雑渡さんと一緒! 268


「ただいま…」

「おかえりー」

「………」

「あれ、どうしたの…?」

「…今日、春名翠に会った」

「えっ!CM撮影!?」

「いや、突然会社に来て…」

「えぇ!?いいなぁ、ねぇ、綺麗だった?」

「………」

「昆?」

「…母親なんだって」

「は?誰が?」

「春名翠は私の母親なんだって…」

「え…えぇ!?」


嘘でしょ、本当に?あぁ、いや、確かに昆と春名翠はよく似ていると思う。ふとした表情とか本当にそっくりだ。
本当はサインは貰った?とか、連絡先を交換した?とか聞きたいことが山のようにあった。だけど、それはとてもではないけど出来なかった。昆がとても辛そうに見えたからだ。ミーハーな心を思わず封印してしまうほど、昆は元気がない。


「…お母さんに会えて嬉しくないの?」

「…分からない」

「分からないって…」

「私には母親はいない。ずっとそう思っていたから…」


そう言って昆は頭を抱えた。まるで今にも泣きそうな顔をしている。とても辛そうで、思わず抱き締めた。
私には既に亡くなっているけど、お母さんがいる。大好きな大好きなお母さん。お母さんにまた会えたらもちろん嬉しいし、そのお母さんが有名人だったら周囲に自慢してまわるほど嬉しい。だけど、昆はどうやら違うようだ。というより、整理がついていないようだった。
その日、昆はずっと何かを考えているようだった。お母さんから渡された母子手帳には確かに「雑渡みどり」と書かれているし、昆の出生証明の判子まで押してある。おまけに、ところどころにお腹の大きな春名翠の写真が貼ってあった。とてもではないけど、偽物とは思えない。ということは、本当に春名翠は昆のお母さんということなのだろうか。
結局、落ち込んだ様子の昆はその日はずーっと元気がなかった。そして翌日。いつものように昆が着替えながら煙草を吸う。その間にテレビをつけてニュースを見るというのが我が家の習慣だった。いつもの日常の一コマだ。ただ、その日は特別な日となった。そのニュースを見て驚愕したからだ。


「昆…昆!ねぇ、来て!」

「なにー?」

「昆が…」

「えー?」


気怠そうに近付いてきた昆はのしっと私の頭に自分の頭を乗せた。本当にいつも通りの仕草だ。だけど、ニュースを見て、ゆっくりと離れていった。
ニュースで春名翠の熱愛が報道されていた。その相手は一般人で、某T社に勤めているサラリーマンのようだ。というより、そのサラリーマンは昆だ。目が黒く塗られて隠されてはいるけど、どう見ても昆だ。スーツにはタソガレドキ社の社章がぼんやりとだけど見える。これは見る人が見れば分かるのではないだろうか。私と昆が分かったように…


「えっ。何これ。えっ、何これ!?」

「ねぇ、これマズくない…?」

「何が?」

「だって、こんな報道がされたら…」


私が言葉を続ける前に昆の携帯が鳴った。どうやら会社からだったようで、昆は神妙な面持ちで話をしていた。
次第に悲痛な顔をした昆の側に寄る。見ていて胸が痛くなるほど昆が傷付いているのが分かった。話の内容はよく聞こえないから分からない。だけど、昆が話す内容から察するに会社に来るなと言われているようだった。
電話を切ってから昆はまた呆然とニュースを眺めていた。


「な、何て…?」

「…会社の前に記者がたくさんいるから今日は休めって」

「そ、そっか…」


スーツを着たまま昆はドサリとソファに座った。そして、じっと私を見てきた。今にも泣きそうな顔で。
どうしよう、私も辛くなってきた。私たちは感情を共有している。それだけ深い関わりがある。だけど、いま私が揺らいでは駄目だ。私が側で昆を支えてあげないといけないから。


「えっと、大丈夫…じゃない…よね」

「…なまえ。一つ頼みがあるんだけど」

「なに?」

「抱かせて欲しい…」

「へっ…」

「お願い…不安なんだ。このままだと自分が自分ではいられなくなりそうで…もうよく分からない。なまえを感じたい…」


ぎゅうっと抱き締めてきた昆を私も抱き返すと、ネクタイを投げ捨てて昆は私を抱いた。それはいつもみたく愛情を確かめ合うような行為ではなかった。だけど、痛いくらい昆の不安な気持ちが伝わってきた。
事後、昆は私に謝ってきた。そっと昆の頬に手を伸ばす。


「…ごめん。ごめんね」

「ん…」

「どうしよう、なまえ。私、おかしくなりそう…」

「うん。大丈夫、私がいるから…」


大丈夫だよ、と昆の頭を撫でる。よしよしと撫でると、昆は震えた。泣いている。それはどんな感情で流した涙なのか分からない。怒っているのか、悔しいのか、それとも嬉しいのか…いや、きっと全部だ。本当はお母さんに会えて嬉しかったんだ。だけど、認められない。自分のアイデンティティが揺らぐことは辛いことだろう。ずっと自分は一人だと思って生きてきた人だ。自分を捨てた母親に会うというのは受け入れ難いことだろうし、今更という気持ちにもなることだろう。


「お願い、なまえ。側にいて…っ」

「うん。側にいるよ」

「私を離さないで。ずっと抱き締めていて」

「うん」

「私はなまえしかいらない。私の家族はなまえだけだ…」

「…うん」


本当だろうか。本当にそれで昆はいいのだろうか。だけど、昆がこの状態なのに偉そうにそれを否定することは私には出来なかった。私は昆の家族だけど、他人だから。軽率に口を出してはいけない気がした。
どうしよう。どうしたらいいの?私たちは身体も心も繋がっている。それは確かだし、揺らがない。だけど、昆を安心させるにはどうしたらいいのだろうか。私は昆から離れる気はないよと、捨てたりしないよと言うことは簡単だけど、きっとそんなことを言われても昆の心の闇は晴れない。昆のことを救えるのは実のお母さんだけなのではないだろうか。欠けた心の一ピースを埋められるのは私ではない気がする。だって私では昆のお母さんにはなれないから。
昆を抱き締めながら私も泣いた。神様はどうして昆に試練ばかり与えるのだろうか。幸せでいて欲しいのに、いつも笑っていて欲しいのに。
何日か昆は仕事はリモートで行っていた。出社しなくてもいいのなら、ずっとこうして家で仕事をしたいなんて言いながら笑う昆の顔は元気がなかった。私は昆の好きな物をたくさん作ったし、昆はずっと私の側を離れようとはしなかった。
そして、更に何日か経ってから自体は大きく動いた。その結果として昆は更に傷付くこととなる。正直、春名翠の大ファンである私も文句を言いたくなってしまった。そんな記者会見が行われた。私は昆と二人で並んで記者会見を見た。途中で昆は気持ちが悪いと言ってトイレに立ったけど、私は最後まで記者会見を見届けた。そして、春名翠のインスタからDMを送った。
私の大好きな昆を傷付ける人は例え昆の母親であろうとも許さない。そんな想いだった。恐らく、相当失礼なことを言った。だけど、ちゃんと春名翠から返信がきた。そのDMを見て昆は動揺したように顔を青くしていたけど、そっと昆の手を握る。大丈夫、あなたには私がいるからと言うように。


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