雑渡さんと一緒! 224
「ほら、早く書いて」
「う、う…っ」
「時間が勿体無い。早くして」
離婚届なんて二度と書きたくなかったのに。だから捨てるのは嫌だと言ったのに。おまけに、こんなカフェで書かせるなんて酷い。周りからは哀れみの目で見られている。
昆は私が泣きながら離婚届を書いていると、こっそりと「演技がうまいね。劇団にでも入っていた?」なんて馬鹿なことを言った。私がどんな思いでこれを書いていると思っているのよ、と思わず蹴る。まさか人生で二度も離婚届を書くことになるとは思ってもみなかった。それも同じ人との結婚で。
「あぁ。じゃあ、出しておくから」
「………」
「元気でね」
先にカフェから出て行った昆の背中を見送って、鼻をかむ。こんなにも悲しい想いをまたしなければいけなくなるなんて辛い。結婚指輪はもう外せと言われていて、悲しくて悲しくて堪らなかった。しくしくと泣きながら実家に帰る。
玄関で目を擦ってから家に入ると、リビングで煙草を吸っている冷徹な人が目に入った。私の顔を見るなり、両手を広げてきたから思わず頭を叩いてやる。誰のせいでこんなにも泣いていると思っているのよ、馬鹿。頭を叩かれた本人は不本意なんだけどといった顔をしたけど、そんなこと知らない。
「私だってこんな物書かせたくないよ」
「当たり前でしょ!?」
「まぁまぁ。声が大きいよ。表に二人いる」
「えっ」
「いやぁ、見張られてるねぇ。暇なんだろうね」
「何を呑気な…」
「離婚前の挨拶に来たってことで多少は長居してもいいよ」
やれやれ、と煙草を灰皿に押し付けて、昆は私を抱き締めてきた。大丈夫、ちゃんと好きだよと言って。
珈琲を淹れていたお父さんが溜め息を吐いた。これはどういう茶番なんだ、と。そう、茶番だ。私と昆は別に離婚するわけではない。それでも、外では離婚したフリはしなければならない。結婚指輪は外さなければいけないし、外では昆のことは何一つ話すことが出来なくなった。もちろん一緒に生活は出来ない。私は実家で、昆は家で生活をする。電話は出来るけど、今日を持ってこうして直接会うことはもう難しくなってしまう。それも、無期限に。寂しいから嫌だと私は言ったけど、昆は決して意思を変えようとはしなかった。学校もあるから直接的に私を四六時中護ることは不可能だから、離れた方が私の安全が確保出来るという結論に達したよう。
「それで?これからどうするんだ?」
「ドクタケを潰すよ。社運を賭けて」
「言うのは簡単だが、策はあるのか?」
「向こうはなまえを殺すことで私の戦意を欠こうとした。何なら私を自殺に追い込もうと考えていた可能性がある。つまり、私がいては相手は困るということだ。それを利用する」
「どういうこと?」
「私の戦意をただ欠きたいのならば離婚するだけで十分だ。私はなまえと別れて戦意喪失し、使い物にならなくなった…というフリをする。後は相手が仕掛けてくるのを待つだけだ」
もちろん水面下では前もって動くけどね、と昆は言いながら珈琲を啜った。そして、私の方をチラリと見た。熱のこもった目で。えっ、待って。おかしいよ、ここは実家だよ?
バシッと昆を叩く。何を考えているのよ、いくらしばらく会えなくなるからって。私が昆を拒むと、昆はムッとしたような顔をして迫って来た。いや、だからここは実家なの。おまけに、目の前にはお父さんがいる。親の前で、ましてやお父さんの前でラブシーンなんて流石に気まずいというか憚られる。お父さんだって居た堪れないでしょ、という目線を送ると、お父さんは深い溜め息を吐いてから二階を指差した。
「流石お義父様。分かってるね」
「お前、時間を考えろよ」
「そうだねぇ。名残惜しいけど早めに済ますよ」
「えっ、待って。ねぇ、待って」
「はい、部屋に案内して」
ほらほら、と促されるがままに自分の部屋に昆を連れていかされた。ほんの少し前まで私が暮らしていた部屋。だけど、もうどこか懐かしい部屋。まるで他人の部屋のよう。
これからしばらくはこの部屋で生活しなければいけないのかと思うと憂鬱で溜め息が出た。せめて一人暮らしさせてもらいたかった。だけど、きっと実家にいた方がより安全だろう。早くこんなよく分からない事件が解決すればいいのに、と思いながら昆を見ると、まじまじと昆は部屋を見ていた。
「ここでなまえは育ったんだね」
「んー…」
「そう。愛されていたんだね…」
この部屋のどこからそう読み取ったのかは分からない。だけど、昆はとても辛そうな顔をした。どうしたの、と頬に手を伸ばすと、手を重ねてきてくれ、切なそうに言った。
「こんなことに巻き込んでごめんね」
「別に昆が謝ることじゃ…」
「本当は予測すべきことだったんだ。うちを恨んでいる奴や狙っている奴がなまえに手を出す可能性があるって。だけど私はなまえを護りきることが出来なかった。私の落ち度だ」
「…そんなことないよ」
「ごめん。だけど、必ずなまえは私が護る。だから迎えに来るまで私を信じて待っていて欲しい。必ず迎えに来るから」
ぎゅうっと抱き締められ、最後の別れを惜しむように何度もキスをした。そして、ベッドでもたくさんキスをして、服を着る昆を裸のままぼんやりと眺める。
私が見つめていることに気付いた昆は私に優しいキスをしてから部屋から出て行った。一人部屋に残された私は寂しくなって泣きそうだった。玄関が開く音が聞こえ、出て行く昆を毛布にくるまりながら窓から眺める。昆は決して振り返ったりはしなかった。それは昆の固い意思と決意の現れだった。
神様、どうかあの人を護って下さい。どうか無事でいて。そんな風に祈ることしか出来ない私は今も昔も足手まといにしかなれないのかと無力さを感じ、情けなくてまた涙が出た。
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