雑渡さんと一緒! 228
「…これ、本当に経費で落としていいんですか?」
「いいよ。全然いい」
「ありがとうございます」
「ほら、今は社運を賭けた戦い中だからね」
「勝てます…よね?」
「勝てるさ、雑渡がいるんだから」
とんでもない金額の領収書を佐茂さんに渡すべきだとヨルに言われて手渡してみると、佐茂さんはあっさりと受け取ってくれた。100人分の食事なんて作ったことがないからお米を炊くのも一苦労だったし、買い物に至っては何往復したか分からない。多分、スーパーの店員さんに顔を覚えられた。
休みの日にきぃちゃんに連絡を取ってから佐茂さんに会いに来たけど、きぃちゃんはいなかった。理由は分かっている。
「きぃちゃん、大変そうですか?」
「まぁねぇ。今が佳境だから」
「きぃちゃんなら大丈夫ですよ」
「俺もそう思う」
就活の最中真っ只中のきぃちゃんはとても忙しそうだけど、どうにか決まりそうだと言っていた。早く無事に決まればいいのに、なんて言ったら怒られるだろうけど。高みの見物かよって。そんなつもりは微塵もないんだけどなぁ。
きぃちゃんは就職しないと私は思っていた。佐茂さんと結婚して、私みたく専業主婦になるものだと思っていたけど、きぃちゃんはバリバリ仕事がしたいそう。ちなみに、佐茂さんと結婚の話はまだ出ていないとかで、これもセンシティブな話だと口にしたらかなり怒られた。好きな人がいて、その人とずっと一緒にいたいと願っているのはきっとみんな同じ。その形がそれぞれ違うだけ。だから私が今置かれている状況も特殊ではあるけど、昆なりの愛情の結果だ。信じて待っていて欲しいと言われたのに勝手にご飯を作ってしまって怒られないかと心配だったけど、昨日とても嬉しそうに連絡してきてくれた。そして、勝負に出ることにすると言った。その勝負というのが何を指しているのかは分からない。分からないけど、うまくいけばいい。そして、早く解決して欲しい。
それから一ヶ月後、私を襲った人が逮捕されたとニュースで流れた。ようやく逮捕かぁ…と思っていると、それからすぐにタソガレドキ社がナルト社を買収したことが全国ニュースで流れた。正直、ナルト社というのはよく分からない。工場をたくさん持っている会社のようだけど、一般にはあまり流通していないような商品を作っている会社のようだった。だけど、タソガレドキ社がナルト社を買収したことで、ドクタケ社の株を一番保有している会社ということになるそうだ。それは事実上、ドクタケ社を買収することと変わらないそう。ニュースを見ていても難しいことはよく分からない。分からないけど、事態が大きく動こうとしているのは分かった。何にしても早く終わって欲しい。これで終わりにして欲しい。
そんなことをニュースを見ながら自分の部屋で考えていると窓ガラスが割れる音がリビングからした。一体何事かと思い階段を降りると顔を誰かに殴られた。倒れ込む私を引きずり、車に無理矢理乗らさせる。何が起きたのかよく分からないまま大きなビルへと連れていかれた。件のドクタケ社だ。
「な、なに…っ!?」
「いいから早く歩け!八宝斎様がお待ちだ」
「八宝斎!?」
名前くらいなら聞いたことがある。頭が大きくて、ドクタケ忍者隊の首領で、いつも詰めが甘くて失敗していた人。そんな人が私に何の用があるというのだろうか。
男の人に腕を掴まれて大きな部屋に案内されたかと思えば、後ろから髪をハサミで切られた。パラパラと床に落ちた髪を眺めながら何が起きたのかと呆然とする。何が落ちているのかさっぱり分からない。そして、何が目的なのかも分からなかった。ただ一つ分かること。それは私を利用して昆をどうにかしようとしているということ、ただそれだけだった。
「な、なに…何をする気なの!?」
「雑渡はタソガレドキの全権を持っているといっても過言ではない。その雑渡を潰すことが出来たと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。雑渡を完膚なきまでに潰すためにお前を利用させて貰うことにしたのだよ、お嬢さん」
「あの人を呼び出す気な…っ」
また顔を殴られた。鼻からパタパタと血が垂れる。こんなにも簡単に殴ってくることってあるのだろうか。怖い。私はこの場で殺されてしまうのかもしれない。最後に昆に会うことさえも許されず、この場で死んでしまうのだろうか。そんなの嫌だ。私はあの人よりも長生きしないといけない。そうでなければ彼はまた自ら死んでしまうかもしれないから。
八宝斎は部下と思われる人にタソガレドキ社に私の髪を入れたダンボールを届けるよう指示を出した。昆をおびき寄せるつもりなのかもしれない。そんなこと、絶対にさせない。
必死に暴れて抵抗すると、また殴られた。顔が痛い。お腹が痛い。苦しいし、悔しい。また私はあの人の足手纏いになってしまう。また私は何もすることが出来ず、あの人に護られてばかりいることになってしまう。ずっとずっと私は昆を護りたいと思っていた。迷惑をかけたくないと、ずっとそう思っていた。なのに、私はいつも昆に迷惑をかけてしまう。いつも護られてしまう。本当は私だって昆を護りたいのに。
「とんだじゃじゃ馬だな。これのどこに惹かれたんだか」
「あの人に手を出したら許さないんだから!」
「雑渡に手を出したらどうすると言うのかね、お嬢さん」
「ひ…っ」
「こういう時は泣き叫んだ方が可愛らしいと思うが?」
「私はね、そんな可愛い女じゃないの!残念でしたね!」
怯んだりなんかしない。泣いたりなんかしない。私は昆の奥さんだ。彼と幸せになると、そう決めた。どうにか逃げ出さないといけない。昆に迷惑はかけたくない。
そんなことを考えていると、会議室のドアが開いた。そこには昆だけではなく、山本さんや押都さん、諸泉さんや高坂さん…本当に多くの昆の部下の方がいた。昆は私の顔を見てとても苦しそうな顔をした。そんなにも酷い顔をしているのだろうか。もう鼻血は止まったはず…だけど、もし止まっていなかったら少し恥ずかしい。そんなどうでもいいことを考えてしまう。これでも一応は乙女心というものが備わっている。久しぶりに会うのなら本当はちゃんとお化粧をして、髪もちゃんと纏めて、可愛い服を着たかったなぁ…と本当にどうでもいいことを考えていると、昆は恐ろしいほど低い声を出した。
「私の妻が随分と世話になったようだね」
「あぁ、やはりそうか…離婚などしていなかったのだな!?」
「まぁね。随分と気付くのが遅かったね」
「まだだ。まだ終わっていない!」
「いや、もう終わりだよ。下を見てごらん?警察が山のようにいる。我々が先陣を切っているだけで、お前たちは全員捉えられることとなるだろう。残念だが今回は我々の勝ちだ」
「いいや…この女がいる」
「ひ…っ」
嘘でしょ、と思った。今時、日本刀なんて何であるのよ。刀を向けられて首筋に当てられ、冷たい刀を感じた瞬間、じわりと身体が疼いた。懐かしい感覚になる。こんな時、私はいつもどうしていたんだったっけ。こんな時、私は、私は…
「なまえ!」
「大人しくしろ!この女がどうなってもいいのか!?」
「…あなた、まだ分からないんですか?」
「な…!?」
「私はね、元くノ一なんですよ!?」
相手の腕を掴みながら身体を反らせて刀を敵に向ける。私はこれでも元くノ一だ。使えないくノ一だったし、別に大した名を残したわけでもない。逆にいえばこんなピンチの切り抜け方くらい知っている。何度も経験してきている。
私が反抗してくるとは思ってもみなかったのだろう。ドクタケの人はあっさりと刀で斬られた。大した傷ではないけど、血が床に滴り落ちるのを見て、思わずギョッとしてしまう。
「ぎゃあ!斬っちゃった」
「…やれ、かかるぞ!」
「はい!」
「正当防衛だ、こらぁ!」
「よくも奥方様に!」
「ぶちのめすぞ、てめぇ!」
「ひ、ひぇ…っ」
昆の掛け声と共にゾロゾロと入っていた黒いスーツの集団はサングラスをかけたサラリーマンを引っ叩いていた。あまりの地獄絵図に思わず引いていると、誰かに手を掴まれて、抱き締められた。
折角伸ばしていた髪を無惨にも切られてしまい、ガタガタになってしまった。それを惜しむように優しく撫でられる。
「…ごめんね。遅くなった」
「昆…昆…っ」
「なまえがこんなにも強いとは知らなかった」
「あら。私はこれでも元くノ一なのよ?」
「身体でしか仕事を全う出来ないくノ一、ね」
「う…そ、そういう意味では昆を落とせたもん!」
「そうだねぇ…まぁ、否定はしないよ」
ぎゅうっと抱き締められた後、そっと頬を撫でられてキスされた。周りでは乱闘騒ぎになっているし、ドアの外には警察がいるのが見えた。この状況でこんなことをしている場合では絶対にないことは間違いなかったけど、それでも私は昆に抱き付いた。もう二度と離したくない、と言わんばかりに。
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