雑渡さんと一緒! 201
「あー。惜しい」
「つ、次こそは…っ」
「ちょっと休めば?」
「まだまだ…っ」
息を切らせながらなまえは落ちる紅葉に手を伸ばしていた。今年こそは自分の力で取るんだと意気込んでいたが、やはり難しそう。そもそも、ちゃんと紅葉を見ていない。
ベンチで珈琲を飲みながら短く切り揃えられた髪が揺れるのを眺める。初めて会った時と同じ位の長さになっている。
初めて会った時、もう二年半も前のことか。あの時は可愛らしい女の子だと思ったけど、その面影は薄れつつある。なまえは本当に綺麗になった。少女から女性へと成長していっている。行動こそまだまだ幼いが、発言は大人びており、時として私をも言い負かす。いや、これは出会った頃からか。
「もう諦めなよ」
「や、やだ!」
「手伝ってあげるのに」
「大丈夫だから!」
新種のスポーツの如く取り組むなまえは真剣な表情をしていた。何だってあんなに頑なに…となまえを眺める。
髪が揺れる度に覗く首筋のキスマークが何とも愛らしい。これはもう、流石に私も学習した。見える所に付けるからなまえは嫌がるのだと。要は見えない所に残しておけばいいだけのことだ。「なまえの見えない所」に。
色気のない声をあげながら必死になっているなまえが私に宛ててくれた手紙の内容を頭の中で反芻しながら、どちらが努力家なのかと思った。なまえは私によく自分のことを理解していないと言うけど、それはなまえも同じことだろう。
【ねぇ、昆奈門さん。私、実はあなたと結婚してからずっと戸惑っているんです。あなたのような素敵な人が選んだのが私でよかったのかなって。私は何も特別なものを持っていない、ごく普通の、どこにでもいる人間なのに、私が隣にいてもいいのかなって。私が誇れることなんて若さだけだから。私はあなたみたく、努力家じゃないの。ごめんなさい。】
「あーっ!ねぇ、今の惜しかったよね?」
「うーん。どうだろうか」
「うん。惜しかった。私、成長してる!」
「ポジティブだねぇ」
【私は欲張りだから、昆奈門さんに美味しいって思ってもらえるご飯を作ったり、心地がいいって思ってもらえる様に家を整えるのが好きです。毎日、ほんの少しずつだけど色んなことを変えていっていることに昆奈門さんは気付いていましたか?例えば、ご飯の硬さとか。昆奈門さんは少し柔らかめが好きなんですよね。だけど、あまり柔らか過ぎても駄目で、その微妙な匙加減を毎日ご飯を炊きながら少しずつ研究していました。そして、ようやく絶妙な加減に炊けた時の昆奈門さんの顔を見て、私がどれだけ嬉しかったことか。】
「今年はね、絶対に昆に紅葉を渡すの!」
「うん。楽しみにしてる」
「挟むんでしょ?手帳に」
「うん」
「ちゃんと乾燥剤を買っておいたから」
「何で?」
「そうじゃないと、カビちゃうし、虫が来るの」
「ふーん」
「よし。次こそは…っ」
【昆奈門さんは、私たちが住んでいる街を全てタソガレドキ社のものにすると言いましたね。それはきっと私が想像するよりも遥かに難しいことなんだと思います。もちろん何年もかかるし、昆奈門さんは毎日くたくたになるまで頑張るんだと分かっています。私はそれを側でずっと支えていきたいと思っているけど、支えるって何なのだろうとふと考えた時に私に出来ることは何もないということに気付きました。】
「ほら、一度休みなさい」
「待って。感覚が鈍っちゃうから」
「ぷっ。感覚って」
「あ!一度も自力で掴めていないのに、何が感覚だって思ったでしょ?そうなんでしょ?また私を馬鹿にしてぇ…っ」
「これは失礼。とりあえず、一度おいで」
「むぅ…」
【だから、やっぱり私は昆奈門さんの隣にいるには相応しくないのではないかと思ってしまいます。だけど、あなたにこんなことを言うときっと怒ることでしょう。あなたは私のどんな所を見て好きになってくれたのだろう。どんな所に惹かれて結婚しようと思ってくれたのだろうと、ずっと戸惑っています。昆奈門さんは私をよく心が綺麗だと言うけれど、そんなことは全然ないです。私は欲張りなので、すぐにあなたを独占したくなってしまうの。これは実は内緒の話なので、誰にも言わないで下さい。特にお父さんときぃちゃんに。】
「汗を拭きなさい。風邪をひく」
「あぁ、昆みたくね」
「いや、本当に入院て辛いから。本当に辛いから」
「私もしたことあるから知ってるよ」
「違うよ。辛いのはなまえが入院した時の私のこと」
「あ、そっち?」
「そうだよ。どれだけ辛かったと…っ」
「はいはい。ごめんね」
【私、身体は丈夫だから、なんて言えない。元気だけが取り柄なんですとは口が裂けても言えない。昆奈門さんに苦労と心配を掛けてしまったことがあるから。頭の悪い私が健康さえも誇れないのなら、もう私にいい所なんて何もないのに。なので、昆奈門さんが仕事に行っている間ずーっと考えていました。私のいい所ってどこなんだろう、昆奈門さんを支えるなんて口先だけではなく、ちゃんとそれを実行するにはどうしたらいいんだろうって。でも、その答えは最後まで出ませんでした。むしろ、ちょっと自分が嫌いになりました。】
「今年はやけに頑張るね。どうしたの?」
「だって、二年越しの約束だもの」
「あー。確かにそうだけど、別に何も一人でやらなくても…」
「私、昆がいなくても出来るって所を見せたいの」
【私は昆奈門さんと一緒にいればいるほど、昆奈門さんに依存していっています。これも実は内緒の話なんだけど、いつも私は昆奈門さんのことを考えているの。今何をしているのかなぁとか、ここに昆奈門さんと行きたいなぁとか。本当にいつも昆奈門さんのことばかり考えてしまうの。だから、この間も自然にきぃちゃんの前で昆奈門さんが好きそうって言ったら笑われてしまいました。まるでなまえの一部みたいだね、と。そう、私は昆奈門さんが私の一部のような感覚になることが実はあります。それは私が昆奈門さんに依存しているってことなのだと思うと、昆奈門さんに負担を掛けてしまっていることが申し訳なくて自分の足で立ちたいと思うようになりました。自分で考えた方法で自分を補強し、あなたの側にいることが昆奈門さんを支えるということに繋がるのではないかと、そう思いました。ね、私は欲張りでしょう?】
「私はもう要らないってこと?」
「そう」
「ちょっと!」
「嘘。だけどね、私にもちゃんと出来るんだぞーって所を見てもらいたいの。私だってちゃんと一人でやれるんだから」
【昆奈門さんは仕事を頑張る。私はあなたが身体を壊さずに仕事に集中出来る環境を作る。これほどやり甲斐のあることはありません。だから、私はもっとお料理の腕を磨きます。栄養のことをたくさん勉強して、風邪なんてひかせないんだから。そう決めました。私は昆奈門さんの側にずっといたい。そして、いつかあなたの夢が叶った時、隣でその景色を一緒に眺めたい。それが私の夢です。昆奈門さんならきっと私の夢を、私たちの夢を叶えてくれると信じています。だって、あなたは努力を惜しまない人だから。きっとタソガレドキ社を日本一の商社にするくらいの偉業を成し遂げられる人だから。そんな昆奈門さんが私は大好きです。あなたと結婚出来てよかったと心から思っています。私は欲張りで、何の取り柄もない子供だけど、きっと強い女性へと成長していくと約束します。だから、これからも一緒にいさせて下さい。本当に本当に私は昆奈門さんを愛しています。雑渡なまえ】
「よし。ね、見ててね?」
「…うん」
「あ、いける!いけ…」
なまえの腕を背後から掴むと紅葉はなまえの手をすり抜けて静かに地面へと落ちて行った。私に邪魔されてなまえは当然怒った。だけど私は何も言わずになまえを抱き締め続けた。
人が成長していくことは止めるべきではないし、止められない。だから、なまえが私の手を離れて成長していこうとしていることを止めるのは間違いだと分かっている。分かってはいるけど、寂しい。そして、怖い。どんどん私など必要となくなり、離れていってしまうことがやはり私は恐ろしい。
「いいんだ、一人で出来なくてたって…」
「む…私はね、昆の手を借りなくても一人で何でも出来る、自立した立派な大人の女性になっていきたいの」
「いいよ、ならなくて」
「あ。さては、私のことを馬鹿にしたいんでしょ?」
「違うよ。そうでなくて…」
「私は昆がいなくたって何でも一人で…っ」
「…何でそんな寂しいことを言うの?」
そんな、もう私を必要としていないみたいな言い方をしないで。ちゃんと私を求めてよ。依存したっていいじゃない。
私がそう言うと、なまえは笑った。馬鹿な人ね、と言って。
「昆が必要に決まっているじゃない」
「じゃあ何で自立しようとしてるの」
「自立はいいことじゃない」
「そうなんだろうけどさ…」
「私はね、昆が教えてくれたことを大切にしたい。一度では出来ないかもしれないけど、少しずつ成長していきたいの」
「…欲張りな子だね」
「そう。私は強欲なの」
「何かなぁ…」
「だけど、一人では出来ないことの方が私はずっと多い。だから、これからも私のことを昆がちゃんと導いてよね?」
手を握られ、微笑まれる。あぁ、本当になまえは綺麗になった。そして、大人になった。相変わらず優しいし。
取り柄がないなんて見当違いにも程がある。なまえは私を闇から救い出し、光へと導くことの出来る強い女だ。無自覚でそれをやってのける恐ろしい女でもあるが、その分なまえの放つ光は強い。そんなことが出来る女など他にそういない。
「なまえの取り方では紅葉が潰れる」
「う…だって、優しく取るだけの余裕がないもん」
「掴めないのなら、無理に取りに行こうとはせずに紅葉を受け入れるように手を伸ばしてごらん。ほら、こうやってさ」
なまえの腕に自分の手を添え、落ちる紅葉に導く。今日は風も強くなく、紅葉はゆっくりと落ちている、落ち着けば手に取ることなど決して難しくはない。
なまえの手に収まった紅葉は綺麗に色付いていた。なまえの手の大きさとそう変わらない葉が何とも愛らしく見える。
「こ、今年も一人で取れなかった…」
「いいんだ、二人で取りたかったんだから」
「あれ?そうなの?」
「うん」
「そうならそうと早く…あ、明日、筋肉痛になりそう…」
「ぷっ。この程度で?」
「あ、また馬鹿にした!この紅葉、捨てちゃうからね!?」
「ふふ、これは失礼。では、からかったお詫びと紅葉を取ってもらったお礼を兼ねてケーキでも食べに行こうか」
「えっ!ケーキ!」
途端に目を輝かせたなまえはまだどこか幼さを残してはいるけど、それでも出会った頃とは違う表情をしている。
きっと、なまえはこれから益々綺麗になることだろう。今以上にしっかりした、大人の女性へと成長していく。それは誰にも止められないし、止めるべきではない。それでも、一人で出来た方がいいこともあれば、二人でやりたいと思うこともある。私もいつか成長していくことが出来るだろうか。
一瞬たりともなまえから目を離せない。ほんのわずかな期間離れただけでも、こんなにも強く成長したのだから。せめて私がなまえを美しくしている一因となることが出来ればいいのに、と口の周りについた生クリームを拭いながら思った。
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