雑渡さんと一緒! 213


「この季節、怠ぃよなぁ…」

「あぁ。寒いからね」

「違ぇよ。バレンタインだからだよ」

「バレン…?」

「お前も馬鹿みたく貰えるだろ?貰えるのはいいんだよ。ただなぁ、持ち帰ると照が煩いだろうし…かといって断るのも可哀想というか。お返しも大変だし。はぁー、憂鬱だよなぁ…」

「………」


なに、その行事。いや、知らないわけではない。存在は知っている。私も学生の頃にチョコレートを貰ったことが何度かある。甘いもの自体好きではないし、知りもしない奴から貰ったものなど口にするのも嫌で食べたことはないけど。そしてそれから月日が流れ、チョコレートなど一切貰えなくなった。いや、いいんだ。どうせ貰ったところで口にしないのだから、要らない。だけど、なまえからも貰ったことがないというのは、いかがなものなのだろうか。一昨年は入院していたからいいとして、去年に至っては一緒に過ごしていたのにスルーされている。そして、私に縁がなさ過ぎて思い出しもしなかった。あれ、これはどういうことなのかなぁ。
苛々してきて二本目の煙草に火をつけると、佐茂は当たり前のように私に「お前はどうしている?」と聞いてきた。


「どうせ雑渡なら断る、よなぁ…」

「15年以上貰ったことがないから何とも言えないけど、断るだろうね。どうせ食べないし、捨てることになるのだから」

「貰ったことがない?いやいや、何の冗談だよ」

「そもそも、何で貰えるの?大人なのに」

「いや、義理っつーか…え?マジでお前、貰ってねぇの?」


嘘だろ、と佐茂が驚いたところをみると、どうやら貰えることの方が普通らしい。思い返してみれば、部署でも何人か貰っている奴がいたような気がするなぁ…
そんなことよりも、何故なまえは去年バレンタインデーを無視したかの方がずっと気になる。私が甘いものを一切口にしないからだろうか。いや、それなら別のものを用意してくれてもいいのではないだろうか。唐揚げとか唐揚げとか唐揚げとか。というより、まさかとは思うが他の奴に渡しておきながら私にだけ渡さなかったなんてことはないだろうか。だとすればそれは容認出来ないことだ。なまえならば手作りをしていても何ら不思議ではない。私だけがその味を知らないというのは許せない。甘いもの嫌いだし、食べたくないけど。


「お前、モテるのになぁ」

「モテてると貰えるものなの?」

「まぁ、そうだろ」

「ふーん?そうなんだ」

「あー。俺、初めて雑渡に勝った気がするわ」

「そんなことで優越感に浸られてもね」


馬鹿だな、と思ったし、別に悔しくもない。どちらかといえば、やはり自分は女から人気がないなと思う程度だ。
言い寄られることはあろうとも、女から「好き」などと言われたことは一度たりともない。所詮、私の扱いなど都合がいい時に利用出来ればいいアクセサリーのようなものだ。知っていたから別にいい。もう私にはなまえがいるし。いや、だけど、バレンタインを無視されたということはなまえも私を他の女と同じように都合がいい男程度にしか考えていない………わけないか。だったら私などとは結婚なんてしないだろう。
家に帰り、疑問と不満をぶつけてみれば、なまえは私がモテるからだの、甘いものが嫌いだからだのと言い訳をした。そして、北石には与えていたくせに私にはくれなかった。なまえの作った菓子など食べたこともないのに…これは許せない。
そんなわけで、バレンタインの約束をなまえとした。なまえの作ったものなら例えどんなに不味かろうとも、嫌いなものであろうとも欠片さえ残さずに食べられる自信がある。だけど、じゃあ食べたいのかと問われると少し返答に困らなくもない。いや、だけど、これを期に甘いもの嫌いを克服出来ればと考えていた。そうすればなまえと一緒にケーキを食べることが出来る。一緒に行ける所が増えるし、一緒に楽しむことが増えるから。そう考えて迎えたバレンタイン当日。ほんの少しだけ緊張して帰宅した。ちなみに、やはり誰からもチョコレートなんて貰えなかった。いや、別にいいんだけど。


「ただいま。はい、頂戴」

「え?」

「え…えっ、まさか用意してくれていないの!?」

「何を?」

「チョコレートを!」

「あぁ、あれは本気だったんだ?」

「嘘でしょ!?」

「いいから早く手を洗って着替えてきて。ご飯食べよ?」


酷い…と私が震えていると、脂の乗った鰤の刺身がテーブルに置かれた。それと、味噌汁とご飯、土鍋に入った湯豆腐。湯豆腐からは昆布だしの匂いがして、非常にそそられる。非常に美味しそうな夕飯にほんの少しだけ気分が上がったけど、それでもバレンタインをやはり無視されてしまったという私の無念は晴らせない。
結局、今年も誰からも貰えなかったという敗北感が何となくあった。本当に何となくだけど、佐茂に負けて悔しい。どうせ佐茂は北石からも貰っていることだろう。羨ましくはないけど…いや、羨ましい。いや、あくまでも何となくだけども。


「わぁ、凄く悔しそうな顔」

「…煩いよ」

「はい、塩辛買っておいたから」

「あぁ…えっ、これがなまえにとってのバレンタイン?」

「違うよ。チョコレートはこれ」


手渡された小さな包みを開けると中にはスライスされたオレンジが入っていた。端に少しだけついているチョコレートと、その上にあしらわれている小粒のナッツがいいコントラストになっている。テレビで見たことのある美しい姿から察するに、デパートあたりで購入してきたものなのだろう。
いや、もう手作りでなくていい。貰えたことに価値がある。


「昆は会社でもっといいものを貰えるのに…」

「貰えないって。モテないんだって」

「嘘だぁ。絶対にたくさん貰ってるでしょ」

「誰から」

「だから、会社の女の方から」

「私、本当にびっくりするくらい人気ないから。所詮、私に求めてくるのは身体の関係だけだから。ちょっと引くほど」

「日頃の行いが笑いからかな?」

「煩いよ。悪かったね、佐茂と違って人望がなくて」

「あぁ、佐茂さんは見るからにモテるだろうね」


分かる分かると頷くなまえを見ていて何となく不快だったけど、今はもういい。佐茂がモテるのは事実だし。
なまえは小さな箱を私から取り上げ、冷蔵庫にしまった。


「まずはご飯。気持ち悪くなったら困るから」

「ならないよ」

「はいはい。いいから、食べよう」


鍋から豆腐と野菜類を皿に入れ、なまえが作ってくれた出汁で食べる。どうしてなまえの作る出汁ってこんなに美味しいんだろう。出汁って確か取るのが難しいんじゃなかっただろうか…というか、こんなにも料理上手なのに何でチョコレートは手作りじゃないんだろうと少し恨めしくなった。手作りならもっと嬉しかったのに。
食後、珈琲とチョコレートを持ってきてくれたなまえはテーブルに洗面器を置いた。私が吐くことを前提としている。


「吐かないって。全部食べる」

「うん。口直しあるから」

「いらないって。それより、これ何ていうんだっけ?」

「オランジェット?」

「あぁ。ごめん、聞いたことなかった」

「本物はオレンジだけどね。食べやすいようにいよかんにしてみた。あと、本当は何度もシロップにつけるんだけど、あんまりつけてない。だから、オランジェットとは別物かも」

「そんな、まるで手作りのような言い方…」

「手作りですけど?」


サラッと言ったなまえは綺麗な色のオレンジを一つ手に取って透かしていた。隣から覗くと、光に照らされると透けて見えた。こんなものが作れる?いや、なまえなら作ったとしても何ら不思議ではない。料理上手な子だから。ただ、ここまで綺麗なものを素人が作れるものなのだろうか。一度では無理なのではないだろうか。ということは、まさか何度も試行錯誤をしてくれているのだろうか。
そういう想いも含めての贈り物なのだろうな、と思いながら一つ手に取って口にした。そこまでしてもらって「やはり甘いものは好きではない」という感想はあまりにもなまえに対して失礼だろう。ちゃんと「美味しい」と言わなければ。いや、シロップ漬けではあるが大半は果実だから食べやすそうだし、もしかしたら本当に美味しいかもしれない。そう思いながら口にしたわけだが、やはり口にする時には少し緊張した。もし吐いたらどうしよう。気合いで我慢しなければ…


「はい、珈琲。無理しなくていいよ」

「…あれ?」

「大丈夫?塩辛いる?」

「ねぇ、これ本当にチョコレートなの?」

「端っこはね。ビターチョコレート」

「ふぅん…」

「いいから早く出して。気持ち悪くなっちゃうよ?」

「これさぁ…」

「うん」

「美味しい。えっ、本当に美味しい」

「またまた」

「本当だよ。え、嘘でしょ!?」

「何が嘘なの?」

「チョコレートがこんなに美味しいはずはない」

「それ、チョコレートと私に失礼だよ」

「あ。ごめん」


二つ目を口にしたいと思うほど美味しい。気を遣っているとか、お世辞を言っているというわけではなく、本当に美味しい。食べやすい、ではなく美味しい。確かに甘いには甘い。だけど、チョコレート特有の口の中でベタっとする感じがない。後味が柑橘の香りで、後を引く。


「えっ、こっちの方面でも店を出したいの!?」

「出したくないってば」

「これ、本当はデパートで買ったとかではなく?」

「しつこい。甘いものが好きじゃない昆が食べやすいものを試行錯誤したの。昆のためじゃなかったら、そんなことはしないから。私はね、昆が喜んでくれるのなら頑張れるけど、他の人のためには頑張れないの。だから、店は出せないよ」

「えっ、何それ。可愛い…」

「馬鹿にしてる?」

「いや、本当に可愛い。うわ、これがバレンタイン…」


人生初のバレンタインらしいバレンタインを過ごすことが出来、心底思い知った。恋人たちのイベントと言われている理由を。これは滅茶苦茶いいイベントだ。本当にときめいた。
こんなにもいいイベントならば去年も体験しておきたかったし、来年以降も絶対に無視出来ない。だからなまえに来年も楽しみにしている、と私は言った。別に気負わせたかったわけではない。このイベントを迎えられたことがあまりにも嬉しかったと伝えたかった。ただそれだけのことだ。だけど、実は翌年からなまえは私が食べやすいチョコレート探すのに四苦八苦したそうだ。それを私が知ることが出来るのは、何十年も先の話となることをこの時は知る由もなかった。


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