雑渡さんと一緒! 264
「ギリギリ間に合ってよかった…」
「もう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。昨日、運動も出来たでしょ?」
「馬鹿!エッチ!最低!」
「なまえも悦んでいたくせに、よく言う」
悦ぶようなことをしたんだから、当たり前じゃない。私が言いたいのは公共の場で堂々といやらしいことを言わないで欲しいってことだ。こういうところは全然変わらない。
無事に退院することが出来た昆と念願のさくらんぼ狩りに来ることが出来た。シーズン的にギリギリだったけど、無事間に合ってくれてよかったと心から思う。毎年何だかんだあって行けないから、今年も行けないのではないだろうかと覚悟していた分、嬉しい。昆の体調だけが不安だったけど、全快のようだし、安心してさくらんぼを嫌になる程食べられる。
「わぁー。さくらんぼだー」
「ふーん。こんな風に出来るんだ」
「嬉しい。さくらんぼ大好き」
「桜が咲いていなくて残念だったね」
「花が散ってから実が出来ることくらい知ってますー」
「なんだ。これは失礼」
私を馬鹿にしようとしたのだろう、昆は当てが外れたような顔をした。何よ、私だってその程度のことくらいは知っている。頭はよくないけど、これでも大学を一応卒業はしているんだ。まぁ、昆と比べたら足元にもおよばないんだけどさ…
私がしゅん、としていると口にさくらんぼを入れられた。
「…あ、美味しい」
「そう。よかったね」
「えっ、美味しい。普段のより美味しい気がする」
「ほぉ?」
それは楽しみなことだね、と昆も口にした。真っ赤なさくらんぼがこんなにたくさん生っているなんて…と木に手を伸ばす。知らなかった、さくらんぼってこんなに一つの箇所からたくさん生えるんだ。
受け付けで渡されたゴミ袋にポイポイと種とヘタを入れていく。美味しい。あぁ、これは予想よりもずっと美味しい。
「どうしよう、私、さくらんぼ好き…」
「今更?」
「だって、家ではたくさん食べられないもん」
「どうして。買えばいいじゃない」
「さくらんぼは高いの。スーパーでも高いの」
「私が幾ら稼いでいると思っているの。スーパーどころかデパートで果物くらい好きなだけ買って食べればいいのに」
「駄目!贅沢!」
「全く…しっかり者だなぁ」
多分、昆は私がスーパーで500円のさくらんぼを買うことを躊躇っていることが不思議なのだろう。とんでもなく稼いでいる旦那様なのだ、果物くらい好きに買えと言いたいことは分かっていた。前にぶどう狩りに行った時にも同じようなことを言っていたから。だけど、そうやって一度贅沢に慣れてしまうと、贅沢から抜け出せなくなってしまいそうで私は怖かった。贅沢というのはするのは簡単だけど、戻るのは大変だ。贅沢に慣れ過ぎている状態で昆がリストラされたら私はどうしたらいいのよ、と私が言うと、昆は縁起でもないことを言うんじゃないと怒った。物の例えなのになぁ。
ぷちぷちとさくらんぼをもぎ取る。私が美味しい美味しいと言って食べ進められたのも初めの15個ほどで、次第に口の中が甘過ぎて手が止まった。ぶどう狩りの時と全く同じだ。
「悔しい、100個食べるつもりだったのにぃ…」
「100?それは無理があるよ」
「昆は?」
「8個かな」
「勿体無いないよ!頬袋にもっと詰めて!」
「私は齧歯類ではない」
私が勿体無いと言うと、昆は呆れたように溜め息を吐いた。果物狩りとは元を取るために行うものではなく、この情景を堪能したり、雰囲気を味わうものだよ、と諭すように言われた。私だって分かっている。元なんて取れない。私のお腹がパンパンになるまでさくらんぼを詰め込んだところで、スーパーで買った方が遥かに安いだろうし、楽しめずに終わってしまう。そんなことは分かっている。だけど、何となく悔しいじゃない。あれかな、私がケチなだけなのかな。
さくらんぼの木が並んでいる風景を眺めながら髪を風になびかせている昆は優雅に見えた。くそう、悔しいから写真に収めてインスタに載せてやるんだから。「雑渡さんの優雅な休日」とか嫌味満載のタグまでつけてやる。あぁ、悔しいなぁ…
「昆って大人だよね…」
「普段は子供っぽいと言うくせに」
「そうだけど、たまに大人だよ」
「大人ですから」
「私だってもう大人だもん」
「なまえのは大人というより成人しているだけって感じ」
「酷い!」
「いいんだよ。二人でゆっくり大人になっていけば」
ね、と微笑む昆があまりにも眩しく見えて、もう何も言えなくなった。この人は本当にかっこいい人だなぁ。さっき撮った写真も異様にかっこよく撮れたし、待ち受けにしよう。
さくらんぼ園を出る前に私は昆にお願いをしてみた。ヘタでこよりを作ってみてよ、と。これはきぃちゃんから聞いたことだけど、キスが上手い人はさくらんぼのヘタを舌でいじってこよりを作ることが出来るらしい。私はやらなくても無理だと分かっているから挑戦はしないけど、昆なら出来そうな気がする。というか、絶対に出来る。見なくても分かる。
「んー?んー…」
「無理?」
「いや、簡単だけど?」
「ほらね」
「なに、出来たら何かいいことがあるの?」
「キスが上手い人は出来るんだって」
「ふーん」
「あ、凄い。昆なら出来ると思ったんだ」
「おや。それは私のキスが上手いと言っているの?」
「言っているの」
「これは嬉しいことを。キスしてあげようか?」
「ここでは結構です!」
「何だ、残念。で?」
「え?」
「なまえはやらないの?」
「私には無理だよ」
「やってみないと分からないじゃない」
ほら、と手渡されたヘタを口にする。えっと、これを結べばいいんだよね。この先っぽを…えっと、丸め…丸…
「無理!無理だよ!」
「ふっ、くくく…」
「なにこれ。無理だよ」
「無理なものか。私は出来たのだから」
「嘘でしょ!?どうやってやったの?」
「こうやるのさ」
ぐいっと頭を掴まれてキスされる。昆の舌が器用にヘタを結んでいくのが分かった。ただ、結びながら舌が私の舌と絡まり合い、何とも言えない気持ちになる。率直なことを言ってしまえば気持ちがいい。ほんのりと煙草のにおいがして、昆を感じる。昆とするキスはどうしてこんなにも幸せな気持ちになるのだろうか。ぞくぞくとするほど身体が昆を求めているのが分かる。やめないで、もっとして。私を離さないで。そんな気持ちにさせる、不思議なものだ。
私がキスに夢中になっていると、小さな子供の笑い声が聞こえた。そうだ、今はさくらんぼ園にいるんだ。人が多いどころか、子供もいる。こんな大人は教育によろしくない。
「ん…っ、んんー!」
「んっ、暴れるな」
「な、何考えているのよ!?ここはどこ!?」
「さくらんぼ園」
「何をする所なの!?」
「さくらんぼ狩り」
「そう。キスする所じゃないから!」
ベチン、と昆を叩く。危ない、うっかり昆とのキスに夢中になって二人の世界に入るところだった。やめて欲しい、こんなことをするのは。私がすぐに流されるのをいいことに、公衆の面前で…っ。前に昆は別に人に見られようが構わないと言った。どんな神経をしているのだろうか。そういう羞恥心をお母さんのお腹に忘れてきてしまったのではないだろうか。
「もう。馬鹿、最低!」
「なまえ」
「なに!?」
「愛しているよ」
「い、今はそういうこと言わなくていいから!」
「また来ようね」
「変なことしないって約束したらね!」
「変なことなどしていない。いい?キスというのは男女の愛情を確かめ合い、そしてまた深め合う行為の一つとして…」
「そういうのはいいから!」
周りからクスクスと笑われたり、新婚さんかと聞かれたりした。私と昆は結婚してもう二年以上経つ。新婚という看板はもう下ろしてもいいはずだ。
昆は結婚する前から変わらない愛を伝えてきてくれる。もちろん私は昔は昆を罵ったり出来なかった。顔を赤くして怒ることはあっても、昆を叩くなんて発想には至らなかった。そういう意味では私は強くなったのだろう。そして、まだまだ強くならなければならない。だって、昆は全然反省していないから。隙あらばキスしてきたり、いらやしいことを言うような人なのだ。だから私が強くなって、咎め続けなければいけない。そうでなければ、いつか子供が生まれても、子供の前で平然とキスしてきてくるような気がした。だけど、私はどこまで咎められるだろうか。キスしたいのは私も同じなのだから、来年の初詣では煩悩を捨てられるようにお願いした方がいいのかもしれないと、そう思った。
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