雑渡さんと一緒! 233
「ねぇ、昆…もうイかせて?」
「可愛い、なまえ…」
「あっ…昆…っ」
「好きだよ、なまえ」
ぱちっと目を開けると無機質な蛍光管が並んでいるのが見えた。あぁ、そうか…会社に泊まっているんだっけね。
神聖…とまでは思っていないけど、会社でこんないやらしい夢を見るほどまでに飢えているとは。思春期じゃあるまいし、こんな夢なんて見てしまうとは情けない。で、コレはどうしたもんだかねぇ…と溜め息を吐く。会社で抜くのは流石に憚られる。早く家に帰りたい。早くなまえを抱きたいし、家でゆっくりなまえと過ごしたい。もういい加減にして欲しい。
顔を洗ってからパソコンを睨む。世間はお盆休みだというのに我々は泊まり込みで事務処理をしている。それでも、お盆前に朝から晩まで取り引き先を外回りをしたことから考えればずっと楽だ。少なくともオフィスは涼しいのだから。
屋上に出て朝日が登るのを見ながらなまえに電話をかける。なまえには何時でも連絡して別に構わないと言われていた。
「おはよ。寝てた?」
「んー…早いね」
「ちょっと、いやらしい夢を見てね」
「…いやらしい?」
「可愛かったよ、感じているなまえ」
「は…はぁ!?何て夢を見ているのよ!?」
「だって、もうずっと我慢してるんだよ?仕方なくない?」
「夢でまで変なことしないで!」
「変とは何だ。好きなくせに」
「もう!朝から卑猥なことを言うなら切るよ!?」
「待って。もう少し声を聞かせて」
足を組みながら缶珈琲を開ける。ゆっくりと朝日に照らされていく街を見ながら過ごすというのもオツなものだろう。出来れば二度とやりたくないけど。朝は寝ていたい。
頑張ればどうにか今日中には帰れそうだよ、と私が言うと、なまえは夕飯はどうしようかと言った。この場合の夕飯というのは私に与えるだけのものを指しているわけではなく、部下の分まで含んでいる。なまえの作る食事は非常に好評だった。そこまでは予想通りだったから別にいい。ただ、中毒となりそうな奴が出始めている。食中毒、なんて物騒なものではなく、なまえの食事がなくてはならないものになりつつある部下が何人かいた。私のように。そうなると分かっていたから嫌だったというのに。中毒にもなるだろう、あれだけ美味しいんだから。それに、まるで母親の食事を食べているような安心感があると評されていた。それについては私が母親の手料理というものを知らないから分からない。だけど、食べていてどこか安心するような、懐かしい味がするというのは納得出来る。本当になまえは不思議な力を持った子だ。
「もう作らなくていい。帰ってから食べる」
「分かった。何がいい?」
「任せるよ。何を食べても美味しいから」
「またそんなことを言って」
「本当だって。怖いくらい美味しいもの」
ラップを剥いておにぎりを口にする。これは毎晩、朝用にとなまえが私にだけ用意してくれていたものだった。毎日異なる中身を用意してくれていて、実は食べることが楽しみとなっている。紙製の弁当箱に入っている玉子焼きを口にしていると、朝日に照らされて休止状態となっている広大な敷地が目に入った。ショッピングモールを作るつもりだった土地は我が社のものとなったわけだが、あれを何に使うのかは全くの未定である。どうせ作るのなら駐車場とかじゃなくて外から人を呼び込むことの出来るような施設がいいよなぁ…
「なまえはさ、この街には何が足りないと思う?」
「足りないもの?」
「そう。何か案はない?」
「水族館」
「それは無理だね」
「どうしてよ」
「海がないから」
「海がないと駄目なの?」
「だろうね」
「じゃあ、お花がいっぱいある公園」
「花?」
「うん。大人から子供まで集まれるような広い公園。一年中色んなお花が咲いていて、イベントなんかもやったりして」
「あぁ、前に関東で行ったような?」
「そう。そういう施設が近くに欲しいかなぁ」
花、ね。確かに見事だと思った。あの広大な敷地に咲いている花々は、花に興味のない私でさえも見事だと感じた。
やはり、色んな者の意見は聞くべきだな。私ではあんな施設を作ろうなんて思えない。もっと利益重視で考えてしまう。だが、子供から老人まで利用出来る施設というのはなかなかいい発想だ。それこそ子育て世代を呼び込むことが出来ると謳えば街から幾らか出資が見込めるかもしれない。それに、自分も恩恵を受けられるのならば悪くはないのではないだろうか。週末には妻と子供を連れて公園で花を見ながらピクニック、なんてドラマのような話だ。私には似合わないことだろう。だけど、やってみたくないかと問われれば、やってみたい。そういう普通の家庭を築いていきたい。そうだ、子供を連れて行くのなら小さな遊園地なんかも作ってみてもいいかもしれない。あぁ、どんどん案が出てきた。とりあえずメモ程度に纏めておいて、休み明けに社長に言ってみよう。
「いい案をもらった。ありがとう」
「そう?じゃあ、よかった」
「ねぇ、なまえ」
「なに?」
「子供が出来たら三人で出掛けようね」
「気が早い」
「だから早く帰って作らないとね」
「あ、そこに繋がるのね」
「今日、絶対に帰る。で、絶対に抱くから」
「はいはい。頑張って」
最後は呆れた声を出していたなまえとの電話を終え、オフィスに戻る。朝礼なんてわざわざするようなことではない。何なら今は休み、業務外だ。だけど、今日は朝礼を行った。
「起きなさい。残りは今日で終わらせるよ」
「いや、もうのんびりやりましょうよ」
「お前たちの魂胆は分かっている。なまえだろう?だけど、残念ながら今日からもう来ない。分かったら死ぬ気でやれ」
「えっ、何でですか!?」
「嫌だぁ!まだ帰りたくない!」
「なまえさんのご飯が…ご飯が食べられなくなる!」
「あ、部長。一食三千円でいかがです?」
「あ!じゃあ俺は五千円出しますよ!」
「いや。幾ら積まれても終わりだから」
「狡い!独り占めはよくないですよ!?」
「羨ましいだろう?」
「羨ましいですよ!夢に見そうです!」
「おやおや。じゃあ、早く結婚相手を探しなさい」
「酷…それ、ハラスメントなんですけど!?」
「知るか。なまえは私の妻だ。あれはね、元は私だけのものなんだ。こうも毎日食べられたことをむしろ有り難く思え」
本当は誰にも与える気のなかった食事を与えたのだから。それも、何度も。一応、社長にも言っておかないとまずいだろうと社員食堂を利用することを伝えると、休み前までは社長までも食べていた。何なら警備に根回しをするために一度デザートを届けると、それ以降毎日届けることが慣習となったこともあり、なかなかの人数がなまえの食事を口にした。実に不快だったけど、今回は致し方がないことだと諦めることにして目を瞑ることにする。私自身が毎日温かい食事を食べたかったし、恐らくではあるが、法的にアウトなことをやっている以上は騒ぎ立てるわけにはいかなかった。多分、なまえはそんなことには気付いていなかったのだろうが、知られてしまったらもう二度と作りに来てくれないことは目に見えていたから全員で黙っていることにした。
ぶちぶちと文句を言う部下の背中を叩きながら仕事を終わらせ、スーツケースを引き摺って家に帰る。ずっと床で寝ていたから寝不足だし、身体が痛い。疲れなんて全く取れていないけど、それでも、玄関を開けた瞬間に香る心地のいい匂いに癒された。家に帰ってこれた、とホッとする。さて、今日の夕飯は何だろうか。
「ただいま」
「おかえり」
ただいま、なまえ。今度こそ今回の騒動は終わったからね、と私が言うと、なまえはお疲れ様でした、と両腕を広げてくれた。誘われるがままに小さな身体を抱き締める。
この街は変わろうとしている。それも、いい方に。それに伴って私たちも変わっていこう。より家族として強い絆で結ばれた、特別な関係へと成長していきたい。何ヶ月も会えなかったし、とても寂しい思いをお互いにした。だけど、離れていても私たちの想いは決して最後まで揺らがなかった。離れていても互いを想い合い、支えていきたいと思っていた。そんな相手に巡り会えたこともそうだが、今ある幸せを手放さずに済んだのはなまえのお陰だ。私は未熟な人間だけど、なまえと一緒なら成長していける。色んなことに気付くことが出来る。だから、もう決して離れないし、離さない。そして…
「あぁ、いいね。鰻」
「好きでしょ?」
「精がつくからね」
「あ、そういう?」
「そう。なまえもその気になってくれてたとは嬉しいね」
「ち、違うからね!?ただ、昆に元気になって欲しくて…」
「元気になるよー、下半身が」
「ご飯中に何てこと言うのよ!?」
どうか、早く新たな命と巡り合うことが出来ますように。そして、今ある絆を更に強めていきたい。家族として共に生きていきたい。私がこの手で出来ることなど、ちっぽけなことだ。なまえを護ることも出来ない。それでも、自分に出来る限りのことはやっていこう。後悔のない未来を送るために。
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