雑渡さんと一緒! 225
離婚届を持って市役所へと赴く。こんな馬鹿正直に書くなんて酷い。受理されない程度にふざけて欲しかったんだけど。
あえて不備があるように記入した離婚届を提出すると、役所の人間は受理出来ないと言った。そうだろうね、だって私は本名を書いていないし、住所もデタラメなのだから。
それでも、こうして離婚届を提出する意思があると知らしめるのはいいパフォーマンスになることだろう。後は私が病んだフリをするだけだ。いや、多分フリではなく病むと思う。間違いなくあまり寝れなくなるし、食事も今ほどは食べられなくなることだろう。バランスのいい食事なんて望まないから身体を壊すことは目に見えていた。だけど、心だけは保っていられる。ちゃんとなまえと想いが通じ合っていると分かっているから。なまえが無事ならそれで今は及第点だろう。
社に戻ってから部下に指示を出す。ドクタケ社の株を有している会社を片っ端から買収する。利益なんて度外視しても構わないと社長からは言われている。そんなことよりもドクタケ社を潰す方が大切だ、と。社長も恨んでいるんだろうなぁ、ドクタケを。それはそうか。因縁の相手なのだから。
恐らく近いうちになまえを階段から落とした奴は送検されることだろう。それを皮切りにこちらから一気に攻め落とす。
「はぁ…」
「大丈夫ですか?」
「全然…」
「なまえさんにお会い出来ない心中、お察し致します」
「いや、それでも離れてよかったよ…」
念の為に家に何か細工をされていないか調べたら、まぁ出るわ出るわ。こんなにも盗聴器を仕掛けてどうしようというのだろうかと思うほど出て来た。恐らくはグアムに行っていた時に仕掛けられたのだろうけど、そんなにも人の生活音を聞きたいかねぇ。それでも、なまえの喘ぎ声をばっちり聞かれてしまったのかと思うと殺意が湧いた。盗聴で済んでいたからいいものを、これで隠しカメラなんて仕掛けられていたら間違いなくブチ殺していた。なまえの裸は私だけのものだ。
家に帰ると、クロが駆け寄って来た。お前もなまえがいなくて寂しいだろう。ごめんね、だけど暫くは我慢してね。私だって寂しいんだから。本当は今すぐにでも会いたいよ。
そして、月日は進展のないままあっという間に過ぎた。
弁当を食べてから地図を広げる。どの会社がどれだけドクタケの株を所持しているのかは手探り状態だった。長烈に調べさせてはいるが、思うようには進まない。向こうにも知恵のある奴がいるのだろう。うまいこと株を分散させている。
ガシガシと頭を掻いていると、電話が鳴った。早く声が聞きたくてワンコールで出る。声が聞こえると、愛しさのあまり携帯に頬擦りをしたくなった。そのくらい私は飢えている。
「そっちは大丈夫?」
「うん。昆は?」
「平気」
「ちゃんと食べてる?」
「うん」
「野菜も摂ってね?」
「うん」
「ねぇ、昆」
「うん?」
「早く会いたい…」
「うん…」
そんな切なそうな声を出さないでよ。私だって会いたいんだから。もう理性がグラグラと揺れるのを感じるよ。
もうすぐなまえと離れて二ヶ月が経とうとしている。時々送られてくる写真と、毎日している電話では限界が来そうだった。なまえはまた髪を伸ばしている。卒業式と結婚式に向けてだとか。朝起きてからなまえの写真を見て、出社前に見て、昼に見て、帰る前に見て、帰ってから見て、寝る前に見て…そんな生活は寂しさのあまり気が狂いそうだった。この手になまえを抱きたい。あの柔らかな髪に触れ、白い肌を味わいたい。優しく笑い掛けてきてくれ、名前を呼んで欲しい。だけど、その願いはいつになったら叶うのか検討もつかなかった。終わりの見えない戦いに辟易しているのは私だけではない。部下もなまえも疲れている。周りの人々に私は無理を強いているのだ。私が音をあげるわけにはいかない。
「あ、そうだ。クロに首輪を貰ったの」
「首輪?」
「うん。鈴がついていて可愛いやつ」
「ふーん。誰から?」
「前に山菜をくれた子から」
「あぁ。学校が違う子ね」
「うん。早くクロに渡したいなぁ」
「クロはね、大きくなったよ」
「えー。いいなぁ、会いたい」
「そうだね。クロもなまえに会いたそうだよ」
なまえの服の上でよく丸まって寝ているから。クロにも寂しい想いをさせて本当に申し訳ない。だけど、家にクロがいてくれてよかった。どちらかが眠るまで毎晩電話をしてはいるけど、大概なまえの方が先に寝てしまう。なまえの温もりが恋しくて泣きそうな時はいつもクロが慰めてくれた。一緒にベッドで寝てくれた。まるで人間のように。
この日も寝るまで通話をして、いつものように朝はなまえに電話で起こしてもらう。梅雨だから仕方がないとはいえ、天気が悪そうだ。折角の休日だというのに特に予定もなく、一人で過ごすなんて本当に辛い。だけど、雨が降るかもしれないから出掛ける気にもなれず、コンビニまで食料を調達しに出向いた。路地に紫陽花が咲いている。赤い紫陽花の下には死体が埋まっているんだっけ。いや、それは桜か?まぁ、何にしても、赤と紫のコントラストが美しいと思った。
ふと前を見ると、会いたくて会いたくて堪らなかった子がいた。なまえもまさか私と会うなんて思ってもみなかったのだろう。とても驚いた顔をしていた。手を伸ばせば届く所になまえがいる。だけど、接触してはいけない。しつこいことに私はまだ見張られている。だから言葉を交わすことさえ叶わない。目の前にいるというのに触れることが出来ない。
なまえは今にも泣きそうな顔をしていた。そんな切なそうな顔をしないで欲しい。あの物陰に隠れている奴を殴り倒してでもなまえを抱き締めたくなってしまう。だけど、そんなことをしたらこれまでの努力が無駄となる。だから私は無言ですれ違った。すれ違い様にポツリと小声で「大好き」と呟かれた。それを聞いて、胸から血が出たのではないかと思うほど息苦しくなった。だけど、振り向いてはいけない。こんな切なさなんて、なまえを失う恐怖から比べれば大したものではない。だから泣くな。ちゃんと前を向け。
ポツポツと雨が降ってきた。降りそうだと思っていたけどやっぱり降ったか。あぁ、傘を持って来なくてよかった。とめどなく流れる涙を雨が誤魔化してくれたのだから。
[*前] | [次#]
雑渡さんと一緒!一覧 | 3103へもどる