雑渡さんと一緒! 230
「ねぇ、昆!こーーーん!」
「ん…」
「起きてよ!何時だと思っているの!?」
「んー…あと5…」
「せめて最後まで言ってよ!?」
どんなに起こしてもすやすやと眠る昆をもう放っておくことにした。多分、相当疲れているのだろうし、この汚い家を片付けないわけにもいかないから。
うんざりとしながら部屋の掃除をして水回りを掃除して、洗濯機とかベランダの掃除をして…どうやったらこんなにも家を汚すことが出来るのだろうと不思議に思いながら冷蔵庫を開くと、冷蔵庫だけは信じられないくらい綺麗なままだった。それはつまり昆が一切冷蔵庫を使っていなかったということであり、それはそれでげんなりとしてしまった。
外には一人で出ないこと、と昨日昆に言われたし、私もこんな痣のある顔をして外に出るのは嫌だったからネットスーパーなるものを使ってみた。割り高ではあるものの、これはなかなか便利かもしれない。この暑い中外に出ることなく買い物が出来るなんて素晴らしいことなのではないだろうか。スーパーでは難しかった重いものだって気軽に購入出来る。
家にあったお米を洗って炊く。もう古いからこれはおにぎりにしよう。もしくは炒飯でもいい。そういえば卵とか牛乳ってどうなっているんだろう…と賞味期限を見ると、案の定4月のままだった。ゾッとして慌ててゴミ袋に入れる。まさか…と冷蔵庫の中を一つ一つ出すと、本当に私が家を出た時のままだった。つまり、大半が腐っている。ひぇー…と声を出しながら片付けていると、あっという間に夕方になった。まだ昆は起きてこない。どれだけ寝ているのよ、と思っていると、チャイムが鳴った。昼にネットで頼んだ食材が届いたのだ。
わーい、と玄関の鍵を開けようとすると、後ろからバン、とドアに手をつかれた。驚いて後ろを見ると、昆がいた。
「不用意に開けるんじゃない」
「大丈夫。ネットスーパーだと思う」
「だったら私が出る」
「全裸で?」
「…駄目かな?」
「駄目だと思う」
チッ…と舌打ちした昆が寝室に戻っていったのを見届けてから玄関を開けて荷物を受け取る。お米も調味料も野菜もお肉もお魚もドッサリと買わせてもらった。これは腕が鳴るというものだ。何から作ろうかな。
わくわくとリビングに食材を運んでいると、服を着た昆がリビングに出てきた。そして、食材を見るなり怒鳴ってきた。
「出るなと言ったでしょ!?」
「大丈夫だよ」
「攫われておきながら何が大丈夫だ!」
「もう解決したじゃない」
「そういう問題じゃない!もっと危機感を…」
「はい、あーん」
かぷっと昆の口に洗ったばかりのミニトマトを入れる。吐き出さずにもぐもぐと大人しくミニトマトを噛んだ昆は嫌そうな顔をした。もう生野菜も克服したはずなのに、やっぱりドレッシングがないと駄目なようだ。ゲェッとえづいていた。
「甘くて美味しくない?」
「青臭い…」
「今日はね、昆の好きな物を作ってあげる」
「そんなことで私の機嫌取りをしようったって、そうはいかないからね?いい?なまえはもっと危機感を持って生活を…」
「あ。唐揚げでいい?」
「うん…じゃなくて!」
「茄子も食べる?」
「オクラも一緒に揚げてね。で、かつお節」
「はーい」
「じゃなくて!ねぇ、聞いてる!?」
「聞いてるよ。あ、お米運んでね」
ぶちぶちと文句を言う昆をはいはいと嗜めていると、もう無駄だと思ったのだろう。昆は溜め息をついてから煙草を吸った。そして、見違えるほどに綺麗になった部屋を見渡してから、首を傾げた。まさかこの部屋が綺麗になったことに違和感を感じているのだろうか。だとすれば、それは怒らせて貰いたい。どれだけ掃除に時間を割いたと思っているのだ。
テーブルにトン、とご飯を並べていく。一つ、また一つと置いていくと昆は手で揚げたばかりのじゃがいもを口にした。揚げたてで熱いんだから箸くらい取りに来ればいいのに。
「なに、これ。美味しいね」
「北あかりがあったから」
「?」
「凄いよね、8月なのに」
「分かるように言ってよ」
「美味しかった?」
「うん」
「じゃあ、来月が旬だから箱で買うね」
じゃがいもの品種なんて分からないのであろう昆は首を傾げたけど、別に分からなくていい。私が作って出した物を美味しいと言ってくれればそれでいい。昆の胃袋は私がガッツリと握っているのだ。安心して太ってもらいたい。
醤油ベースと塩ベースの唐揚げを交互に積み上げた皿をテーブルに置くと、ごくりと昆は息を飲んだ。本当はクリスマスにお披露目したかったけど、昆と離れていた時にテレビでローストビーフの作り方をやっていたからそっちを作ることにした。つまり、これはちょっと豪華な普段の食事だ。存分に食べてもらいたい。ネギと豆腐のお味噌汁を置いて私も座ると、昆は首を傾げた。昆の言いたいことは分かっている。
「ご飯は、って思っているでしょ」
「うん」
「ご飯はなし」
「えっ」
「だってお米、古かったもん」
「さっき買っていなかった?」
「買ったけど、今日は古いお米を炊いたから」
「あ、そう。で、米は?」
「お米は〆のお茶漬け」
「えー…」
不満そうな顔をしている昆の前に隠し持っていたお酒の缶を置く。私はチューハイ、昆はビール。折角、ひと段落着いたんだから乾杯くらいはしたい。
プシッとピンクの缶を開けてから昆の前に差し出すと、昆もビールの缶を開けた。グラスに注いだりなんてしない。昆は缶のまま飲む方が好きだと言っていたから、これがうちのスタイルだ。そっと缶をぶつけ合って乾杯してから甘くてジュースのように飲みやすいチューハイを飲むと、昆が止めた。
「だから、その飲み方は駄目だって」
「私はもう昆の前でしか飲まないって決めた」
「ほぉ?」
「だから、いいの」
「いや、よくはないけど…何かしでかしたね?」
「…えへ」
ちょっとヨルと…と言うと、昆は嫌そうな声を出した。別に私だってあんなことするつもりはなかった。ヨルとお酒を飲んでいるうちに昆に会いたくなってきて、しくしくと泣いていたら抱き締められ、よしよしと頭を撫でられながら一緒に寝た。ヨルは女の子なんだしセーフだよね、と私が言うと、昆は痩せた顔に血管を浮かせた。
まぁまぁ、と宥めながらお酒をどうぞどうぞとお勧めする。
「なまえはね、本当に危機感がない!」
「そうかなぁ」
「あれは男だ。切っていようとも元は男なんだよ!」
「戸籍は女の子だよ?」
「そんなこと関係ない!」
「あ、二杯目飲む?」
「飲む!」
「ヨルってね、可愛いよねぇ」
「どこが!」
お酒が私も回ってきて、楽しくなってきた。にへにへと私が笑うと、昆も私が酔っていることに気付いたのだろう。溜め息を吐いた。だけど、私はまだ酔っていない。頭だってこんなにもクリアな状態だ。今なら車だって運転出来そう。
サクッと音を立てながら唐揚げを食べる。塩ベースはイマイチだったかもしれないなぁ。今度は塩麹に漬けてみよう。
「ヨルとも話したんだけどさ、私も免許が欲しい」
「何の?」
「車の。買い物が楽になるし」
「駄目。絶対に駄目」
「何で?あ、お金がかかるから?」
「違う。危ないから」
「平気だよー」
「いいや、なまえは絶対に事故る」
「失礼」
「失礼なものか。これは事実だから」
そう断言する昆にブロッコリーの天ぷらをお勧めする。ブロッコリーって天ぷらにしても美味しいんだから。
私も二本目のチューハイに手を伸ばすと昆の手によって止められてしまった。まだ全然酔っていないのに。ぜーんぜん私はいつも通りだし、ぜーんぜん平気なのに酷い。何なら朝からずっと家の掃除をしていて疲れているし、少しくらい労ってくれてもいいのではないだろうか。そうだ。離れていて寂しかったんだから、少しくらい大胆な私を受け入れて貰うというのもいいかもしれない。そんな想いから昆の隣に座ってみる。怪訝な目を向けてきた昆の腕にすりすりと頭を擦り付ける。あぁ、この感じ、久しぶりだなぁ。堪らなく幸せだ。
「面倒くさ…」
「ひどーい」
「絶対に外ではもう飲まないでよ?」
「んー…」
「離して。まだ食べたい」
「あ。お茶漬けの用意をするね」
「いいから座っていなさい。お茶を持って来てあげるから」
「わぁい」
冷蔵庫にあらかじめ仕込んでおいた麦茶を持って来て貰い、ごくごくと飲む。やっぱり私はお酒よりもお茶の方が好きかもしれない。その後、お味噌汁を飲むと、異様なまでに美味しかった。今日のお味噌汁は上手く作れたようだ。いや、それともお酒を飲んでいるからだろうか。とにかく、とても美味しく感じた。
昆や佐茂さんは私のご飯を店が出せるレベルだとお世辞を言ってくれる。だけど、私はそうは思わない。別にどこにでもある普通の味だ。お母さんが作ってくれていたご飯の方がずっと美味しいし、外で食べるご飯の方がもちろん美味しい。だけど、昆は私の作るご飯の方が美味しいと言ってくれる。それは私に気を使ってくれているのかもしれない。だけど、とても嬉しい。好きな人が喜んでくれることが出来ることがとても私は嬉しかった。私が出来ることは多くはない。私は運転も出来ないし、簡単にドクタケに捕まるような駄目な人間だ。いつもいつも昆に迷惑をかけてしまう。
ポタポタと私が涙を流すと、昆はギョッとした後、心底面倒くさそうな顔をしてから指先で優しく涙を拭ってくれた。
「びっくりするくらい酔っているね」
「…面倒くさい?」
「うん。とても」
「嫌いになっちゃうくらい?」
じっと昆の目を見る。捨てないでよ、と昆に抱き付く。今の私の見た目はマイナス評価しかされない、悲惨なものだろう。鏡で見て驚いたし、自分でも気味が悪いと思った。
昔も私は里で殴られてボロボロになった姿で昆に会いに行ったことがあった。私を見るなりギョッとした後、優しく顔を拭ってくれたことが懐かしい。あの時は私のことを受け入れてくれた。だから、というわけではないけど、今の私のことも受け入れて欲しい。そりゃあ元が特別可愛かったわけではないから痣が治っても元の私にしかなれないし、身体なんてずっと貧相なままだし。だけど、私のことを愛して欲しい。そんな自虐と願いを言うと、昆は重苦しい溜め息を吐いた。
「…ごめんね。護ってあげられなくて」
「…そんなことないよ」
「今も昔も、私はなまえを護れなかった」
「そんなことないって」
「私はいつも口だけだ」
「しつこい。それにね、私は可愛いヒロインじゃない」
「うん?」
「昆に護られるだけじゃ満足出来ないの。私だって昆を護りたい。私は昆が怪我をしなくてよかったと思っているの。だから、こんな私の怪我くらい全然大したことないんだよ?」
ただし、昆が受け入れてくれた場合のみね。こんなお化け屋敷に出て来そうな顔をした女となんて並んで歩けるか、とか言われたらどうしよう。紙袋でも被って歩こうかな。いや、それはそれで駄目だな。何か捕まりそう。
昆は食卓から立ち上がって棚から箱を持って戻って来た。埃だらけの家だったのに、その箱だけは綺麗なままで、離れていた時に何度も何度も手にしてくれていたのだと分かる。
「健やかなる時も病める時も、だっけ?」
「何かそんなのだった気がする」
「なまえがどんな姿になろうとも、私の愛は変わらないよ」
「…私も変わらない愛を昆に誓う。ねぇ、寂しかった…」
「ん。私も寂しかった。会いたかったよ…」
互いに結婚指輪を挿れて、誓いのキスをして。それから、ぎゅっと抱き締め合いながら数え切れないほどのキスをした。
食後にベッドで過ごして、起きたばかりの昆は全然眠くないと言ったから二人でリビングに戻り、テレビを見てだらだらと過ごした。まだ切り揃えていない不恰好な髪を昆は撫でてくれ、その優しい手つきが心地よくて私は先に寝てしまう。
明日からもやることがたくさんある。警察に行かないといけないし、お父さんにも謝らないといけないし、もちろん美容院にも行きたいし。多くの人に迷惑をかけて、たくさん支えてもらったのだ。こんな顔だけど謝りに行かないといけない。色んな人にきっと驚かれるし、少しだけ嫌な思いもするかもしれない。だけど、隣に昆がいてくれるのなら私は平気だ。どんな私でも受け入れてくれる素敵な人が側にいてくれるから、私はこれからも強くなり続けられる。そう思った。
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