいはい」
【多分、私は何ヶ月か落ち込むだろう。だけど、必ずなまえの前にまた現れるから覚悟しておきなさい。何度離れようとも、私は何度だってなまえに好かれるような男になりたい。もちろん、離れていかないよう繋ぎ止める努力は惜しまないつもりではあるけど、それでも今後も喧嘩をすることが少なからずあることだろう。気を付けるけど、それでも心ない言葉を投げ掛けることもあると思う。だから私に愛想を尽かす日が来ないとは私は思っていない。決して思わない。思わないからこそ、得られる物がある。なまえは私をよく努力家だと評してくれるね。そう、私は負けず嫌いの努力家だ。だけど、あまり人にその姿を見せるのは好きではないから、さも努力なんてしていない風を装っている。なのに、なまえは早い段階で気付いてしまった。そして、それを認めてくれた。私のいいところだと言ってくれた。その言葉だけで私は頑張れる。前向きになれる。だから私はちゃんと自分と向き合って、何度でもなまえに惚れ直させられるような男になっていこうと思う。そのための努力など、些細なことだ。だから、私の悪いところは包み隠さずに全て教えて欲しい。時間は掛かるかもしれないけど、ちゃんと直すから。私にこうして欲しいと思うことがあるのなら、全て教えて欲しい。なまえが望む形を取れるかは分からないけど、共に生きていきたいから。よく夫婦は二人で一つだと言うけど、私は正にそうだ。私はなまえがいなければ満足に自分のことも分からない、自分を大切にすることも出来ないような小さな人間だ。なまえが私を形作ってくれている。なまえが側にいてくれなければ何も出来ないような小さく、愚かな男ではあるが、これからも側にいて欲しい。愛している、なんて言葉では言い尽くせないほど、深く愛している。私のことを認めてくれて、受け入れてくれて、愛してくれてありがとう。雑渡昆奈門】
私が前に書いた手紙よりも随分と長いラブレターを読み終わって、だからだったのかな、と思った。いつもなら何か作ってと言っても決してご飯は作ってくれなかったのに、今日は随分とあっさりと作ってくれたから。おまけに美味しいし。
あの人、本当に馬鹿なのね。私が心変わりするなんてまだ思っているんだ。口では「愛を誓ったのに」とか言っていたけど、本当はまだ怖いんだ。ふーん、そうなんだ…
「ただいま」
「………」
「はい。何かね、これ新作らしいよ」
「…ねぇ」
「なに」
「私、どこにも行かないって言ったよね」
「…この先どうなるかなんて神にも分からないことだよ」
「神を信じてないくせに?」
「言葉の綾だよ」
缶を開けて、ビールを口にした昆はもうこの話をやめたそうだった。多分、手紙を書いたことが恥ずかしいという気持ちや後悔があったんだと思う。
私は昆とどう生きていきたいのか。私は昆と離れてそればかり考えていた。そして、出る結論はいつも同じだった。
「私、実は未来が見えるの」
「ほぉ?」
「三年後くらいに子供が出来てね。昆はメロメロになるの」
「えっ。そんな先なの?」
「子供は女の子でね、絶対にお嫁にやらないって言って」
「あー。言いそう」
「子供がいてもずーっと私が一番だって言うから喧嘩して」
「ありそうだねぇ」
「子供が巣立って、歳を取っても名前で呼び合って」
「うん。理想だね」
「私はあなたの最期を看取るの。ひ孫と一緒に」
「大往生だね、それは」
「昆は死に際に私にまた絶対に会おうって言ってね」
「そうだね。多分、言うと思う」
「それで、また何百年後かに出会って私たちは恋に落ちる」
神なんて信じなくてもいい。だけど、私のことは信じて?私はずっと昆と一緒だから。あなた以上の人なんてこの世にはいないから。嫌なところだって全て愛してるから。だって、それが昆だから。私が愛した人だから。
そう言いながら、ぎゅうっと昆を抱き締める。確かに人の心は移ろいやすいものかもしれない。だけど、そう簡単に移ろわない想いだってある。何年前から私が昆を愛していると思っているのだろうか。そう簡単に離れられるのなら、もっと早くに離れている。だけど、昆の悪いところだって私は愛している。仕方のない人だと思ってはいるけど、それでも、どうしようもなく愛している。だから安心して私に心を預けて欲しい。私はどこにも行かないから。ずっと側にいるから。
「……っ」
「本当にすぐ泣くよね、昆は」
「…泣いてない」
「泣いてるじゃん」
「泣いてないって」
「あら、そうですか」
「…私が年老いるまで側にいてくれる?」
「しつこい」
「ちゃんと、愛してくれる…?」
「だから、しつこいって」
泣かないで、と昆の頭を撫でる。昆はすぐに自分を偽ろうとする。人からよく思われようとする。本当の自分を隠して、すぐに頼り甲斐のある大人を演じようとする。本当は弱いくせに。寂しがりやで、泣き虫のくせに。
私の前では本当の自分でいて欲しい。安心して側にいて欲しい。だって、夫婦なんだから。そう私が言うと、昆は鼻を啜りながら私を抱き締めて泣いた。たくさん「ごめん」と言ったから私はそういう時は「ありがとう」って言うんだよと諭した。いつものように頬を撫でながら。すると、昆は目を赤くしながら「ありがとう。愛しているよ」と言ってくれた。
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