雑渡さんと一緒! 262


私の旦那様はスパダリである。そんなことは分かっていたから、別に驚かないつもりだった。だけど、思わずグラスを落としそうになるほどの美声を浴びせられてしまい、想像を超える上手さに若干引いた。なに、出来ないことはないの?
私が呆然と昆を見つめていると、肩を抱かれた。そして、困ったように顔を近付けられて言われた。下手だった?と。


「上手いよ!デビュー出来るよ!」

「出来ないよ。出来てもしたくないし」

「ねぇ、これも歌ってよ」

「えー。次はなまえの歌声が聞きたい」

「昆の後は嫌だよ」

「何で」

「下手くそだから!」


いや、普通かもしれない。だけど、昆の美声と全くメロディラインから外れない歌声を聞いた後では歌いづらい。
嫌だ嫌だと言っていたら、勝手に昆に曲を入れられた。それも物凄く高いキーのラブソング。いや、好きだよ?好きだけど無理だよ。私には荷が重過ぎる。無理だ無理だと言っているうちにAメロが始まってしまい、嫌だったけど歌わざるを得ない状況を作られた。あー、もう。絶対に下手なのに。


「ふーん…」

「だ、だから下手だって言ったじゃん」

「いや、下手ではないけどさぁ…」

「けど、なに…?」

「喘ぎ声と似てるなぁって」

「は…はぁ!?やめてよ!」

「いや、似てるよ。というか、同じだったよ」

「気のせいだよ!」

「気のせいなものか。何百回聞いていると思ってるの」

「馬鹿!最低!」


ゴクゴクとオレンジジュースを飲み干してドリンクバーに行こうとすると腕を掴まれた。にまっと笑って。


「やだ!離して!」

「まぁ、待ちなさい。変なことはしないから」

「じゃあ何をする気なのよ!?」

「いや、喘ぎ声と同じか確かめようかと」

「それを変なことって言うの!」

「大丈夫。ちょーっと触るだけだから」

「昆!叩くよ!?」

「おや、怖い。学生でもあるまいし、流石にヤらないって」

「あら。学生ならカラオケですると言うの?」

「金がないからね」

「ふーん。つまり、したことがあるんだ?」

「ん、んん…っ」

「あら、そうですか。それはそれは」


ふん、と腕を振り払うと昆が後ろから抱きついてきた。カラオケで性行為に及ぶなんてことは別に聞いたことがないわけではない。監視カメラが設置されていて、店員さんが止めに来るとか聞いたことがあるけど、それは本当なのだろうか。昆の口からは別に聞きたくはないけど。
あーあ。もう、こんなつまらないことで怒りたくないのに。


「お、大昔のことだよ?20年も前のことなんだから」

「へぇー。そうですかー」

「いやいや。そんな、嫉妬するようなことではないって」

「ええ。そうですよね」

「だから、そんな怒らないでよ」

「怒ってはおりません」

「話し方!」

「というか、離して!ねぇ、離してよ!」


私が暴れると、何でもないような顔をして昆に軽々と担がれた。そして、そのまま膝の上に座らされてキスされる。
この馬鹿!こんなことをしていて店員さんがきたらどうするのよ!?おまけに私たちはもう結婚していて、昆は立場のある人間で。なのに、この人は恥ずかしくはないのだろうか。


「嫌!離し…っ、あん…っ」

「ほら、同じだよ」

「それ、まだ言う気なの!?」

「だって同じだったから」

「やだ…もうカラオケに行けないじゃん!」

「そうだね。行かないで」


ちゅっと首筋を吸われ、必死に必死に声を押し殺しながらも脳裏には二つのことが浮かんだ。一つはカラオケでこんなことはしたくないということ、もう一つは他の女の人ともカラオケでこんなことをしたことがあるということ。実に不愉快だ。穢らわしい、触らないでもらいたい。
ベシッと昆の頭を叩く。こんな所でするなんて私は嫌。おまけに、私としながら「懐かしい」なんて思われたら最悪だ。


「い…ったぁ…っ」

「昆が悪い!」

「…っ」

「…え?昆?ねぇ、嘘でしょ」

「うん、嘘」

「昆!」


顔をソファに伏せて痛がる昆が心配になり、思わず顔を覗きこむとキスされた。あぁ、もう…本当に腹が立つ!
結婚しているのに、いつもいつも嫉妬してしまう自分が私は嫌いだ。一枚上手の昆にいつもいつも流されるようにされるがままになってしまう自分が私は嫌い。私はいつも昆と同じ目線で立っていたい。どちらかが上とか下とかなく、対等な関係でありたい。それに、カラオケで女の人と…なんてことを思い出さないくらい私との思い出で埋めて欲しい。どこに行っても思い出すのはいつも私であって欲しい。昆の最初の女性にはなれないけど、昆の最後の女性は私なのだから、私でいっぱいになって欲しい。そんな想いから、昆をソファに押し倒す。驚いた顔をした昆に自分からキスして、いつも受け身だった激しいキスを仕掛けてやる。初めは驚いていた昆もキスを受け入れてくれて、優しく頭を撫でながら舌を絡めてくれた。多分、私のキスは下手だと思う。どのタイミングで角度を変えるのかなんて分からないし、終わる時はどうしたらいいのかもよく分からず、とりあえずキスをし続けた。すると、昆がふるふると震え出した。どうしたのかな、と思っていると肩を押されて無理矢理離される。苦しそうに荒い息をしながら、胸を押さえていた。心なしか顔色が悪い。


「し、死ぬかと思った…」

「へ?」

「なに、下になってキスされたらこんなに苦しいの!?」

「あら。長かった?」

「限度があるから。普通に酸欠になるから!」

「ふーん」

「ふーんって…」

「記憶に残るキスだったでしょ?」

「残るさ、そりゃあ」

「じゃあ、大成功だ」

「はぁ?」

「あなたの唇はもう私のものだから。昆の記憶に残るキスは私だけにしてよね。あと、家に帰ったらキスを教えてね?」


昆に控えめに微笑んでから、デンモクを操作して歌って欲しい歌を探す。そうかぁ、キスってただすればいいってものじゃないんだな。私も昆と付き合ったばかりの時はよく酸欠になっていたな。それは私が不慣れだったからだと思っていたけど、本当は違ったのかな。どうなんだろう、よく分からないや。だけど、当初のときめかせるという思惑からは大きく外れてしまったけど、昆にとって大きな思い出とはなったことだろう。何せ死を意識したのだから。
あ、この歌がいい…と昆に見せようとすると、頭を掴まれてキスされた。何だろう、今日はキスばかりしているんだけど。


「ねぇ、これ歌って」

「ん。もう少し…」

「んぅ…っ、ね…ねぇ。ねぇってば!」

「待ってって。ちょっとまだ無理」

「そんなに苦しかったの?」

「苦しかったよ。やめてくれる?外でときめかせるのは」

「あ。ときめいたんだ?」

「ときめき過ぎて、ぞくっとした。なに、悪い?」

「悪くないけど、理由が分からない」

「はいはい。分かってもらわなくて結構ですよ」


ぎゅうっと抱き締められて、可愛い可愛いと言われた。そして、また負けたと悔しそうに唸っていた。
いいから早く歌って、とマイクを渡す。普段鼻歌を歌わない昆の歌声が聞けるのはここだけなのだから。私も喘ぎ声と同じとか言われたし?もう昆としかカラオケに来ることが出来ないのだから、二人でたまにカラオケに行って思う存分歌いたい。私は下手だけど。
それから、二人でたくさん歌った。デュエットなんてのもやったし、昆は何ならラップまでお手のものと言わんばかりに美声を披露してくれた。合間に時々、キスしながら。
こうして私たちにとってカラオケとは歌を歌うわけだけではなく、キスをする場となった。本来の使い方とは些か使用目的が逸れている気もするけど、ちゃんと歌は歌っているし、キス以上のことはしないのだから大目に見て頂きたい。私から公共の場でこんなことを許可するのはとても珍しいことだったからだろう、昆はいつもカラオケに行くと嬉しそうな顔をしていた。それが私は嬉しかったから、特に咎めたりはしなかったのだ。昆の思い出が一つ私で上書きされたのだとしたら、それは何よりも価値のあることなのだから。


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