雑渡さんと一緒! 255
「…本当に行ってしまうの?」
「うん」
「私のこと、愛してないの…?」
「愛してるよ」
「離れて、寂しくはないの?」
「寂しいよ」
「じゃあ、行かないで。ずっと側にいて」
「それは無理だよ。お金払ったし」
「いいよ、金なんて。私は離れたくない」
「佐茂さーん。お願いしまーす」
「へいへい。雑渡、たかだか三日間だろ。我慢しろよ」
「離せ!私も着いて行く!」
「どこの世界に卒業旅行に着いて行く旦那がいるんだ」
「ここにいる!」
「きぃちゃん、もう行こう」
「そうね。長そう」
「あ、待って!ねぇ、なまえ!」
振り返りもせずにあっさりと行ってしまったなまえの背中が見えなくなって、無性に寂しくなった。酷い。もうすぐ結婚式を控えているのに。ずっと一緒にいようねって何度も誓った仲なのに。いや、卒業旅行の許可を出したのは確かに私だ。何度も喧嘩した末に私が折れた形となって北石との旅行を許可した。嫌だったけど、結婚式前に韓国にエステに行きたいと言われて、治安がーとか、言葉も一切通じないのにーとか、本当に色々と話し合った上で決めたことだ。だけど、搭乗前に振り返ってくれないなんて酷い。酷過ぎる。
ほら、離れた瞬間から寂しくなってきた。心配で心配で堪らないし、これをあと三日も我慢しないといけないのかと思うと気が狂いそうだ。佐茂もそうだろう、と同意を求めて見ると、心底引いていますといった顔を向けられた。何でだよ。
「お前、心配じゃないの!?」
「まぁ、大丈夫だろ」
「寂しくはないの!?」
「たかだか三日だし」
「お前、愛情が足りてないんじゃないの?」
「お前が重過ぎるんだよ」
重い?重くて何が悪い。それだけなまえを愛しているということだろう。おまけに、なまえは私がちょっとやそっと言ったくらいでは折れない。まぁ、だからこそ私と一緒にいられるのかもしれないが、言いたいことは言わせてもらいたいし、この言いようのない想いはなまえにぶつけたくもなる。
寂しくて寂しくて堪らなくて、酒を大量に買い込んで家に帰る。玄関を開けるとリビングの扉をカリカリと掻くクロは私を見るなり擦り寄ってきた。私よりもなまえに懐いているクロも寂しいだろうに。なまえはね、あっさりと私とお前を置いて行ったよ。どう思う?寂しくない?酷くはない?
ビールを開けると、クロは私の膝の上で丸くなった。本当に賢い子だ。どことなく人間くさいクロはやっぱり前世は人間だったのだと思う。そうでなければ人間と心がまるで通っているかのような反応を示してはきてくれないと思うのだけど、どうなのだろうか。何にしても、クロがいてくれてよかった。この家に一人でいるとあまりにも寂し過ぎて堕落してしまいそう。こういう時に浮気に走れる奴はある意味では幸せなのだと思う。好きな子が側にいない寂しさを他の女で埋められるのだから。私は残念かどうかは別にして女はなまえ以外は総じて嫌いだし、なまえの穴埋めにもならないと分かっているから浮気なんてしたいとは微塵も思わない。それがバレてなまえを失う可能性まで考慮したら、何一つ私にとって美味しくないし。浮気する世の男はそのへんをどう考えているのだろうか。是非とも一般論として一度聞きたい。
テーブルに缶を並べていると、通知音がした。人が感傷的になっているというのに誰だろうかと思っていると、差出人はなまえからだった。無事に現地に着いたようだ。事細かに報告しろと言ったことをちゃんと守ってくれていて心底ホッとした。よかった、飛行機が落ちなくて。そして、写真も送られてきた。北石と楽しそうに空港で撮った写真を見て、どうして自分が隣にいられないのだろうと思うと居た堪れなくなってきた。酔っていたこともあり、携帯を握り締めてソファに横になる。写真を送るなんて文化は私にはないし、なまえから写真を送られてくることも、ごく稀だ。それこそ、春に離れて暮らしていた時ぶりのことかもしれない。
早く帰ってきて欲しいなぁ、と思いながら写真を眺めているとソファで眠ってしまった。今日は怒るなまえもいないのだから、まぁ別にいいだろう。身体は異様なほどに痛いけど。
携帯に何枚か写真が届いていた。どれもこれも嬉しそうに笑っている。なまえの顔はこれからどんどん大人として変化していくことだろう。対して私は年々老けていくのだろうと思うと心底うんざりとした。仕方のないこととはいえ、老いていくのをゆっくりと自覚しなければならないのはなかなかに堪えることだった。なまえよりも私の方がメンテナンスが余程必要なのではないだろうか。若いなまえと並ぶのだし。
後ろ向きなことばかり考えていると、窓の外に綺麗な夕陽が見えた。なまえも見ているだろうか。それとも必死に観光していて気付きもしていないのだろうか。そんなことを考えていたら電話が鳴った。着信だ。相手はなまえだった。
「昆、大丈夫?寂しくなってない?」
「寂しいよ!物凄く寂しい!」
「飲んでばかりいないで、ちゃんとご飯も食べてね」
「はいはい。分かってるよ。そっちは楽しい?」
「うん。楽しい」
「あぁ、そうですか。それはよかったですね」
「もう。拗ねないでよ」
困った人、と笑ったなまえは空を見て、と言った。見ているとも。丁度、なまえもあの夕陽を異国の地から見ているだろうかと思っていたのだから。
ベランダの手すりに手を掛けながら遠くを眺める。タソガレドキ社の窓ガラスに光が反射して、眩しくも美しかった。
「こっちね、綺麗な夕陽が見えているの」
「あぁ。こっちもだよ」
「本当?よかった。同じ夕陽を見れたね」
「同じではないでしょ。なまえは遠いんだから」
「同じだよ。太陽も地球も一つなんだから」
「話のスケールが大きいね」
「私たちは離れていても、同じ空の下で繋がってるよ。だから、そんなに寂しがらないでよ。ちゃんと帰るから。ね?」
「…当たり前でしょ。無事に帰ってこなかったら怒るよ」
「はぁい」
分かったようなことを言うなまえとの電話を切ってから、改めて夕陽を眺める。同じ空の下で繋がっている、ねぇ。文学的なことを言われてもピンとくるような、こないような。それでも、離れていてもどこかで繋がっていると思えるのは幸せなことだ。それだけ私となまえの想いがちゃんと繋がっているということなのだから。
それでも、寂しいものは寂しい。仕事をしていても時計ばかり見て、そろそろ日本に着いた頃だろうかと思いながら雑務を片付け、急いで家に帰る。玄関を開けた瞬間に香る夕飯のにおいに心底ホッとする。ようやく安らぎが戻ってきた。
「あ、おかえりー」
「おかえり、なまえ」
「うん。ただいま」
笑い掛けてきてくれたなまえと夕飯を摂り、土産話をたくさん聞いてから、離れていた分を取り戻すように身体を寄せ合った。三日も北石に渡したのだ。次は私の番だろう。そう言わんばかりになまえにここぞと甘えて過ごした。
付き合ってすぐの頃は出張で離れてもここまでは辛くなかった。だけど、今は自分の半身をもがれたような気さえする。どう毎日を過ごしていたのかさえ分からなくなり、何をやってもつまらなかった。それほどまでに私はなまえに依存しているし、なまえを必要としている。それをもうすぐ部下の前で見せしめなければならない。まぁ、あいつらはある程度理解しているのだろうけど。いよいよ結婚式が近付いてきたわけだが、果たしてどんな式になるのやら。ただ一つ言えることとしては、部下の誰かしらは泣くのだろう。多分、いや、絶対に私も感極まることだろう。それは決して人に見せたいものではない。だけど、綺麗ななまえを見たいから、恥はかき捨てる決意は出来ている。別に強がって生きる必要などない。そう教えてくれた子と幸せになれるのだから。
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