雑渡さんと一緒! 210


雪は嫌だ。何が嫌って、溶けかけた雪が深夜にまた凍結してしまい、翌朝綺麗なアイスバーンとなってしまった道路が嫌だ。雪の上は案外滑らないけど、凍った道路はどうしようもない。子供の頃から横断歩道のような白線と金属の上だけは絶対に歩くなと教えられていたから、それを避けて歩いてはいるけど、それでも滑るものは滑る。
登校のために駅まで歩いていると、つるっと滑った。咄嗟に傘をついてバランスを取ったから転ばなかったけど、危なかった…と安心して再び足を前に運ぶと、また滑った。そして、無様にも前に転んだ。転ぶ時はお尻からと教えられているけど、前に転ぶことだってある。仕方がない、人間だもの。
くだらない言い訳を心の中でしてから立ち上がり、気を付けて歩こうと心に決めて歩き出すと、右足が異様に痛かった。捻ったのかなぁ…と思いながら歩いていると、段々痛くなってきた。痛い。普通に痛い。めちゃくちゃ痛い。というか、痛すぎて歩けない。体重を掛けるだけでズキズキと痛くなり、最早立っていることさえ辛くなってきた。学校に行きたかったけど、先に病院に行った方がいいかもしれない。そう思いながら、駅まで必死に歩いた。タクシーを拾うためには駅まで行くのが一番だ。ただし、駅に着いた頃には痛すぎて冷や汗が出ていた。どうしよう、本当に痛い。ブーツを履いているから、どうなっているのか分からないけど、ブーツがキツいから腫れているような気がする。どうしよう、昆に怒られるかもしれない…と思いながらタクシーで病院に向かった。


「折れてますね」

「えっ」

「もしかして、結構歩きました?」

「まぁ…」

「骨がズレていないので歩けたんでしょうけど…悪化しましたね、そのせいで。まぁ、入院してもらって手術になります」

「えぇ!?」


嘘でしょ!?と私が先生の顔を見ると、先生は呆れたように溜め息を吐いた。無理をするからですよ、と。
車椅子で病棟に案内されて、四人部屋にポツンと残された。入院?手術?えっ、どうしよう…えっ、どうしよう!昆に言ったら絶対に怒られる!だけど、言わないわけにはいかない。だって、家に帰れないし、保証人の欄にサインしてもらわないといけないし。嘘でしょ、ちょっと転んだだけなのに?
ドキドキしながら昆にLINEを送る。「お話があるので、お電話頂けますか?」と。すると、すぐに電話が鳴った。出るのが怖い。絶対に怒られる。絶対に呆れられる。怖過ぎる…


「も、もしもし?」

「…なに、話って」

「あ、そんな警戒するような話じゃないの」

「怒ってるわけじゃないんだ?」

「うん。私は」

「なまえは?…つまり、私が怒るような話なんだね?」

「えっとね、どうかな…えへへ…」

「なに。早く言って」

「そ、その…今朝、転んじゃったの」

「あぁ。今朝、凍ってたもんね。怪我は?」

「大丈…あ、嘘。大丈夫なんだけど、大丈夫じゃなくて…」

「は?なに?」

「…足の骨が折れました」

「あぁ、足の骨が…はぁ!?骨折したの!?」


電話口からガターン、と椅子が倒れるような音がした。もしかして、オフィスにいるのかもしれない。ということは、営業部の皆さんに知れ渡ってしまったということだ。昆の妻が登校中に転んで足の骨を折った、と。うわぁ、恥ずかしい…


「そ、それで?」

「…入院して、手術するんだって」

「えぇ!?そ、そんなに悪いの…?」

「何かね、歩いて駅まで行ったから悪化したんだって…」

「………」

「こ、昆…?あの…」

「…っ、この馬鹿!何を考えているの!?」

「ひぃっ!ごめんなさい!」


やっぱり昆は怒った。物凄く怒っているということが電話だというのにひしひしと伝わってくる。絶対に今、恐ろしい顔をしている。あぁ、営業部の皆さん、ごめんなさい。
電話を切って私がガタガタと震えていると、隣のベッドのお婆さんがくすくすと笑った。聞けば、お婆さんも年末に転んで骨を折ったらしい。それでも、もうすぐ退院らしい。何と手術をしても一週間で退院出来るそうだ。ただし、松葉杖をついて帰ることになるとか。松葉杖を使って雪道を歩いて学校まで通えるかなぁ…というより、昆は絶対に許してくれないだろうなぁ。例えタクシーで登校したとしても学校にも外には雪が積もっているから、また転ぶとか言われそうだし。
どうやって昆の機嫌を取るべきか悩みながら入院のための書類に目を通す。手術の同意書にサインしていると、LINEの通知音が鳴った。そして、鳴り止まなくなった。怒涛の通知に思わず背筋が凍って震えた。絶対に昆だ。超絶怒っている。
「個室に入れ」「必要な物を伝えろ」「医師のICのアポをとれ」「患部の写真を送れ」「麻酔科の受診に同席するから日時を知らせろ」「手術日はいつだか知らせろ」「いい加減にしろ」「何で無理をした」「人に心配を掛けてそんなに面白いか」「後遺症が残ったらどうするんだ」……と、段々文句が増えてきたところで看護師さんが丁度来た。取り敢えず個室の申し込みをして、すぐに移動することが出来た。
どうしよう、昆が怖いよう…とLINEの返事を送ろうと携帯を握り締めていると、個室のドアが乱暴にバーンと開いた。


「ひぇ…っ。し、仕事は…?」

「早退したに決まっているでしょ!」

「そ、そんなことしなくても…」

「はぁ!?」

「あぁ、いえ、何でもないです…」


怖くて昆の顔を見ることが出来ない。絶対に恐ろしい顔をしていることは確実だ。これ以上は怒らせるわけにはいかない…と私が必死に言い訳を考えていると、布団が捲られた。右足に巻かれた包帯の下にはギプスがあって、足が太くなってしまっている。お陰でパジャマのズボンが入らず、この寒い時期に浴衣を着る羽目になった。昆は私の足を見て震えた。


「…これ、痛くないの?」

「歩いていた時は痛かったけど、今は平気」

「だいたい、何で歩いたの?」

「だって駅まで行かないとタクシー拾えないし」

「私に連絡すればいいだけのことでしょ」

「いや、昆は仕事中だし、迷惑かなぁって…」

「お前ねぇ、本当に何なの!?ふざけてるの!?」

「だって折れてるとは思わなかったんだもん!」


だから、そんなに怒らないでよ。ちょっと捻ったかなぁくらいにしか本当に思わなかったんだって。まだ20代なのに転んだくらいで骨を折るなんて思わなかったんだもん。
と、いい言い訳が思いつかなかったから事実を述べると、昆は怖い顔を益々怖くした。凄く怖い。過去に昆と初めて会った時くらい怖い。返答を一つでも間違えたら殺されるかもしれないと思うほどの恐怖をまさか現世でも味わうことになるなんて夢にも思わなかった。もう嫌だ、雑渡さん助けて…


「だいたいなまえはねぇ…痛っ!?」

「えっ、どうしたの?」

「分かんない…誰かに頭を叩かれた」

「へ?誰もいないよ?」

「とにかく…あぁ、もういいや。今更言っても仕方がない」

「そうだよ。もう折れてるんだし」

「お前、本当に反省しているの!?」

「はい!反省しています!」


溜め息を吐く昆は苛々した様子でベッドに腰掛け、不機嫌そうに同意書に目を通し始めた。プレートを入れて骨を固定すると書かれていたらしく、昆は手で顔を辛そうに覆った。私も異物が入れられるとは思っていなかったから驚いて同意書を見ると、確かにプレートだのボルトだのが入れられると書いてあった。何それ、怖い。えっ、一生異物と一緒なの?


「金属なんて入れられて大丈夫なのかな…?」

「は?読んでないの?」

「うん。どうせ読んでも分からないし」

「なのにサインはした、と」

「うん。だって手術は必要だし」

「………」

「あ、あれ…昆?」

「馬鹿!分かりもしない書類にサインなんてするな!」

「ひぃっ!ごめんなさい!」


やっと落ち着いてきてくれていた昆はまた怒った。そして私に馬鹿だ馬鹿だと散々言い残し、荷物を取りに一度家へと帰ってしまった。いや、有り難いんだけど、怖い。怖いよぉ…
どうして新年早々こんなことになってしまったんだろう…と窓から外を見ると、雪が深深と降っていた。きっとまた積もるんだろうなぁ。昆、怒ってたけど、安全運転で家に帰ってくれるかな。苛々して事故でも起こしたらどうしようかと携帯を手に取る。だけど、何と送るのが正解なのか分からない。多分、何を言っても今は昆を怒らせるだけな気がする。
溜め息を吐いてから、意を決して安全運転をお願いする簡素なLINEをした。昆が戻ってきたらまた怒られるんだろうな…と思うと手術より憂鬱になってしまい、また溜め息が出た。


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