雑渡さんと一緒! 257


「ねぇー。見て、綺麗」

「転ぶよ」

「平気だも…」

「あ」


桜吹雪へと向かって走って行ったなまえは案の定転んだ。予想を覆してこないところが何ともなまえらしい。
なまえに近寄ると、地面に落ちていた花びらを空へと撒きながら、綺麗だと言った。それはまるで子供のような行動であるにも関わらず、綺麗に落ちた桜を摘んで私の手に乗せながら微笑む顔は何とも美しかった。思わずときめくほどに。


「お弁当、どこで食べようか」

「そうだねぇ」

「あ。あの木陰にしようよ」

「んー」


なまえが指差した木陰にシートを広げて、家で作ってきた弁当を広げる。仕事の時にはなまえに弁当を毎日作ってもらっている。その中身は毎日異なり、そしてまた夕飯の残りが入っていたことも一度もなかった。とはいえ、大した量を入れるわけではないのだから夕飯の用意から比べれば楽なものなのだろうと考えていた。そんな失礼なことを考えていた自分を殴り倒して、説教してやりたい。
大変といえども私にも出来るだろうと思い、今回は私も僅かながら何品か作ってみた。ほんの少し野菜を切って、ほんの少し炒めればいいんだろうくらいに思っていたが、全然楽ではない。むしろ、品数が多くて大変だし、冷まさないと詰められないだとか、入らないとか…本当に、もう二度とするもんかと思うほど大変だった。自分も作ると言ったことを後悔したし、なまえにいつも弁当を用意させていることが申し訳なくなるほど大変な思いをした。それでもなまえは「弁当を作るのは楽しい」と言った。この作業のどこが楽しいのか。


「…やっぱり、もう弁当は作らなくていいよ」

「飽きちゃった?」

「でなくて、大変過ぎるよ」

「平気だよ。楽しいし」

「楽しい?どこが!?」

「昆がどんな顔をしてお弁当を食べているのかなって想像するだけで楽しいの。だから私はお弁当作りが好きだよ?」

「…誰がそんな可愛いことを言えと言った」

「あれ?可愛かった?」

「あぁ…はいはい、いつものやつね」

「は?」

「いいえ。じゃあ、食べようか」


いつもなまえに想われている。そう言われてしまっては単純な私は喜ぶに決まっているだろう。ときめくに決まっているだろう。大変な作業も楽しいと思えるほど大切にされていると知れて、平然としていられるほど私の心臓は強くない。嫌だなぁ、もう四年も経つのにまだなまえの何気ない言動にときめいてしまう。本当に恐ろしい子だ。
なまえが揚げてくれた唐揚げを口にする。常々思っていることなのだが、冷めているのに美味しいって凄くはないだろうか。もちろん揚げたての方が美味しいが、ちゃんとサクッとした食感がある。噛めば広がる肉汁もご飯が欲しくなるような味付けもたまらない。なまえの作る唐揚げが一番好きだ。


「わぁ、この玉子焼き美味しい」

「んー…なまえが作った方が美味しいよ」

「そう?美味しいよ」

「何が足りなかったんだろ…」


なまえに作り方を聞いて作ったのに、どこか違う。何でだろう、ちゃんと測ったのに。私の作る料理はどれもこれも見た目はいい。だけど、見た目だけだ。味は大したことはない。まぁ、なまえの作るものと比べるのもどうかと思うが。なまえの作るご飯はどうしてこうも美味しいんだろう。本当にいいお嫁さんを貰えた。
おにぎりを口にしながら桜を見上げる。あれはソメイヨシノなんでしょ?となまえに聞くと、違うと言われた。そして、聞いたこともないような品種を言われて、到底覚えられないと思った。私にはやはりみんな同じに見える。それでも、なまえと出会ってから随分と花に詳しくなったと思うのだが。


「クロも連れてきたかったなぁ…」

「あー。猫用のハーネスを買う?」

「犬みたいに繋ぐってこと?」

「そうなんじゃないの?」

「クロは嫌がらないかなぁ?」

「さぁ?」

「もっとペットと行ける所があればいいのに」

「まぁ、犬なら連れて行ける所も増えるんだけどね」

「じゃあ、犬を飼う?」

「クロが嫉妬しそう」

「するかな?」

「して欲しいところではあるね」

「昆のそういうところ、重い」

「え、重い?だって、寂しくない?」

「嫉妬されないとってこと?」

「そう。例えば私が女と二人で出掛けるとする」

「それは浮気だよ」

「まぁ、そうか…」


いや、行かないけど。重いのかなぁ、やっぱり。ちゃんと慕っていて欲しいというか、愛情を向けて欲しいというか。
知りたくはないけど、もう分かっていることとして私はかなり女々しい。すぐ嫉妬するし、嫉妬されたい。別になまえの愛情を試すようなことはしないけど、いつも一番に想われていたい。だから、クロにとって一番は私でないというのも実は気に入らない。いや、まぁ二番ではあるのだろうけど。というか、せめて二番でないと嫌だけど。ただ、クロは犬のような忠誠心のある猫だった。だから、主人は私だと思っている節がある。一番懐いているのはなまえだけど、実際に言うことを聞くのは私というか。実に猫らしくない猫だった。


「…ま、私のことは置いておいて。桜の花びらを持ち帰る?」

「そうだね。クロに見せてあげよう」

「手帳に貼ったら黒ずむかな?」

「どうかなぁ…レジンとかで固めたらいけるかもだけど」

「何それ」

「何か凄いやつ?」

「全然分かんない」

「もう。とにかく、手帳はやめた方がいいと思う」

「ふーん」

「儚いからいいんだよ、桜は」


そう言ってなまえは風に舞う花びらを見た。穏やかな空に散っていく桜は儚げというには程遠く、鮮明に脳裏に焼きつくような美しさがあった。
こんな風に穏やかに過ごすことが幸せだなんて思える日が私にもくるなんて四年前には考えもしなかった。花が美しいとか、空が綺麗だなんてきっと私はなまえと知り合わなければ思いもしなかったことだろう。この子と一緒にいると私は人間らしい感情を得ることが出来る。大切な私の可愛い妻だ。
翌日、なまえはいつものように弁当を用意してくれた。中身は毎日教えてもらえない。その方が開けるまでわくわくして楽しいでしょ、と。そんなやり取りも、もう慣れたものだ。


「じゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

「ん」

「うん。頑張ってね」


同棲してから欠かさずに仕事に行く前にはキスをする。本当に触れるだけの簡素なものではあるけど、単純な私はこのキス一つで一日頑張れる。
エントランスを出てから上を見上げるとなまえが手を振ってくれていた。これも同棲してからの習慣だ。本当に些細なことかもしれないが、好きな子が私を想ってくれているのだと伝わってくる。とても幸せなことだ。あぁ、今日は月曜だけど頑張って早く帰宅出来るように頑張ろう。そう思いながらなまえにいつものように微笑みながら手を振った。空にかざした手の平の奥には桜の花びらが舞っているのが見えた。


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